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第50話 家族の形

ラシェルが口を開いた。


「ミル」


「うん」


「あの子たちが私の商会の、最初の家族なの」


「うん」


「奇妙、でしょう」


ミルが軽く首を横に振った。


「奇妙じゃない」


ラシェルの口角がわずかに上がった。


「あなたはいつも、そう言うのね」


「私がそう思ってるから」


短い、応答だった。


ラシェルが茶をひとくち、飲んだ。


「ミル」


「うん」


「あなたは家族と、離れて、寂しくはないの」


ミルがしばらく考えた。


「うん、寂しいよ」


ラシェルがミルを見た。


「でも、私の家族はグレイドと、アルヴィスだから」


「冒険者の仲間も、家族なの」


「同じ釜の飯を十年食べてる」


ミルが軽く笑った。


「兄弟みたいなもの、かな」


ラシェルの口角がまた、上がった。


「兄弟というにはグレイドは優しすぎるけど」


ミルがふっと笑った。


「あいつ、私の前では優しいフリをしてるだけ」


「え」


「うん」


「本当の兄貴ぶる時はもっと、雑」


ラシェルが笑った。


「そうなの」


「飯を奪うとか」


「布団を取るとか」


「冒険者って、そういうもの」


「うん、そういうもの」


しばらく二人は笑っていた。


笑いが収まった。


ミルが茶をひとくち、飲んだ。


湯気がミルの顔の前で立ち昇っていた。


それから、ミルが少し、真面目な顔になった。


「ラシェル」


「うん」


「家族の、形はいろいろ、です」


ラシェルがミルを見た。


ミルも、ラシェルを見ていた。


まっすぐな、目だった。


「血が繋がってなくても」


「うん」


「離れていても」


「うん」


「会えなくても」


ミルが続けた。


「家族は家族、です」


ミルの目がわずかに揺れていた。


長い旅で何度も、思ってきたことなのだろう。


ラシェルにも、それが伝わった。


ラシェルがしばらくミルを見ていた。


それから、息をひとつ、ついた。


「そうね」


茶器を両手で握り直した。


「そうかも、しれない」


ラシェルの目の縁が震えた。


人前ではずっと、堪えてきた。


会長代理として。


しかし、いまはミルの、前だった。


長い付き合いの、ミルの、前だった。


涙がひとつ、こぼれた。


それで十分だった。


ミルがラシェルの肩に軽く手を置いた。


何も、言わなかった。


ラシェルも、何も、言わなかった。


ただ、しばらくそうしていた。



廊下の角に誰かが立っていた。


レイだった。


中庭の、ティナとリオルの卓。


そして、執務室の前の、ラシェルとミルの卓。


二つの景色がレイの目の中に入っていた。


中庭の、ティナの不揃いな文字を教えるリオル。


廊下の手前でラシェルの肩に軽く手を置く、ミル。


朝の、同じ光の中に二つの景色があった。


レイがしばらくそれを見ていた。


何も、言わなかった。


誰にも、声をかけなかった。


軽く目を閉じた。


それから、また、開いた。


レイが息を軽く吸った。


ゆっくりと。


廊下の壁に片手を添えた。


木の感触。


それを感じた。


二つの景色はあまりに平穏だった。


レイの胸の奥が軽く揺れた。


百年前にも、こうした朝があったかも、しれない。


あるいは、なかったかも、しれない。


分からなかった。


息を吐いた。


揺れは奥に届かせなかった。


百年前と、同じ朝だった。


しかし、別の、人々だった。


レイの目の奥がわずかに和らいだ。


中庭でティナがペンを置いた。


「できた」


紙をリオルに見せた。


リオルが紙を見た。


それから、軽く笑った。


「ああ、できた」


ティナの口角が上がった。


「ね、上手」


「ああ、上手だ」


リオルがティナの頭を軽く撫でた。


ティナが頷いた。


それから、また、ペンを握り直した。


「次の、文字も、書く」


「ああ、書こう」


朝の、木の葉がまた、ひとつ、石畳に落ちた。


風がわずかに吹いた。


ラシェルとミルの、茶の湯気がまだ、立っていた。


二人の影が卓の上に重なっていた。


廊下の角の、レイの姿はもう、なかった。



滞在は数ヶ月になっていた。


朝の執務室。


書類の山が机の上に積まれていた。


ラシェルがその書類をめくっていた。


表情は固かった。


朝の光が窓から、差し込んでいた。


しかし、執務室の中は緊張の、冷えた空気で満ちていた。


扉が叩かれた。


「セルジオです」


「入って」


セルジオが扉を開けた。


書類を抱えていた。


朝の挨拶も、そこそこに机の前に立った。


「会長代理」


セルジオが書類を机の上に置いた。


「また、三件、取引先が離れました」


ラシェルが書類を見た。


「綿花、絹、そして、東街道の隊商です」


「三件、いっぺんに」


「皆、ヴィルガス商会に流れた、と」


ラシェルが書類の名前を確認した。


「予想通りね」


「仕入れ先からの、値上げ通告が四件」


セルジオが続けた。


「銀行筋からの、追加融資はすべて、断られました」


ラシェルが書類をもう一枚、めくった。


資金繰りの、表だった。


「この調子で資金は──」


「二月です」


セルジオが短く言った。


「あと、二月で商会の運転資金が底をつきます」


ラシェルがしばらく書類を見ていた。


それから、立ち上がった。


「祖父様に書状を出します」


セルジオの目がわずかに動いた。


「援助を求めますか」


「いいえ」


ラシェルが首を横に振った。


「報告だけです」


「会長代理」


「祖父様に頼っては駄目」


ラシェルがペンを取った。


「私が自分の手で商会を守ると、決めた」


「援助を求めるなら、私が会長を引き受ける、意味がない」


セルジオがしばらくラシェルを見ていた。


それから、軽く頭を下げた。


「かしこまりました」


ラシェルがペンを走らせた。


書状は簡素だった。


ヴィルガスとの経済戦争のこと。


取引先の離反のこと。


資金繰りのこと。


そして、自分で対処するという、宣言。


最後にこう、書いた。


『援助は求めません。報告まで』


封をした。


「セルジオ、これをサングラディア本部へ」


「すぐに便を出します」


セルジオが書状を両手で受け取った。


それから、扉を開けた。


廊下に出ようとした、その時。


ラシェルがもう一つ、声をかけた。


「セルジオ」


「はい」


「リオルを呼んでください」


セルジオが頷いた。



ラシェルが窓から、外を見た。


中庭の、木の葉はもう、ほとんど、落ちていた。


代わりに商会の、玄関の門前に見慣れた人影が立っていた。


グレイドだった。


大剣を背負っていた。


門の外をしばらく見ていた。


それから、また、門の方を見ていた。


少し離れた廊下ではミルが薬草を煮ていた。


湯気が立っていた。


怪我に備えて、いつでも、回復魔法を使えるように。


アルヴィスは見えなかった。


高所か、あるいは、別の門にいるはずだった。


ラシェルがしばらくそれを見ていた。


冒険者三人は商会の、護衛として、常駐していた。


ラシェルが頼んだのではなかった。


彼らが自分から、申し出た。


「経済戦争は商人がする」


「俺たちは戦士だ」


「商売の戦には出番はない」


「しかし、表で何かがあった時のために立っていよう」


グレイドがそう、言った。


ラシェルはそれをありがたく、受けた。


しかし、これは商売の、戦だった。


ラシェル自身が戦わねば、ならない戦だった。


ラシェルが机に戻った。

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