第27話 行ってこい
涙の跡を袖で拭った。
それから、深く、息を吐いた。
「レイ」
レイがベルナードを見た。
「お前は王都にもういられん」
「王子はお前の名前を忘れないといっていたな」
「儂がなんとかして奴と争うことはできる。王子をケガさせた話も、お前の不利にはさせん。どんな手を使ってもな」
「しかし、お前を守るためにはお前を王国の外に出ていた方がいい」
「外に?」
「ああ」
ベルナードが机の上に地図を広げた。
「ここから、南東に進むと、グランゼル商国がある」
「商国」
「商人の国だ。差別は少ない。金が物を言う国だ」
レイは静かに耳を傾けた。
「儂が知り合いの商会に紹介状を書いておく」
「ゼラック商会だ」
「あと、腕利きの冒険者パーティにも同行してもらうよう手配しよう」
レイの瞳がわずかに揺れた。
百年前の記憶が動いた。
ゼラック。
百年前の側近。
国の金を盗んでしかし、百年前、私に救われ、忠義を誓った男。
その商会がまだ続いているのか。
しかし、レイは何も言わなかった。
ただ、頷いた。
「商国でしばらく過ごせ」
「お前は王国を出ろ」
「だが、いつか、戻ってこい」
「アルテナのことは儂が必ず、片をつける」
「お前の母を殺した連中を儂が必ず、見つけ出す」
「だから、お前はお前の道を行け」
ベルナードの声は静かだった。
しかし、そこには決意があった。
「アルテナの時とは違って、儂も好きなだけ干渉させてもらうがな。何を言っても聞かんだろうが。儂を頼れよ、レイ」
レイが深く、頭を下げた。
「お祖父様」
ベルナードが目を細めた。
「お会いできて、嬉しくおもう」
「……儂もだ」
ベルナードが机の引き出しから、小さな袋を取り出した。
中に金貨が入っていた。
「これは餞別だ」
レイが両手を差し出した。
「儂のためではない」
「アルテナのためだ」
ベルナードが袋をレイの手に置いた。
「行ってこい」
レイがその袋を両手で受け取り、深く頭をさげた。
「ありがとうございます、お祖父様」
「うむ、ではないのか」
「うむ」
ベルナードがふっと笑った。
しかし、その目にはまだ何かが滲んでいた。
執務室を出ると、フェリクとアシェが廊下で待っていた。
二人とも、不安そうな顔をしていた。
レイが二人に近づいた。
「明日、王国を出ることになった」
フェリクが目を見開いた。
「明日?」
レイが頷いた。
「そんな、いきなり……」
「王子の件で祖父が王国を出ろと言った」
フェリクが息を呑んだ。
「商国に行く」
アシェが何も言わなかった。
ただ、レイを見ていた。
その夜。
公爵家の庭で三人は最後の時を過ごしていた。
夜空には星が輝いていた。
魔石ランプの、淡い光が庭を照らしていた。
フェリクがぽつりと言った。
「俺、ダルゴアに戻って、もっと色んな事を学ぼうと思う」
レイが頷いた。
「兄貴がいるから、俺は次男のままだけど、家のために、できることはある」
「……」
「いつか、サングラディアにも、行ってみたい」
レイがフェリクを見た。
「ハクレン王の作った国だろう。お前みたいな変な奴がいっぱいいるんだろうな。一度、見てみたい」
レイの目の奥が、わずかに動いた。
「またお前と、また会いたいな」
「うむ」
フェリクがレイを見た。
「お前は本当に変な奴だ」
「よく言われるな」
「でも」
フェリクが少し、笑った。
「お前と出会えて、よかったよ」
レイの目の奥がわずかに和らいだ。
アシェがぽつりと言った。
「あたしも、ダルゴアに戻って、お父さんとお母さんのお店の手伝いをもっとちゃんとするわ。世界には素敵なものがいっぱいあって、売れるものがいっぱいあるってわかったからね」
アシェが夜空を見上げた。
「あんたがいなくなるのは寂しいわ」
レイは何も言わなかった。
「……でも、しょうがないわよね」
「うむ」
アシェの尻尾がゆらりと、揺れた。
帽子はもう被っていなかった。
王都の外、公爵家の庭の中なら、隠す必要がない。
レイがアシェを見た。
「アシェ」
「何?」
「ご両親を大切にな」
「うん」
「いつか、また会おう」
「うん」
アシェが頷いた。
それから、フェリクの方を見た。
しばらく、黙っていた。
それから、ぽつりと、言った。
「フェリク」
「ん?」
「あんたは本当に変わったわよね」
「うるさい」
フェリクが顔を背けた。
「次に会う時はもっとましな俺になってる」
「ふうん」
アシェがふっと笑った。
「楽しみにしてる」
「うん」
しばらく、沈黙があった。
それから、フェリクが小声で言った。
「アシェ」
「何?」
「……また、会いに行く」
アシェがフェリクを見た。
「絶対に」
フェリクの顔が赤くなっていた。
しかし、その声は震えていなかった。
アシェがしばらく、フェリクを見ていた。
それから、ふっと笑った。
「……バカ」
「うるさい」
「待ってるわよ」
アシェの尻尾がふさっと、揺れた。
レイが二人の少し後ろで夜空を見上げていた。
それから、ふとフェリクの肩を軽く叩いた。
フェリクが驚いて、レイを見た。
「な、なんだよ」
レイは何も言わなかった。
ただ、フェリクを見て、ほんの少しだけ、口角を上げた。
それはベルナードと別れた時にも、見せなかった笑みだった。
「健やかにな」
翌朝。
公爵家の馬車が王都の門を出た。
レイは後ろにヴィクターと、護衛を一人だけ連れていた。
ベルナードは屋敷の窓から、見送っていた。
その姿はレイには見えなかった。
しかし、馬車が遠くに離れていく時、ベルナードがぽつりと、呟いた。
「……アルテナ」
「お前の息子はとんでもない奴だ」
「だが」
「よくやった」
その目にはまた、涙が滲んでいた。
しかし、頬を伝うことはなかった。
馬車が街道を進んでいた。
レイは窓の外を見ていた。
王国の風景が後ろへ流れていく。
レイが小さく、呟いた。
「母上」
「行ってくる」
風がレイの頬を撫でた。
優しい風だった。
母が好きだった、あの風だった。
馬車が商国へ向けて、走っていく。
レイの旅が本当に始まった。
帝国の方角では誰かがレイのことを感じ取っていた。
しかし、レイはまだそれを知らなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
これにて第1章は完結となります。
少しでも楽しんでいただけましたら、
ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。
次章も引き続き投稿していきますので、
よろしければまたお付き合いください。




