鍛冶師リュウレイ(15)
「うわあ、村が一望できる! いい景色ですねぇ――」
「……………」
東から昇る朝日に照らされた峰の頂、リュウレイとリュウフォンがいつも朝の遠駆けに選ぶその場所に雄大なる風景に心躍らせるカンショウとこれから自分が経験することを全く知らない無邪気な彼女の反応を無言で見守る二人の姿があった。
ちなみにリュウレイたちはもう遠駆けを済ませたその足で、薬草園のある姉姫アルスフェローの館を訪れて、まだ眠っていたカンショウを迎えに行っている。貴族の女性が好んで纏う薄絹の寝間着姿で迷惑そうな表情のルタが見送りに来たときはさすがに気まずかったものの、頂上まで連れてきたカンショウはそんなことは露知らず初めて見る景色に見入っている様子であった。
ここが自分の修行場となるとはまだ彼女に伝えていない。リュウレイが自力で上り下りできるようになったのは修行を始めて約一年後、十三歳の時には何とか朝ご飯に間に合うようにはなっていた。
「まあ、根性次第で何とかなるだろ?」
「それはどうかな――?」
あのリュウメイに鍛え上げられたリュウレイは別として、一人娘としてかわいがられてきた十五歳のカンショウにとっては大きな試練になることは間違いなさそうだ。それと並行して鍛冶師見習いとしての仕事や合間を見ての武芸の鍛錬、商人組合への荷運びなど。
カンショウが覚えねばならないことは山のようにある。
しばらくはリュウレイとリュウフォン。二人がつきっきりで面倒を看るしかなさそうだった。往きはリュウフォンがふもとからリュウレイたちを風で運んでくれた。帰りはリュウレイがカンショウを連れて一気に駆け下ることになっている。朝風呂の時間もあるし、あまりゆっくりしてもいられそうにない。
「それじゃ、そろそろ戻るか」
「カンショウはまだ慣れてないんだから、ほどほどにしてあげてね」
「わかってるって!」
昔、義母リュウメイに担ぎ上げられて置き去りにされた時の記憶がよみがえり、リュウレイの顔に怪しげな笑みが浮かぶのを見たリュウフォンは深いため息をついた。
「お――い、楽しんでいるところを申し訳ないけど、そろそろ村に戻るぞ!」
「あ、はい! わかりました、帰りもよろしくお願いします。姐さん方!!」
思った通り、これから何が起きるか理解していないカンショウは笑顔でリュウレイたちの方に頭を下げた。そんな無防備な彼女を肩に担いだリュウレイはいやらしい笑みを浮かべて呟いた。
「よし、それじゃ一気に行くから、舌をかまないように注意しろよ!」
「え?」
カンショウが間の抜けた声を上げたが構うことなく傾斜のきつい岩場を飛び降りるかのごとき速さで下り出す。体に掛かる重みを楽しみながら、リュウレイの身体は躍動する。
「え、ええええええええ!?」
悲鳴のような声を上げるカンショウ、しかしその声にはどこかこの状況を楽しむ余裕さえ感じられた。
「二人とも頑張ってね――!」
遠ざかる人影に向かい、頂から飛び立ったリュウフォンが歓声を送った。今日はこのまま距離を保ちながら、リュウレイたちの後を追いかけるつもりでいる。初めてできた妹分の晴れ姿をリュウフォンはその目に笑顔とともに焼き付けていた。
… … …
「もう最高の気分でした! 流石、私のリュウレイ姐さんですね! 尊敬してます!!」
「おいおい、はしゃぎすぎだろ?」
「ふふ、二人ともお疲れ様!」
ふもとにたどり着いたリュウレイたちは三人そろって村の共同浴場にいた。先ほどの興奮冷めやらぬカンショウは頬を上気させて、熱い湯船の中でリュウレイにその身を預けてきた。こうも懐かれるとかわいくなるのは人情か。
思わず苦笑いしながら隣のリュウフォンを見ると、若干うらやましそうにこちらを見ている。よく人見知りするリュウフォンだが、一度慣れてしまえば案外人懐っこい。
