第33話 国境を越えて
朝、四人は国境に着いた。
街道の終わりに木造の検問所が建っていた。
両側に商国の国旗が立っている。
役人が四人ほど立っていた。
人間がいた。
エルフがいた。
ドワーフがいた。
獣人もいた。
レイがそれを見ていた。
「商国は種族にこだわりません」
アルヴィスが横でぽつりと言った。
「金がすべてです」
レイが頷いた。
役人の一人が近づいてきた。
人間の中年男だった。
書類を抱えていた。
「目的は」
「商業の用事です」
「人数」
「四人」
「通行税をお支払いください」
アルヴィスが銀貨を数枚渡した。
役人がさっと数えた。
「結構です」
「お通りください」
書類には何も書かれなかった。
確認もされなかった。
「あっさりだな」
グレイドが言った。
「ここの役人は金次第だな」
ミルが首を傾げた。
「賄賂、ですか」
「いえ、正規の通行税です」
アルヴィスが淡々と返した。
「ただ、表情を見れば」
「金額次第で対応が変わるのがわかります」
「あら、そういうものなのね」
ミルがふふ、と笑った。
◇
国境を越えると、街道の質が変わった。
整備された石畳。
轍の跡が深かった。
荷馬車が多かった。
道の両側に看板が立っていた。
商会の紋章。
店の宣伝。
派手な色。
大きな文字。
「金貨で支払い、即日発送」
「特別取引、見逃すな」
文字が読めなくとも、絵で何の店かはわかった。
レイがそれを見ていた。
すれ違う商人たちの会話が耳に入る。
「先月の取引、儲かったぜ」
「いや、損したよ」
「あの香辛料は来月だ」
人間。
エルフ。
ドワーフ。
獣人。
皆が商売の話をしていた。
レイの中に観察が残った。
ここは金の国だ。
しかし種族は混じっている。
差別は薄い。
代わりに別の何かが人を分けている。
◇
街の中心に近づくと、大きな商家の建物が並んでいた。
看板にそれぞれの商会の紋章。
派手な装飾。
しかし、一軒だけ違っていた。
落ち着いた石造りの建物。
紋章は控えめだった。
アルヴィスが指差した。
「あれが目的地です」
「ゼラック商会・商国支部」
レイがそれを見上げた。
四階建ての立派な建物だった。
しかし、装飾は最小限。
門の前には鉢植えの木が一本。
それだけだった。
「派手ではないな」
レイが呟いた。
グレイドが頷いた。
「この商会はこういう商会だ」
四人が門をくぐった。
玄関の奥から、男が出てきた。
五十代ほどの、白いものが混じる髪。
品のある身なり。
細身で、姿勢のよい男だった。
男はまずレイの方へ歩み寄った。
そして深く頭を下げた。
「お待ちしておりました」
レイが頷いた。
「セルジオと申します」
「ゼラック商会・商国支部の支部長を務めております」
「うむ」
「ベルナード様の、お孫様で、いらっしゃいますね」
レイがもう一度頷いた。
懐から書状を取り出した。
「公爵家の紹介状だ」
セルジオが両手で受け取った。
封の蝋に目を落とし、軽く頷いた。
「確かにお預かりいたしました」
それから、セルジオが冒険者三人の方へ向き直った。
声の温度がわずかに変わった。
公的な丁寧さは残しつつ、肩の力がほんの少しだけ抜けた。
「グレイド殿、ミル殿、アルヴィス殿」
「お久しぶりです」
グレイドが軽く頷いた。
「世話になる、セルジオ」
ミルが笑顔を作った。
「セルジオさん、相変わらず忙しそう」
「ええ、変わらず」
セルジオが軽く笑った。
アルヴィスが頭を下げた。
「お変わりなく、何より」
短いやり取りだった。
何度も繰り返されてきた挨拶の、感触があった。
レイはそれを横で見ていた。
◇
セルジオが玄関の中へ案内した。
廊下は広く壁には商会の紋章が控えめに掛けられていた。
廊下の途中で、セルジオが一度足を止めた。
「ラシェルお嬢様はただいま執務中でして」
「夕刻には戻られるかと存じます」
そして、続けた。
「皆様にご挨拶ができるのは明朝になるかと」
「そうか」
レイが短く返した。
「客間にご案内いたします」
「お疲れでございましょう」
セルジオが先に立って歩いた。
廊下の奥、二階へ上がる階段の手前。
木の重い扉の前で、セルジオが立ち止まった。
「こちらが客間でございます」
「お湯と、軽食を運ばせます」
扉を開けた。
広い部屋だった。
窓が大きく午後の光が差していた。
壁際に長椅子。
中央に大きな卓。
奥にもう一つ部屋がついている。
「いつも通りで、ございます」
セルジオがミルの方へ短く頷いた。
ミルが頷き返した。
「ええ、いつも通り」
◇
グレイドが部屋を見回した。
それから、長椅子に大きく腰を下ろした。
「ここに泊まるのは何度目か」
ミルが軽く笑った。
「三度目だよ」
「そうか」
「変わってないな」
「変わってないね」
アルヴィスが窓際の椅子に座った。
窓の外を眺めながら、ぽつりと言った。
「商会の支部としては変わらないのがよい」
レイが卓の脇に立っていた。
しばらく三人を見ていた。
「お前たちはこの商会と、長いのだな」
グレイドがレイの方を見た。
「数年来の付き合いだ」
ミルが頷いた。
「商会の護衛とか」
「本国の指示で動くこともあって」
グレイドが続けた。
「ラシェルが二十歳で会長代理を引き継いだ頃から」
ミルがぽつりと言った。
「もう五年、かな」
アルヴィスが窓の外を見たまま、続けた。
「速いものだな」
レイがしばらく考えていた。
「うむ」
短く頷いた。
それ以上は問わなかった。
冒険者三人もそれ以上は語らなかった。
しかし、レイは知った。
この商会は彼らにとって、見知らぬ場所ではない。
そして、明日会う「ラシェルお嬢様」はミルにとって、ただの依頼主ではない。
◇
しばらくして、扉が叩かれた。
侍女が湯と軽食を運んできた。
パンと、冷たい肉と、果実。
湯気の立つ茶。
ミルが侍女に短く礼を言った。
顔見知りらしかった。
侍女が笑顔で頭を下げて、戻っていった。
四人で軽く食事を取った。
グレイドはパンを大きく頬張った。
ミルは果実を一つ手に取った。
アルヴィスは茶を一口だけ含んだ。
レイはパンを小さくちぎりながら、口に運んだ。
◇
夕方になった。
窓の外の光が橙色になっていた。
廊下から足音が聞こえた。
セルジオがもう一度顔を出した。
「お嬢様がお戻りになりました」
「ただ、本日は遅くなりますゆえ」
「ご挨拶は明朝にということで」
レイが頷いた。
「うむ」
「夕食はご都合のよろしい時刻に」
セルジオが頭を下げて、扉を閉めた。
ミルが小さく息を吐いた。
「ラシェル、忙しいんだろうな」
グレイドが頷いた。
「いつも忙しい奴だ」
レイが窓の外を見た。
商国の街並みに夕日が落ちかけていた。
商人たちの声がまだ通りに残っている。
金の国の夕方は明日の取引の話で満ちていた。
レイの目の奥がわずかに動いた。
明日、この商会の主と会う。
百年前、私の側に書記官がいた。
その血を引く者と、明日、向かい合う。
レイは何も言わなかった。
ただ、夕日に染まる商国の街をしばらく眺めていた。




