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第41話 あの春の日

夕方、商会の門前で馬の蹄の音がした。


冒険者三人が王国への商隊護衛から、戻ってきていた。


半月。


ぴたりと、グレイドが告げた通りの日数だった。


レイが玄関で迎えた。


グレイドが先に降りた。


旅装は土埃で薄汚れていたが


歩く姿はいつも通り、揺るがなかった。


ミルが馬を厩に引いていった。


アルヴィスが無言で荷を下ろし始めた。


「坊主」


グレイドがレイを見た。


「変わりはないか」


「ない」


「そうか」


短い、いつもの会話だった。



夜、商会の客間。


グレイドが椅子に深く座った。


ようやく旅装を解いた後だった。


「報告だ」


レイが頷いた。


「王都は静かだった」


ミルが横でお茶を注いでいた。


「『静か』というのは」


レイが問うた。


「お前を嗅ぎ回ってる連中はいた」


グレイドが湯気の立つ茶碗に手を伸ばした。


「ただ、ベルナード様がすでに抑え込んでおられる」


レイの目がわずかに動いた。


「王子はまだ、お前の名前を口にしているらしい」


「しかし、公爵家の壁は厚い」


ミルが続けた。


「直接の手出しは難しいかと」


レイが軽く頷いた。


「それから」


グレイドが茶を一口、含んだ。


「公爵家の使いに会った」


レイが顔を上げた。


「フェリク様はサングラディアの学校に行く準備をしていたようだ」


レイの目の奥がわずかに動いた。


「アシェ嬢はご家族の店をよく、手伝っていると」


「うむ」


レイの目の奥がわずかに和らいだ。


アルヴィスが初めて、口を開いた。


「平穏だった、ということだ」


「うむ」


レイがもう一度、頷いた。



朝、ラシェルが提案した。


「レイ様、本日、市場へ、ご案内したく」


レイが頷いた。


「うむ」


「商国の現実を見ておいていただきたく」


「冒険者の皆様にも、ご同行いただければ」


グレイドが頷いた。


「いいぞ」


ミルが軽く首を傾げた。


「市場って、奴隷市場?」


「はい」


ラシェルの声はいつも通りに静かだった。


街道を五人で歩いた。


朝の街はすでに商売の声で満ちていた。


荷を運ぶ馬車が何台も、すれ違っていった。


道中、誰も、多くは話さなかった。


グレイドが一度だけ、ぽつりと口を開いた。


「ラシェル」


「市場見学はお前から提案したのか」


「ええ」


「レイ様には商国の現実を見ておいていただきたくて」


グレイドが軽く頷いた。


ミルがラシェルの口調の変化にわずかに気づいた。


以前より、レイへの距離が少し、近い。


しかし、何も言わなかった。


ただの観察として、流した。


奴隷市場の入り口に検問があった。


門兵が五人の身分を確認した。


ラシェルの顔を見て、門兵は深く頭を下げた。


「ラシェル様、いつもお世話になっております」


「どうぞ、お通りを」


五人が市場に入った。


市場の中は複層的だった。


最も奥の区画に戦争捕虜の奴隷。


次の区画に借金奴隷。


別の区画に児童奴隷。


さらに別の区画に獣人奴隷。


それぞれの区画にそれぞれの「商品」が並んでいた。


商人たちが品物を選ぶように奴隷を見ていた。


時々、奴隷の口を開けて、歯を確認する者もいた。


時々、奴隷の腕を持って、筋肉を確かめる者もいた。


奴隷たちはほとんど、声を出さなかった。


ただ、立っているか、座っているか、していた。


レイはそれを見ていた。


百年前の記憶が揺れた。


百年前にも、奴隷市場はあった。


しかし、私の国では王として、私自身が奴隷制度を禁じた。


ここは違う国だった。



児童奴隷の区画。


身寄りのない子供たちが鎖で繋がれていた。


大半は怯えていた。


泣いている子もいた。


顔を伏せて、誰の方も、見ない子もいた。


その中で一人だけ、違う子がいた。


栗色の長い髪。


少し縺れている。


淡い灰色がかった瞳。


痩せていて、年齢の割に小柄だった。


その子だけが観察的な目で市場を歩く人々を見ていた。


レイがその子の前で止まった。


ティナがレイを見た。


レイもティナを見た。


しばらく目だけが動いた。


レイは何も言わなかった。


やがて軽く頷いて、その場を離れた。


レイが歩き出した後。


胸の奥で何かが沈んでいた。


百年前、私が見た、別の市場の景色と、重なっていた。


しかし、レイは何も口にしなかった。


表情も、変えなかった。


ただ、歩いた。



借金奴隷の区画。


背中を丸めた中年の男が座っていた。


四十代ほど。


かつては身なりがよかった、と、わかる服を着ていた。


しかし、今は汚れていた。


男は誰の方も、見ていなかった。


ただ、地面を見ていた。


レイがその男の前を通り過ぎた。


何も言わなかった。


しかし、目には留めた。


市場を出た。


戻り道、誰も、口を開かなかった。


朝の喧騒はすでに商人たちの歌声に変わっていた。


昼の街の音だった。


しかし、五人の中でその音は遠かった。


商会に戻った。

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