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第47話 百年前 家訓

しばらくして、四人は街道沿いの簡素な宿にたどり着いた。


夜が深まっていた。


エルナがリーラの様子を見ていた。


ジンが寝台の脇で眠っていた。


ゼラックがようやく革袋の紐を解いた。


中から、紙包みが出てきた。


紙の表に薬師の手書きでこう、記されていた。


「特効薬/二回目分」


ゼラックの手が止まった。


リーラに一回しか、飲ませられなかった、あの薬。


医者が「もう一回必要」と告げた、あの薬。


ちょうど、必要な分量。


「私はつかわないから」


ハクレンの言葉が頭の中でもう一度、響いた。


ゼラックが紙包みを握りしめた。


「陛下──」


声が出なかった。


しばらくして、ゼラックの目から、涙が一筋、流れた。


慟哭ではなかった。


静かな、涙だった。


「あの方は」


「すべてを知っていた」


エルナが夫の肩に手を置いた。


「私が銀貨を盗んだことも」


「リーラの薬が足りなかったことも」


「私たちが逃げようとしていることも」


「すべてを知っていて」


「そして、自分の手で」


「もう一回分の、薬を持ってきてくれた」


涙がもう一筋、流れた。


「『私はつかわないから』と」


「そう、おっしゃって」


「私の、誇りまで守ってくださった」


ゼラックはしばらく紙包みを握りしめていた。


エルナが横で何も、言わなかった。


ジンが寝台の脇でまだ、眠っていた。


リーラだけが寝台の上で苦しげな息をしていた。


しばらくして、ゼラックは顔を上げた。


涙の跡が頬に残っていた。


しかし、目には別の、光があった。


「エルナ」


「はい」


「サングラディアに戻る」


エルナが頷いた。


「商家には自分で謝罪する」


「銀貨は働いて、返す」


「はい」


「そして、商人になる」


エルナの目がわずかに動いた。


「商人」


ゼラックが頷いた。


ゼラックが革袋を両手で握った。


「陛下のようにすべての人を救うことはできない」


「私は私の手の届く人を救う」


エルナが頷いた。


ジンが後ろから、聞いていた。


リーラを抱きかかえたまま、頷いた。


「父上」


ゼラックが息子を見た。


「私も、商人になります」


ジンが十歳の声でそう言った。


ゼラックの目にまた、何かが滲んだ。



その夜。


街道沿いの、簡素な野営の、焚き火脇。


ジンとリーラが毛布の下で眠っていた。


エルナがジンの隣に座っていた。


ゼラックがハクレンから受け取った、革袋を手に取った。


焚き火の光にそれをかざした。


「エルナ」


「はい」


「私は商人になる」


「ハクレン様の遺志を商いに込める」


エルナが頷いた。


ゼラックが続けた。


「いつか」


「この覚悟を家訓として、書く」


「子に孫に商会を継ぐ者に代々、伝える」


「はい」


ゼラックが革袋を両手で握った。


「シグナ・グレ・トゥムス」


呟いた。


夜の街道に焚き火の音だけが続いていた。



時が流れた。


ゼラックはサングラディアに戻った。


商家に謝罪し、銀貨を返した。


それから、商人として、生きてきた。


ハクレン王の、私財の管理を任された。


ハクレン王の、商いの仕組みを整えた。


ジンも、商人として、育った。


リーラも、もう一回の特効薬で健やかになった。


ゼラックの商会はサングラディアの、お抱えとなった。


帝国にも、王国にも、支店を開いた。


ゼラックは長く、生きた。


妻のエルナも、ジンも、リーラも、健やかに生きた。



晩年。


ゼラックは書斎の机に向かっていた。


窓の外には桃の木が植わっていた。


春には花を咲かせる。


ゼラックが紙片を机に広げた。


インクと、ペン。


書記官だった頃の、習い。


しばらくペンを止めていた。


それから、書き始めた。


  我々は商人である前に


  ハクレン様の資産を運用している、国の役人だ


  ハクレン様の遺志を、商いに、込める


  目の前の者を、見捨てるな


  全員を救おうとは、するな


  我々が、救えなかった者を


  やがて、また誰かが、救えばよい


  シグナ・グレ・トゥムス


  (今を、精一杯、生きよ)


         (ハクレン様のお言葉)


書き終えた。


ゼラックはしばらくその紙片を見ていた。


最後の一行に目が止まっていた。


「シグナ・グレ・トゥムス」


ハクレン様が別れ際に贈ってくださった、言葉。


鬼族の、古い祈り。


「今を精一杯、生きよ」


ゼラックはその言葉を家訓の、最後に置いた。


子に孫に商会を継ぐ者に代々、伝えるために。


エルナが横で紙片を見ていた。


若かった日と、同じ目で。


「これが私の、覚悟だ」


「うむ」


エルナが頷いた。


ゼラックが机の引き出しから、古い革袋を取り出した。


ハクレンが薬を入れて、渡した、あの革袋。


すり切れていた。


革の色も、褪せていた。


しかし、まだ、生きていた。


ゼラックが書いたばかりの、紙片を革袋の中に入れた。


紐を結んだ。


「子に伝え、孫に伝え、商会を継ぐ者に代々、これを渡せ」


エルナが頷いた。


書斎の窓の外で桃の花が揺れていた。

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