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第38話 商会の朝

商国に来てから、数日が経っていた。


レイは商会の朝にも、慣れてきていた。


朝、目を覚ます。


顔を洗い、身支度を整える。


廊下に出ると、もう、商会の朝の音が聞こえている。


帳簿をめくる音。


階下から運ばれてくる荷物の音。


取引業者を案内する声。


商会は朝から、すでに動いていた。


ラシェルの一日はその音より、さらに早く始まっていた。


レイは商会の日常に馴染みつつあった。


しかし、誰もが平静なわけではなかった。



午後、遅く。


レイが廊下を歩いていた。


向こうから、若い侍女が水差しを運んできた。


手がわずかに震えていた。


顔色も、悪かった。


しかし、仕事は普通にこなしていた。


すれ違う者は誰も、気づかなかった。


レイが廊下で侍女とすれ違った。


侍女が深く頭を下げた。


「失礼いたしました」


声がわずかに揺れていた。


レイは何も言わなかった。


軽く頷いただけだった。


しかし、目には留めた。



夕方、執務室。


ラシェルが書類を片付けていた。


扉が静かに開いた。


レイがお茶を運んできた。


侍女が運ぶはずだったお茶を自ら運んできた。


「セルジオに運んでもらえばよかったのに」


ラシェルが驚いた。


「うむ、しかし、運んでみたかった」


レイが机の向かいに座った。


椅子はやはり、レイには大きかった。


しばらく沈黙が流れた。


それから、レイがぽつりと言った。


「あの侍女は何かあったのだろうか」


「元気がないな」


廊下を歩いていた侍女のことだった。


名前は出さなかった。


しかし、ラシェルには分かった。


ラシェルが手を止めた。


「あら、そうでしたか」


「気づきませんでした」


少し間を置いてから、続けた。


「聞いてみますね」


「うむ」


それ以上、何も言わなかった。


ラシェルの内心で何かが動いていた。


(朝の侍女のことね)


(よく見ているのね)


ラシェルは軽く驚いていた。


「変な貴族の子」だと思っていた。


それがいま、「妙に物事を見ている子」に変わっていた。


しかし、その認識はまだ、ラシェルの内側だけにあった。


口には出さなかった。



夕食前、ラシェルが侍女に声をかけた。


侍女ピア。


二十歳ほど。


ピアが立ち止まった。


「ピア、最近、何か困っていることは」


ピアが顔を上げた。


目が潤んだ。


しばらく話せなかった。


それから、ぽつりぽつりと話した。


「実家の母が流行り病に」


「兄が看病していますが薬代が」


「ご奉公先にご迷惑をかけてはと、黙っておりました」


ラシェルが頷いた。


「すぐに帰りなさい」


「薬代は商会から前借りでよい」


「給金から、ゆっくり返せばいい」


ピアが涙を流した。


「ありがとうございます」


ラシェルは何も言わなかった。


ただ、ピアの肩に軽く手を置いただけだった。


ピアが深く頭を下げた。



夜、レイが客間に戻った。


窓を開けた。


夜の風が入ってきた。


レイがしばらく窓の外を見ていた。


百年前の記憶が薄く動いた。


百年前、私も、酒場で気落ちした者を見て、声をかけていた。


「あの男は何かあったのだろうか」と、店主に囁いていた。


しかし、レイは何も独白しなかった。


ただ、窓を閉めた。


寝台に身を横たえた。


百年前と、いまと、同じ風が吹いていた。

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