鍛冶師リュウレイ(36)
――…………!!
リュウレイが手にした木剣を引き抜くのと同時に、カンショウが素早く身を翻して後方に飛びのき距離を取る。思わずリュウフォンが息を呑むその先で汗にまみれた二人は荒い呼吸を繰り返しながらしばし向かい合っていた。
仁王立ちのリュウレイの視線の先には片膝をついて地面に座り込むカンショウの姿がある。体力のあるリュウレイより動きで自分の不利を補っていた彼女の額には文字通り大粒の汗が浮かぶ、滴り落ちる。
幾分、呼吸が整ってきたリュウレイは木剣を手にしたまま、カンショウに歩み寄り彼女に手の差し伸べた。
「よく頑張ったな、カンショウ。あれだけ動ければ上出来だ。これから鍛えがいがあるな」
「私の負けですね、リュウレイ姐さん」
リュウレイの手を取り立ち上がるカンショウは満足そうに微笑む。ふとリュウレイが視線を下げると、カンショウの右胸が大きくはだけ、小ぶりながらも形の整った白い胸元が露わになっている。一瞬、それに目を奪われるリュウレイ。
そんなリュウレイの視線に気が付き、自分の胸とリュウレイの顔を交互に見比べたカンショウはおかしそうに笑った。
「リュウレイ姐さんにまたやられちゃいましたね、私。これからどうしようかな? うふふ」
乱れた服装を直すわけでもなく、むしろそれを見せつけるようにカンショウはリュウレイを見上げる。そんな天真爛漫な妹分の態度にリュウレイはやや呆れ気味だった。
無事な二人のやり取りに近くで見守っていたリュウフォンはほっと胸をなでおろしていた。
「ふう、カンショウに怪我がなくて本当によかった――」
いくら風の加護とはいえ万に一つということもある。宙に浮かぶリュウフォンが音もなくリュウレイたちのほうに近づいていく。あの時、カンショウの木剣を弾いたリュウレイは自分の木剣で彼女の喉元を抑え込んで勝負をつけるつもりであった。
しかし、それを察したカンショウもまた勝負をあきらめずに弾かれた木剣を引き戻しつつ、リュウレイめがけて一歩踏み込む形となった。それを見たリュウレイが一瞬動きを止めると、突き出された剣を交わしきれずにカンショウは前のめりになってしまう。
激しい動きでわずかに緩んだ作業着の中をリュウレイの剣が貫いて、その勢いに押されたカンショウが後ろに退いたのが先ほどの真相であろう。
「カンショウも凄かったね! リュウレイ相手にあそこまでできるとは思わなかったよ」
リュウフォンがその頭をなでると、カンショウはくすぐったそうに笑っていた。
「私なんてまだまだです。リュウレイ姐さん、全然本気じゃなかったし」
むしろ初めて会った時のほうが怖かったですと当時の気持ちを吐露した。
「……あの時は悪かったよ。馬鹿なことしなくて本当に良かったと思っているんだからな」
リュウレイがバツの悪い顔をすると、カンショウは首を振ってそれを否定する。
「悪かったのは私たちのほうです、姐さんの気持ちも知らないで好き勝手なことばかり言っていたんだから……。あの時は本当にすみませんでした」
カンショウが頭を下げるとリュウフォンがそれを止めさせた。
「ああもう、二人ともそこまで! 済んだことなんだから!! それより、二人ともそんなに汗掻いたんだから、水浴びして戻ろうよ。この近くに私とリュウレイしか知らない穴場があるし、ね?」
「ああ、そうだな。そうするか」
はじめからこの流れに持って行くつもりで、わざと稽古に誘ったのはリュウレイたちの阿吽の呼吸のもたらした結果だったのは秘密だ。まあ、こんな下らない小細工をしなくても、素直に誘えばカンショウなら必ず乗ってくるだろうとの予想はついた。しかしそれでは面白くないのでそれなりの理由を作ったのだ。
すっかりその気になって、この深い森を流れる小川のほうにリュウレイたちが向かおうとしたその時、カンショウが声を上げて二人を止めた。
「あの、待ってください! 二人ともちょっといいですか!?」
「ん、まだ何かあるのか?」
呼び止められたリュウレイたちが振り返ると木剣を握ったままのカンショウがためらいがちに視線を背けていた。
「もう少し、私に付き合ってもらえませんか? 試してみたいことが……あるんです……」
最後のほうは声が小さくなって聞き取りづらい。おまけにカンショウは顔を真っ赤にしている。汗をかいて風邪でも引いたかなと心配になったリュウレイが近づくと、それを待ち構えていたかのように、カンショウは蝶結びの帯紐を握り振りほどこうとする。
その動きに嫌な気配を察したリュウレイが思わずカンショウの手を握る。
「待て! お前こんなところで何するつもりだ!?」
声を上げたリュウレイにカンショウは赤く上気した顔でぎこちない笑みを浮かべてこう答えた。
「試したいことの準備です……姐さんたちに付き合ったら汗もかいてしまいましたし、少しくらい私のわがままにも付き合ってくれてもいいじゃないですか?」
――しっかり見抜かれてます!
リュウレイとリュウフォン、二人ともカンショウの一言に気まずそうに視線を交わした。
リュウレイの手が離れたのを機にカンショウは近くの木立に歩み寄りそこに自分の木剣を立てかけると、腰の帯紐を解きすっかり汗を吸い込んで重くなった上着を脱ぎ出した。
どのみち、リュウレイたちに言われなくてもこんなに汗をかいていたら工房に戻った時にリュウシュンや親方たちに何があったのか、確実に詰問されるだろう。
こんなに汗臭くてはせっかく用意しておいた着替えも台無しになってしまう。
帯紐を四つ折りにしてきれいに畳んだ上着の上に置き、背後のリュウレイたちの視線を意識しつつ、作業着の下履きを脱ぎ去った。呼吸は落ち着いてきたとはいえ、まだ汗の乾ききらない体を直接照らす日の光は心地よく、吹き抜ける風はひんやりとしていて気持ちいい。最後に靴をそろえて立ち上がったカンショウは立てかけておいた木剣を手にリュウレイのもとに戻ってきた。
先ほどまで、若干気の抜けた表情をしていたリュウレイも木剣を握り占めたカンショウを見た途端、その目が細まり全身に鋭気が宿るのが見て取れた。
――やっぱりリュウレイ姐さんはこうでなくちゃ。
少し惚れ直しつつ、全身身を包むものを脱ぎ捨てた自分自身を意識しなおしてカンショウは深く息を吸い込む。
――思った通りだ、とっても気持ちが落ち着くし心地いい。それに何より……!
表情を引き締めたカンショウは右手に木剣を構えて、腰を落としリュウレイを見る。先ほどよりためらいなく自然とどう動けばいいのか、体が教えてくれる。
「リュウレイ姐さん! もう一指南お願いします!!」
「……来い!」
リュウレイはもう自分が裸でいることなど気にしていない、彼女は本物の強者だ。稽古とはいえ油断すれば命さえ落としかねないほどに――。
けれど、カンショウに不思議と恐怖はなかった。なぜなら、大気に満ちる何かが自分の中に流れ込んでくるのを肌で感じていたから。今のカンショウは全身に力が満ち溢れ、言葉には言い表せないほどの高揚感と興奮に包まれていたのだから。
先ほどまでの無力感と疲労はまるで嘘のように消え去り、カンショウは躍動する。その一撃は、先ほどとは別人のような鋭さを持ってリュウレイに打ち込まれる。
カンショウとリュウレイ、二人の激しい稽古はまだ終わってはいなかった――。




