鍛冶師リュウレイ(37)
「ハァ! ヤァッ!!」
張り詰めた空気を切り裂くかのように、鋭い少女の掛け声が静かな森の中にこだまする。その声を体現するかのような迷いのない動きで、向かい合うもう一人の長身の少女リュウレイに小兵の少女カンショウが挑みかかる。
先ほどとは違い、防戦一方に回るリュウレイはスキのない動きで攻撃を繰り出すカンショウを一歩も引くことなく、すべて受け流していた。その眼には文字通り別人のように生まれ変わった勢いを示す、無垢なる姿のカンショウの躍動が焼き付いていた。
守りを捨てた全力の攻撃にもかかわらず、カンショウは息切れすることなくその切っ先ははますます鋭さを増していく。
退くことなくまさしく大きな壁として目の前に立ちはだかるリュウレイ。常に自分を圧倒するその勇ましい姿に大粒の汗をしたたらせたカンショウの顔にはいつしか笑みが浮かんでいた。
それは真に自分が目指すべきもの見つけた人間にしか理解できない感情だった。どんな手段を尽くしても、自分の持つすべてと引き替えにしても惜しくない存在そのもの。それがカンショウにとってはリュウレイその人だったのだ。
――やっぱり、姐さんはすごい……。そして私はそんな姐さんが大好きなんだ!
左の下段を打ち込むと見せかけて、右の袈裟懸けを切り込むカンショウ。全力のその一撃を受けたリュウレイは無言のまま、それを打ち払った。
身軽なカンショウは後方に飛びのいてその勢いをしのぎ切る。今までの自分には到底できなかったことも今ならできる。そんな自分でも理解出来ないくらいの自信が心の中を支配している。
それはまるでこの世非ざる存在が自分の願いを叶えてくれているかのようにも思えた。しかし、物事には限界がある。リュウレイとの稽古は既に二度目。最初の時でさえ、カンショウは全身の体力を振り絞り、リュウレイに挑んで負けた。
今の自分は限界を超えた力をふるっている自覚がある。それでも、守りを固めたリュウレイ相手には通じることなく、押し返されてしまった。このままでは、リュウレイが攻めに出れば簡単に逆転されて、先ほどと同様に押し込まれてしまうだろう。
リュウレイが攻めに出ない理由は簡単、汗まみれの丈夫な作業服を脱ぎ捨ててまで挑むカンショウの身を案じてのことだ。リュウレイはカンショウを守りこそすれ傷つけるつもりはない。たとえ自分が多少の傷を負おうとも妹分であるカンショウには傷一つつけたくはないのだ。
激しい呼吸を繰り返すカンショウの体にさらなる力が流れ込んでくる。これだけの力があればもう少しくらいは無理がきくだろう。だが少しだけではだめなのだ、冷静に見ればリュウレイはカンショウと同じく木剣一つで身を守り攻撃をしのいでいるにすぎない。
うまく攻めれば必ず突破口はある、そう信じなければ自分に期待してくれるリュウレイの思いにこたえることは到底できない。
額を流れ落ちる汗を拭い去り、カンショウはちらりと自分の体に視線を落とす。白い日の光に照らされたほのかに色づく素肌がまるで宝石のようにキラキラと輝いている。今の自分は彼女の眼にはどんな風に映っているのだろう。
同性とはいえ、こんな無防備な生まれ姿を晒してまで勝ちたいと思うのは愛しいリュウレイその人だけだ。今のカンショウに羞恥の心などどこにもなかった。
望むのはただ一つ、リュウレイその人に自分という存在を認めてほしいという渇望それだけだ。狂おしいまでの恋心にも似たその憧れはこれから長い人生の中で大きな意味を持つ。
無垢なる純粋な魂を手にした木剣に込めて、カンショウは半ば悲鳴を上げ始めた全身を奮い立たせて、再びリュウレイに挑みかかる。
「まだまだ止まりませんよ!」
