第30話 森のふたり
宿の二階。
レイの部屋は小さかった。
ベッドが一つ。
机が一つ。
窓が一つ。
レイは窓辺に立った。
窓を開けた。
夜の風が入ってきた。
昼間の風と似ていた。
しかし、少しひんやりとしていた。
夜空には星が出ていた。
百年前と同じ星だった。
名前は違うかもしれない。
位置はわずかにずれているかもしれない。
しかし、似ていた。
百年前の記憶がまた動いた。
私はまた旅をしている。
百年前と、よく似ている。
百年前の旅。
仲間がいた。
赤鬼。
青鬼。
エルフ。
ドワーフ。
種族の違う、仲間たち。
しかし、隣にいるのは別の仲間たち。
下の階から、グレイドの笑い声が聞こえた。
ミルの、何か言う声も聞こえた。
小さな笑い。
レイはしばらくそれを聞いていた。
レイの目の奥がわずかに和らいだ。
「面白いな」
ぽつりと呟いた。
それから、窓を閉めた。
ベッドに座った。
靴を脱いだ。
明日も、旅は続く。
レイは横になった。
目を閉じた。
風がまだ頬に残っていた。
母が好きだった、あの風が。
◇
森に入った。
街道は徐々に細くなっていた。
木々が両側から覆いかぶさり、日の光がまだら模様に地面に落ちている。
昼過ぎ。
しかし森の中は薄暗かった。
グレイドが先頭を歩いた。
大剣を肩に担いでいた。
時々後ろを振り返って、レイたちの様子を確かめた。
「ここから危険だ」
「魔物の領域に入る」
アルヴィスが弓を構えた。
耳がわずかに動く。
「気配が多い」
ミルが頷いた。
水色の髪が暗がりの中で、ほんのり光って見えた。
レイは四人の真ん中を歩いた。
杖を持っていた。
剣も、腰に下げていた。
しばらく歩いた。
ガサ、と音がした。
藪の中から、ゴブリンが出てきた。
一体。
二体。
三体。
全部で五体。
汚い布を巻いた、小柄な魔物だった。
鋭い歯。
黄色い目。
錆びた短剣をそれぞれ手にしていた。
「来たぜ」
グレイドがにやりと笑った。
大剣を構えた。
戦闘が始まった。
グレイドが先頭のゴブリンに大剣を振り下ろした。
一撃。
ゴブリンが二つになった。
アルヴィスが弓を引いた。
矢が立て続けに放たれた。
二体のゴブリンが頭を貫かれて倒れた。
残り、二体。
レイが杖を構えた。
詠唱を始めた。
「巡り、満ち、流るる風よ」
「我が手のひらにその一筋を」
「風の刃よ——」
そよ風が吹いた。
ゴブリンの髪がわずかに揺れた。
「……」
レイがしばらく自分の手を見つめた。
「相変わらず、弱いな」
グレイドが笑いながら、残りのゴブリンを両断した。
レイがゴブリンの遺骸を、しばらく見ていた。
汚い布。
鋭い歯。
皺の寄った緑の肌。
「醜悪な魔物だな」
レイがぽつりと言った。
「昔、よく似ていると、言われた」
レイの口角が、ほんの少しだけ、上がった。
グレイドが手を止めた。
「は?」
「いや、何でもない」
レイが首を軽く振った。
それから、グレイドが、倒れたゴブリンの胸を短剣で軽く割いた。
小さな灰色の石を取り出した。
布で軽く拭う。
「魔石だ」
レイがそれを見ていた。
「魔物の体内にできる」
「ギルドで換金できる」
アルヴィスが別のゴブリンから魔石を取り出した。
「ゴブリンの魔石は安いですが」
「宿代の足しにはなります」
「そういうものか」
レイが頷いた。
ミルが駆け寄ってきた。
レイの腕の、小さな擦り傷を見て、回復魔法をかけた。
「大丈夫ですよ」
アルヴィスが矢を回収しながら、ぽつりと言った。
「レイ様の魔法は戦闘では戦力にならないかもしれませんが」
「気は優しい風です」
「風?」
「ええ」
「ゴブリンを傷つけずにただ髪を撫でただけ」
「そういう意味ではない」
「冗談です」
アルヴィスがわずかに口角を上げた。
ミルがふふ、と笑った。
◇
戦闘後、四人で街道を進んだ。
グレイドがレイの隣に並んできた。
ちらりと横目でレイを見た。
「お前、剣はそこそこ使えるな」
「うむ」
「ダルゴアの時から、知ってるぜ」
「フォレストウルフに傷つけたのを見てるからな」
レイが頷いた。
「だが、魔法は本当に弱いな」
「そうだな」
「魔法は弱い」
レイが淡々と答えた。
グレイドがぷっと吹き出した。
「即答かよ」
「事実だ」
「だな」
グレイドが肩を叩いてきた。
重かった。
しかしレイはよろけなかった。
「ま、お前は俺たちが守ってやる」
「弱い魔法のお守りでも、十分だ」
「頼りにする」
ミルが後ろから声をかけてきた。
「ふふ、お二人、息が合いますね」
「うるさい」
グレイドが言って、顔を背けた。
◇
夕方、街道沿いの宿場町に着いた。
森を抜けたあたりにある、小さな町だった。
冒険者の出入りが多いらしい。
宿の前に装備を整える店がいくつか並んでいた。
町の中央に赤い屋根の冒険者ギルドが見えた。
グレイドが先にそこへ寄った。
今日のゴブリンの魔石を換金するためだった。
レイもついていった。
受付の女性が淡々と魔石を計量し、銀貨を数えた。
「これが冒険者の生計か」
「ああ」
「そういうこった」
レイが頷いた。
ギルドの壁に依頼書がいくつも貼られていた。
護衛、討伐、調査。
種類は様々だった。
レイはそれをしばらく見ていた。
レイがふと、依頼書のランク表記に気づいた。
S級、A級、B級、C級……。
「お前たちは、何級だ」
グレイドが少し、間を置いた。
「B級だ」
「ふむ」
レイは何も言わなかった。
ただ、グレイドの剣の重さを思い出していた。
あの剣を振る男が、B級。
しばらくして、グレイドがぽつりと言った。
「俺は、A級になれると思ってる」
ミルが横で軽く笑った。
「またその話」
「実力は、ある」
「ええ、ある」
ミルが頷いた。
「ただ、私たちは、本国の方針で、A級にはならない」
レイが顔を上げた。
「目立たないように、と」
ミルが続けた。
「B級なら、依頼の幅も、注目の度合いも、ちょうどよい」
アルヴィスが、ぽつりと言った。
「グレイド、いつも不満だな」
「ああ、不満だ」
グレイドが息を吐いた。
「だがな、しょうがないことは、わかってる」
グレイドの目がレイを見た。
「お前を守る仕事、ってことだろう」
レイは何も言わなかった。
ただ、頷いた。




