第2話 私は一度死んでいる
私は一度死んでいる。
一歳の時だ。
医者が頭を下げ、母が泣き崩れた、その瞬間。
私の中に、別の魂が、流れ込んだ。
百年程前、サングラディアの王だった、白鬼。
ハクレン・エーテルヴァルトの、魂。
赤ん坊の私は、まだ、私ではなかった。
言葉も、知らなかった。
名前も、覚えていなかった。
だから、流れ込んだ魂は、満ちた。
小さな身体の、すべてを。
──私は、ハクレンとして、目を開けた。
私の名前はレイ。
アルヴェリア王国の辺境、ダルゴアという冒険者の街で生まれた。
父は人間の冒険者だった。
私が生まれる少し前、流行り病で他界した。
「無事に生まれてくれよ」
それが父が母に残した最後の言葉だったという。
私は父の顔を知らない。
母から聞いた話と、家に飾られた小さな肖像画でしか、知らない。
母の名前はアルテナ。
長い赤毛の、優しい人だった。緩くウェーブした髪をふわりと結んでいた。緑の瞳が私を見つめていた。
そして、強い人だった。
夫を失い、生まれてくる子供を一人で育てると決めた、若い母親。
それでも、母は笑っていた。
「あなたが生まれてきてくれて、本当に嬉しいの」
そう言って、私を抱きしめてくれた。
しかし、私は生まれた時から、健やかではなかった。
身体の中の魔核が脆かったのだ。
人間にも、魔核がある。
体内のエネルギー循環に必要な、小さな器官。
私のそれは生まれつき、不安定だった。
赤ん坊の頃から、何度も発作を起こした。
突然高熱を出した。
突然呼吸が苦しくなった。
突然身体が痙攣した。
医者は何度も首を振った。
「この子は長くは生きられません」
母はそれを聞いても、諦めなかった。
夜通し、私を抱きしめて、看病し続けた。
何日も、眠らない夜があった。
「私が二人分より大きい愛情をあげるからね」
そう、何度も呟いていた。
父の分も、自分の分も、すべて、私に注ぐ、と。
そして、一歳の時。
最大の発作が起きた。
魔核にヒビが入った。
心臓が止まった。
医者は頭を下げた。
「ご臨終です」
母は信じなかった。
「いいえ、まだです」
「奥様、これは——」
「まだ息をしているはず」
母は私の小さな身体を抱きしめた。
「レイ、レイ、目を開けて」
「お願い、目を開けて」
返事はなかった。
母の頬を涙が伝った。
「お願い」
「お願い」
「私を一人にしないで」
その時。
私の中で何かが目を覚ました。
百年前の記憶が、すべて、戻ってきた。
サングラディアの王として生きた日々。
スタンピードで、私は、自爆し、魂となって、消えたはずだった。
その魂が、死にかけていた赤ん坊の身体に、流れ込んでいた。
魔核調整能力が、脆い魔核を、繋ぎ止めた。
止まっていた心臓が動き始めた。
弱々しく、それでも、確かに。
胸の奥に、温かいものが灯っていた。
魔核だった。
百年前と、同じ場所にある。同じように脆い。
しかし、違った。
百年前の体は白鬼だった。鬼族の頑健な肉が魔核の脆さを支えていた。骨があり、筋肉があり、皮膚があった。内側のものを守っていた。
この体は人間の赤ん坊だった。
頑健な土台はなかった。脆い魔核は、ほとんど剥き出しに近い。
百年前より不安定。百年前より危うい。
——感情を強く動かしてはならない。
心臓が跳ねれば魔核が反応する。息が浅くなれば魔核が悲鳴を上げる。最悪の場合、心臓が止まる。
百年前、白鬼の体で身につけた知恵があった。
胸の痛みを奥に届かせない呼吸。揺れを逸らす感覚。
それは、白鬼が、戦場で生き延びるための、古い知恵だった。
百年経っても、その知恵は、レイの中で、生きていた。
それをもう一度、この体で磨かなければならない。
百年前より、強く、深く。
そうしなければ、生きられない。