「お前が気のすむまで付き合ってやる! 来い、カンショウ!」
「はい!」
先ほどより、半歩でも前に進もうと決意したカンショウの突進はすさまじかった。華奢な体のどこにそんな力が残されているのかと疑いたくなるほどに。体を逸らすことでその勢いを殺したリュウレイもまた、今度は前に出る。
それを見たカンショウは手数を減らしながらも、リュウレイのうち懐に入り込もうと必死の攻めに出る。守りを考慮しないその動きにリュウレイは内心舌打ちをしていた。
尋常な勝負であれば、これがいかに異常な状況であるかわかることだ。いくら稽古とはいえ、カンショウの動きは人のそれを超えつつある。それは体力の限界であったり、恐怖心や焦りといった感情、肉体の疲労にも大きく左右されるものだ。
それを補うものは経験であったり日々の鍛錬、それらに裏打ちされた自信でもあるだろう。
しかし、目の前のカンショウは違う。彼女は今、自分が持つ実力以上の何かに支えられてリュウレイに挑んでいるのだ。そしてその正体をリュウレイやリュウフォンはよく知っている。
いや、この白の山嶺に生きるものなら誰もが多かれ少なかれその影響を受けて暮らしているのだ。この世の始まりより世界に普く遍在するそれは――。
――間違いない、カンショウのやつ。炎の精の加護を受けている、それも普通の人間では考えられないくらいに強い力を使いこなしているのか?
叩きつけられる一撃の重みを実感しながら、リュウレイはそれを押し返して目の前のカンショウに迫りゆく。それを見てもカンショウは引きことなくさらに、自分も一歩踏み出そうと太刀をふるい続けている。
違和感は最初からあった、初めて手合わせした時と比べて彼女の動きには躊躇いがなかった。足遣いや太刀さばきは慣れない長さの木剣を初めて使ったにしては上出来の部類だろう。それにしては一度敗れているリュウレイ相手に何ら臆することなく、挑んだ時点で既におかしかったのだ。
育ちのいいカンショウの性格からして、もう少し慎重にこちらの出方を見るとリュウレイは踏んでいた。
しかし、その予想は大きく外れ、リュウレイは本気ではないにしろカンショウの動きに驚きつつ、最初の対決を制した。そこで終わると思っていたら今度は試したいことがあると言い出して、自分の着ていた服を全部脱ぎ捨てて捨て身で挑みかかる。
その時、わずかにその答えを垣間見た。白く透き通るようなカンショウの白い素肌の上に赤く煌く何かが集い始めたことに。
義姉の姫長メイシャンの加護を受けるリュウレイだが、その加護を意識して使ったことは一度もない。
リュウレイが恩恵を受けるのは心身の強化のみだろう。それは過酷な鍛錬や日々の仕事を耐え抜くことに十二分に役立っている。
同じ加護を受けるリュウフォンもまた、違いこそあれ歌姫としての力を行使する際や炎の精に呼び掛けその力を利用するのに役立てている。リュウフォンの場合は風の精に呼び掛けるのと同じ感覚で本能的にそれを使いこなしている。
では炎の民の加護を受けない普通の人間はどうか。実は程度の差こそあれ、この世界に生きている時点で炎の精とともにその影響を受けて生きている。特に聖地と呼ばれるほどに強い力の集う地に生きる人々はほかの人々に比べて頑健で優れた能力に秀でている。
それも皆、この世を生み出したとされる炎神の加護の賜物。その寵愛全てを一身に受ける者こそが炎神の末裔たる炎の民。その炎の民から一滴の神の加護を受けるものが炎の眷属という存在。
今のカンショウはほかの人間たちより炎の加護を受ける受け皿が大きくなっている状態だ。それが大きいほど本人の受ける恩恵は強くなる。しかし、それは諸刃の剣も同じこと。
