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第29話 旅立ちの朝

街道を馬車が進んでいた。


窓の外を王国の風景が流れていく。


緑の丘。


小さな村。


畑を耕す人々。


レイはそれを見ていた。


朝、馬車が王都の門を出た。


それから半日が経っていた。


昼を過ぎ、傾きはじめた日が街道を橙色に染めていた。


馬車の中には三人がいた。


レイ。


向かいにヴィクター。


そして御者の隣には護衛が一人座っていた。


護衛は寡黙な男だった。


公爵家の、信頼できる剣士だという。


道中、ほとんど口を開かなかった。


ヴィクターも、ほとんど何も言わなかった。


姿勢がよかった。


膝の上で両手を組んでいた。


時々その目がレイを見た。


そしてすぐに伏せた。


レイはそれを知っていた。


気にしてはいなかった。


ただ窓の外を見ていた。


風が馬車の窓から入ってきた。


頬を撫でた。


昨日の朝も、王都を出る時、同じ風が吹いていた。


あの時、レイは馬車の中で母を呼んだ。


「母上」


「行ってくる」


声には出さなかった。


口の中で、もう一度唱えた。


母はもういない。


しかし、風はある。


レイの目の奥がわずかに和らいだ。


ヴィクターが口を開いたのは日がさらに傾いた頃だった。


「レイ様」


レイが窓の外から視線を戻した。


「うむ」


「ベルナード様より、お言伝がございます」


レイは黙って、続きを待った。


「最初の宿場町で、冒険者パーティが合流いたします」


「冒険者」


レイの口角がほんの少し動いた。


「ゼラック商会まで、護衛として同行する手筈です」


「腕利きの方々と、聞いております」


レイはまた窓の外を見た。


百年前の記憶がわずかに動いた。


百年前。


私は何度か冒険者と旅をした。


彼らは気のいい連中だった。


レイの目の奥がもう一度和らいだ。


「楽しみだ」


ヴィクターがわずかに目を見開いた。


それから頷いた。


「左様でございますか」



夕方、馬車が宿場町の入り口に着いた。


小さな町だった。


しかし、街道沿いの要所として、よく整えられていた。


旅人の姿が多かった。


人間も、エルフも、ドワーフもいた。


レイの知らない種族も混じっていた。


馬車が宿の前で止まった。


三人の冒険者が待っていた。


赤い髪の、大柄な男。


水色の髪の、女性。


銀色の髪の、エルフ。


グレイド、ミル、アルヴィス。


レイが馬車から降りた。


グレイドがレイを見て口元を緩めた。


「よお、坊主」


「元気そうじゃねえか」


「久しぶりだな」


ミルが両手を胸の前で合わせた。


「ご無事で、何よりです」


アルヴィスが丁寧に頭を下げた。


「ベルナード公爵から、ご依頼を承りました」


「商国まで、お供いたします」


「うむ」


「世話になる」


ヴィクターが馬車から降りた。


「皆様、どうか、レイ様をよろしくお願いいたします」


グレイドがヴィクターの方へ頷いた。


「任せとけ」


「公爵様にも、よろしく伝えてくれ」


ヴィクターが深く頭を下げた。


それから、レイの方へ向き直った。


「レイ様」


レイがヴィクターを見た。


「ここまでで、私はお役御免でございます」


「私は王都へ戻ります」


「ベルナード様のもとへ」


レイがしばらく黙った。


「ヴィクター」


「はい」


「世話になった」


「いえ」


ヴィクターが首を横に振った。


それから、深く頭を下げた。


「アルテナ様の、息子でいらっしゃいます」


「本当に本当にとんでもない御方ですよ」


レイは何も言わなかった。


ヴィクターの目を見ていた。


「これからも、どうか、お達者で」


「いつか、王都で、お会いいたしましょう」


「うむ」


ヴィクターが馬車に戻った。


護衛も、馬車に乗った。


御者が馬の向きを変えた。


馬車が来た道を引き返していった。


レイがしばらくそれを見送った。


王都の方角。


ベルナードがいる。


フェリクがダルゴアに戻る。


アシェも、村に戻る。


皆、あの方角にいる。


しかし、私は東へ行く。


レイが向きを変えた。


「さて」


グレイドが両手を腰に当てた。


「まずは宿だな」


「飯も、食わなきゃならねえ」


ミルが頷いた。


「お部屋を押さえてあります」


「食堂も、開いておりますよ」


アルヴィスが地図を軽く広げた。


「明日からは街道を東へ進みます」


「商国の国境まではおおよそ十日の行程です」


「うむ」


四人が宿の中へ入っていった。



宿の食堂はこぢんまりとしていた。


木の机がいくつか並んでいた。


他の旅人も、夕食を取っていた。


笑い声が時々上がった。


四人は奥の机に座った。


スープとパンと、煮込み肉が運ばれてきた。


グレイドが肉にかぶりついた。


「うまい」


「街道沿いの宿は当たり外れがあるからな」


「ここは当たりだ」


ミルがふっと笑った。


「グレイドはいつも当たり外れの話ばかりですね」


「だって、大事だろ」


「飯がまずいと、戦う気にもならねえ」


「ふふ」


アルヴィスがスプーンを置いた。


「失礼ですが、レイ様」


レイが顔を上げた。


「お一人で、商国までお越しになるご決意」


「立派なことと、思います」


レイが首を傾げた。


「立派、というほどでもない」


「ただ、行くだけだ」


グレイドが肉を噛みながら笑った。


「お前、本当に変な貴族の子だな」


「そう言われる」


「貴族の坊主はもっとふんぞり返ってるもんだぜ」


「『私は貴族だ。お前ら、頭を下げろ』とかな」


「私はそういうことは言わない」


「だから、変だっつってんだ」


ミルが笑った。


「ふふ。これから、よろしくお願いしますね、レイ様」


「私の方こそ」


アルヴィスが地図をもう一度広げた。


「商国までの道のりは長いです」


「気を引き締めましょう」


レイが頷いた。


食事が終わった。

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