おまけに小さい子供たちのことは大好きだしよく面倒も見る。この村で年が近いのはリュウレイとリュウフォンだけだ。そこにカンショウが加われば、にぎやかになることは間違いないだろう。
工房の仕事は別にしても、これからはいろいろやることも増えそうではある。それが楽しみでもあり、若干不安を覚えるところではあるが。しかし、リュウレイには頼れる先輩たちが多くいる。工房では親方リコウたち、村の女衆ではリシンやカリンたち。
それに血のつながらない家族ではあるが、義姉メイシャンや義母リュウメイ。
皆リュウレイにいろいろなことを教え導いてくれた。今度はリュウレイがカンショウに教えてやる番だ。工房で一番の若手ということで、苦労してきたことが報われる。
こんな気持ちになるとは少し前までは思いもしなかったことだ。
今度はリュウフォンの豊かな胸に飛び込んだカンショウを見て、その微笑ましいやり取りを堪能しながらリュウレイは一人頷いていた。決してやましい気持ちなど微塵もない。……これっぽっちもだ。
「……なんだか、リュウレイの視線が怖いんだけど」
「え、そうなんですか? リュウフォン姐さん」
リュウレイをからかうリュウフォンにこれまた状況をよく理解していないカンショウが二人の顔を見比べている。
「いや、何もないぞ!そ、それより今日のことだけど、仕事前にカンショウの仕事着仕立ててやらないといけないな。あと、昼飯の後にみんなで村長様のところに行こう。昨日、リシン姐に聞いたら、少し落ち着いたらしいからな」
「そうなんだ、じゃあカンショウも村長のおじいちゃんに会えるね。よかったね、カンショウ」
リュウレイの言葉を聞いたリュウフォンが微笑むとカンショウは不思議そうにこちらを見つめている。まだ甘えるようにリュウフォンに抱き着いている彼女が眩しく見えた。
「村長様って、どんな方なんですか?」
「まずそこから説明しないといけないか……。リュウ家の三代前、義母さんのお祖父さんリュウエン様と並び称された稀代の名工、それが村長ゴウケイ様だよ。まだ王国が平和だったころ、鍛冶の腕を磨くために単身大陸の東方に足を延ばしてその地で十年近く修行してきたんだ。そういえばまだカンショウは大先生には会ったことないよな?」
「いえ、私があったことがあるのはリュウメイ様とリュウレイ姐さんたち村の人だけです」
そう答えるカンショウは話に興味を覚えたのか、リュウレイの隣に移動してきた。
「そうか、考えれば機会もなかったしな。大先生はリュウシン様とうちの義母さんの父親でリュウ家の先々代。今はふもとの町で商人組合や領主様の相談役みたいなことをしているんだ。だから時々しか村には戻ってこないけど、北の地の鍛冶師を束ねる元締めでもある。会っておいて損はないぞ」
「それに私のお父さんでもあるけどね」
笑ってリュウフォンが付け足す。それを聞いたカンショウはどこか寂し気な笑みを浮かべていた。そんな彼女をリュウレイは思わず抱き寄せてしまう。
「そんな顔するなって、私やリュウフォンも義姉さんや義母さんたちがいなければ天涯孤独の身だ。私にはリュウシュンがいるけど、それでも寂しいことに変わりはない。でもそこでくじけちゃだめだ。みんなで頑張ろうな」
「わたしもいっしょだから、ね?」
リュウレイたちに励ましを受けたカンショウは立ち昇る湯気の中、赤く上気した顔でリュウレイたちを見上げている。そこにいたのは誰にも言えない孤独を抱えた一人のか弱い少女だった。
「リュウレイ姐さん、リュウフォン姐さん……私二人のこと大好きです!」
「それは私たちも同じだよ。な、リュウフォン?」
「うん、先に言われちゃったけど……ね?」
恥ずかしそうに笑うリュウフォンと泣き虫なカンショウを挟み、リュウレイも笑みを浮かべる。新しい絆を育みつつ、三人の少女たちの朝は静かに過ぎてゆく――。