炎の民は強い肉体とそれに見合う力を持つがゆえに、神の加護を十分すぎるほど使いこなしている。一方のカンショウは多少の心得はあっても、リュウレイから見れば体力に劣る。
義母リュウメイや鍛冶師の先輩たちに鍛え上げられたリュウレイはとしょせん土台が違いすぎるのだ。偉大なる鍛冶師である義母や大先生の後を目指し、そして恩人であるリュウシンの家族を守るために自分を鍛え続けたリュウレイ。
同じく炎の加護を受けるものとして、両者の差はあまりにも隔絶していた。
一瞬、カンショウの切っ先が鈍ったのを見たリュウレイは舌打ちして、勝負に出る。これ以上、カンショウに無理をさせては取り返しがつかないことになりかねない。単なる稽古でこの大事な妹分を失うなど、あってはならないことだ。
リュウレイはこの村の人々がいかに自分とリュウフォンを大事にしてくれているのかを身に染みて知っている。その思いを知るがゆえに、リュウレイはカンショウのことを何より大事に思っていたのだ。リュウレイ自身にはその自覚なくとも、すでに守るべき身内としてカンショウのことを認めていたのだから。
「そこだ!!」
「あうっ!」
木剣で受けた一撃を強引に切り落とし、体勢を崩したカンショウの体を抱き留める。
「稽古はここまでだ、よく頑張ったな。お前は自慢の妹分だ、褒めてやるぞカンショウ」
「リュウレイ姐さん、私……んっ!」
片腕で抱きしめたカンショウの唇をリュウレイが奪い去る。これがリュウレイなりのご褒美というやつだ。まあ、九分九厘自分の欲望を満たす行為だが、これくらいならカンショウも不満はあるまい。
腕の中のカンショウの体から次第に力が抜けていくのを感じ、そっと唇を離すと今にも崩れ落ちそうな様子のカンショウがいた。
「大丈夫か? 大分無理をさせちまったみたいだしな」
自分を心配するリュウレイにカンショウは辛うじて、首を振る。おそらく緊張の糸が切れるのと同時に、炎の加護が徐々に消え去ったのだろう。
「ねえ、姐さん……私、ちゃんとやれていましたか?」
「ああ、なかなかのものだったぜ。けど、目の保養にはちょいと刺激が強すぎたかな?」
「ふふ……、ちょっと恥ずかしかったけど、姐さんに勝つにはあれしかないって思ったんです。結局また負けちゃいましたけどね――」
「もうゆっくり休め、私が運んでやるから」
リュウレイの言葉に安心したのか、カンショウはそれきり何も言わずに眠りについてしまった。その安らかであどけない寝顔に心惹かれつつ、隣に来たリュウフォンとともにほっと胸を撫で下した。
「カンショウ、頑張ってたね――。それだけリュウレイのこと大好きってことかな?」
「照れるな、それだけ思われていれば女冥利に尽きるってもんだけどな」
リュウレイが笑うと、リュウフォンもおかしそうに笑い返す。眠りについたカンショウだが、全身汗に濡れたままだ。このまま小川に連れて行き、体を拭ってやる必要がある。
それにリュウレイもそれなりに汗だらけ、着ている服もかなり汚れている。川で服を水洗いして、カンテラの火で乾かせばすぐに乾いてしまうだろう。
「こりゃ、工房に戻ったら親方に大目玉だな」
そういうリュウレイにカンショウの服を持ってきたリュウフォンがあきれたように笑いかける。
「けど、リュウレイなんだかとっても嬉しそう」
「フォンもな――」
「お互い様だな」
「「アハハッ!」」
ともに笑い合うリュウレイたち、リュウレイの腕の中で眠るカンショウはその胸元をつかみながら、そっとつぶやいていた。
「……リュウレイ姐さん、大好きです――」
緑濃き天蓋の上、白い雲が流れゆくその空を大きな鳥が気持ちよさそうに飛んでいた――。




