鍛冶師リュウレイ(26)
それはいつものありふれた朝食、何の変哲もないある日の出来事であった。新築のリュウ家の母屋、その一階中心にある今の食卓の上に並べられた料理の数々。二月後に出産を控えた姫巫女メイシャンのために、リュウシュンやリュウレイ、それに村に戻っていた職人商人のセグレベや夫リュウシンの姉リュウメイ。それぞれが腕を振るった自慢の料理ばかりであった。
「…………」
大きくなったお腹の姫巫女様はその食卓の上を見つめていた、ただ呆然と――。漂ってくるのは食欲をそそる香りに温かい料理から立ち昇る湯気。一見すれば、誰もがその出来栄えに心奪われることであろう。しかし、人間よりも優れた身体能力を持ち、一際鋭敏な感覚を持つレゾニア人、その王族であり食事に人並みならぬ情熱を注ぐ姫巫女メイシャンは瞬時に理解してしまったのだ。ここにはあるものがないことを。
それは姫巫女にとって、世界の滅びより恐ろしいことであった。
「あの姫巫女様、どうかなさいましたか?」
普段通り、メイシャンを起こしに行ったリュウシュンが声をかける。今では仲の良い義理の姉妹もこの時はまだ主と侍女、それでも深い信頼関係で結ばれたリュウシュンにメイシャンは言った。
「お芋じゃ、お芋だけなじゃ」
「…………!」
顔を上げてこちらを見るメイシャン。そんな彼女を見たリュウレイは思わず息を飲んだ。
――目に光がない!!
いつも元気に振舞う姫巫女メイシャン。彼女の元気の源は言うまでもなく普段の食事だ。血の滴るお肉!焼いて香ばしい香りのお肉!! ぐっと味の凝縮された干し肉に燻製されたお肉もある!!!
しかし、この食卓の上にはどこにもない。自分の命の次にお肉の料理が大好きなメイシャンはまるで魂の抜け殻のように食卓に着いた。セグレベやリュウシュンがかわるがわる彼女を慰めようと色々話しかけるものの、帰ってくるのは上の空の返事だけであった。
心を粉々に打ち砕かれた感があるその時のメイシャンはためらうことなく、芋汁を口に運んだ。そして、とびっきり笑顔を浮かべてこうつぶやいた。
「おいしいのじゃ、すごくおいしいのじゃ! けれど、物凄く……ものすごく悲しいのじゃ、なぜわらわは泣いておる? これほどまでにうまいのになぜわらわの心は満たされぬのじゃ……。神よ、わらわの心を救ってくだされ……」
泣きながらも笑う、やはり食事は彼女にとって神聖なものこの上ない。メイシャンが涙を浮かべていたのはそこまでで、やがて気を取り直した彼女は食台の上にある料理を堪能しつくして、その朝の食事は終えた。上機嫌で食後の眠りについたメイシャンの眼にはうっすらと涙が浮かんでいたそうだ。
なぜこんなことになったかと言えば、その前日リュウ家の畑で一山も収穫された芋の大豊作に原因がある。お隣にもおすそ分けしても目減りしなかったそれは他の家でも取れまくり、この村始まって以来の出来事となった。普段はこの時期になるとふもとの町に卸していたが、その年は各農村でも収穫高が激増したことにより市場価格が大幅に低下。
その影響もあり、自家消費を余儀なくされたリュウ家ではリュウオウ出産の間近まで食卓には芋料理が並びつつけたのだった。
この悲劇を姫長メイシャンは芋事変と呼び、心の底から恐怖するようになった。その原因はこの北の大地に強い炎神の加護をもたらした自分自身にあるなどとは本人も思いもよらぬことであった。
… … …
「というわけでそれから毎年、この時期になると義姉さんも気が気ではいられなくなるんだよな。私は畑仕事、それほど嫌いじゃないから収穫の時には手伝いに出るんだよ。それをリュウフォンが嫌っているだけの話さ」
「……なんだか壮大なようで、大したことない落ちでしたね。リュウレイ姐さん――」
話を聞きながら、たどり着いた共同浴場の中でリュウレイに抱き着いたカンショウが呆れ顔でつぶやいた。そんな彼女の頭を撫でてやりながら、となりのリュウフォンに笑いかける。思いっきり苦笑いだが。
「私はお芋の料理好きだからいいんだけど、メイシャンやリュウサンを見てるといたたまれなくなってね……」
「姫長様にチビ姫様、そんなにお肉が好きなんですか?」
「大好きなんてもんじゃないな。仮にもし一食でも肉を切らそうものなら……」
そこで言葉を区切るリュウレイ、カンショウは思わず息を飲む。
「当代の姫巫女とその娘で炎神の御子。二人がその気になれば、この世なんて一瞬で焼き尽くされるってさ――」
「はい?」
この前の光の御柱騒動を知らないカンショウが笑顔で問い返す。いや、この村に来てから当時の真相を知り、半信半疑のまま偉大なる神の血筋を引く一族に改めて畏敬の念を抱いたばかりだ。ただでさえ、カンショウは姉姫一家のもとに寄宿している。
彼女たちでさえ、一般的な炎の民、すなわちレゾニア人を遥かに凌駕する力を持ち合わせているのだ。先のオルセイ・ビダルをして、自分たちなど単なる田舎貴族に過ぎないといわしめるほどだ。
ちなみに初代王と姫巫女レゾニアには三人の王女があり、長女レヴィアの直系はのちの王家へとつながり、次女フェレソスは北に領土を与えられてその子孫はその地で大いに栄えたという。かなり奔放で知られた末娘は中原南部を流れる大河以南の地を与えられたが、その詳細は分かっていない。というより歴史から抹消されたということだ。ゆえにここではその存在のみを記しておこう。
先ほどのリュウレイの発言は冗談にしても、姫長親子の力はそれほどに凄まじい。それゆえに厳しい制約もまた存在すると義姉は言っていた。元来、炎の民に与えられた力は自分たちを守り豊かになるべく神に授けられたものだ。それを私欲に用い民を虐殺したとなれば、いかに姫長と言えど神罰は免れぬという。というよりも本能的に出来ることとできないことを理解するのだという。人間とはいえ、遥か古来より炎の神を崇め奉り、その加護のもとに繁栄した人々。姫長にとってはこの地に住まう人々は苦楽を共にする身内のような温かい存在なのだから。
もっとも、お肉と芋事変のことは別らしいが。
「――考えてみれば、旧王国の時代ってすごかったんですね」
ともに辺境の地で生まれ育ったリュウレイやカンショウはその繁栄を伝え聞く程度だが、北の地に栄えたという栄華の都のことは義母リュウメイや村長、そのほかの人たちから詳しく聞かされていた。大陸中の娯楽が集まる歓楽街を擁し、なおかつ大陸で唯一剣闘場を要した在りし日の都。
莫大な富を持つ貴族商人たちが集い、その明りが絶えるときはなかったとさえいう。
… … …
風呂から上がり、姉姫の館へと戻るカンショウと別れたリュウレイはその後姿を見送りながら、リュウフォンに声をかける。
「それじゃ、私たちもそろそろ帰ろうか」
「うん、そうだね。今夜は何料理かな?」
「芋じゃないことだけは確か、だな」
「……もう少し捻りが欲しいかな、リュウレイ?」
少し距離を置いて先に行くつれないリュウフォン。足早に彼女を追いかけながら、リュウレイは微笑んだ。




