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第26話 アルテナの選択

ベルナードがふっと笑った。


しかし、すぐに表情を戻した。


「儂はひどく怒った。家から出すなと言いつけた」


「うむ」


「しかし、アルテナは聞かなかった」


「一人娘は家を飛び出して、冒険者になった」


「儂のところに二度と帰ってこなかった」


ベルナードが目を閉じた。


「儂が最後に見たアルテナは家を出る時の、後ろ姿だった」


「うむ」


「アルテナの噂を聞いた」


「儂がサングラディアについて教えていたのが悪かったのかもしれん」


「アルテナは冒険者として、サングラディアに行ったらしい、と」


「ハクレン王の作った国に感銘を受けたらしい、と」


「人間の冒険者と結婚して、子供を産んだらしい、と」


ベルナードが、しばらく、目を、閉じた。


それから、静かに、言った。


「アルテナは、よく、口にしていた」


「『シグナ・グレ・トゥムス』、と」


「百年前、ハクレン王が、戦友や民に、贈った言葉だ」


「サングラディアの歴史書に、記されている」


「『今を、精一杯、生きよ』」


「そういう、意味の、鬼族の祈りだ」


レイは、何も、言わなかった。


ただ、深く、頷いた。


百年前、自分が、無数の人に、贈った言葉。


それが今、祖父の口から、自分への語りかけとして、聞こえている。


レイの胸が、わずかに、痛んだ。


しかし、息を、整えた。


逸らす。


奥に、届かせない。

ベルナードの声がわずかに震えた。


「儂は何もしてやれなかった」


「アルテナの選択を尊重するしかなかった」


「だから、お前のことも、秘密にしてきた」


「アルテナの意志を汚さないように」


レイは何も言わなかった。


ただ、ベルナードを見ていた。


ベルナードが目を開けた。


それから、深く、息を吐いた。


「お前のことだが」


レイが目を上げた。


「アルテナの、死のことだ」


レイの目がわずかに細くなった。


「事故ではないと、お前は感じていたな」


「うむ」


「なぜわかった」


「都合が良すぎた」


「ふむ」


「母上は誰かに恨まれるような人ではなかった」


「だが、急に馬車が事故を起こした」


「不自然だ」


ベルナードがしばらく、レイを見ていた。


「……お前は本当に子供か」


「私はレイだ」


「そうだな」


ベルナードが机から、書類を取り出した。


封がされた、古い書類だった。


「これは儂が密かに調べさせていた、アルテナの死の記録だ」


レイは黙って、書類を見た。


「結論から言う」


ベルナードが息を、短く吐いた。


「アルテナは暗殺された」


レイの瞳がわずかに揺れた。


しかし、すぐに戻った。


「驚かないのか」


「そう感じていた」


「……」


ベルナードが深く、息を吐いた。


「犯人はわからん。証拠もない」


「ただ、状況から推察するに差別主義の派閥の貴族が関与している可能性が高い」


「アルテナが獣人や他種族と親しく関わっていたことを快く思っていなかった連中だ」


レイは無言で頷いた。


「儂は奴らを許せん」


ベルナードの拳が震えていた。


「だから、お前を公爵家に置けなかった」


「儂のもとに置けば、お前も、狙われる可能性があった」


「ダルゴアの男爵家に預けたのはお前を守るためだ」


レイは静かに頷いた。


「すまなかった」


ベルナードが頭を下げた。


「儂はお前の母を守れなかった」


「お前を見えるところで育てることもできなかった」


「この国で権力があるだけの儂は一人娘も守れず、何もできなかった」


レイの胸がわずかに痛んだ。


ベルナードの言葉が、奥まで、届きそうだった。


心臓が、わずかに、跳ねた。


母上の顔が、目の前に、戻ってきていた。


息を、ゆっくりと、吸った。長く、吐いた。


胸の痛みが、ゆっくりと、引いていった。


心臓の跳ねが、収まっていった。


しかし、揺れは、消えなかった。


——お祖父様の言葉は、本物だ。


だからこそ、こちらも、本物で返さなければならない。


レイはしばらく、ベルナードを見ていた。


それから、淡々と、口を開いた。


「お祖父様」


ベルナードが顔を上げた。


「母上はお祖父様を恨んでいなかった」


「……」


「母上は自分の選択を誇っていた」


「冒険者になり、父上と出会い、私を産んだことを誇っていた」


「お祖父様が家から出すなと言ったから、母上は冒険者になれた」


「家を飛び出して旅をして自分の道を見つけた」


「お祖父様はやろうと思えば、強制的に家に連れ帰って閉じ込めておくこともできたろうに」


「だから、お祖父様は何もできなかったのではない」


「お祖父様は母上の道を作ったのだ」


ベルナードがしばらく、動かなかった。


それから、目を閉じた。


肩が震えていた。


「……アルテナのやつめ」


「儂の孫になんてことを言わせるのだ」


しかし、その目から、涙が一筋、流れた。


頑固な老人の頬を伝った。


ヴィクターがそっと目を背けた。


しばらくして、ベルナードが目を開けた。

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