誓いの日(10)
薄暗い洞窟の中、天井から染み出した水滴がしたたり落ちる。赤く光る小さなカンテラを腰から下げたリュウレイの先に、今は使われていない岩の牢獄が姿を現わした。太い鉄の棒を岩に突き立てて作られた牢は代々管理されて、今も使うことが出来た。
着の身着のまま、身一つでここまでやってきたリュウレイはためらうことなく牢獄の中に身を置いた。ひんやり暗くじめじめとした澱んだ空気が室内を満たしている。
リュウレイがおとなしく牢に入ったのを確認した鍛冶師カイユウは鍵をかけて、リュウレイの方を見た。
「お前がこんなところに入るとは、思いもよらなかったぞ。今晩、一人で反省するんだな」
「あいにく、過去は振り返らない主義だからさ! 時間があればやりたいことはあったし、今晩は一人でじっくり作業してみるよ」
悪びれもせずに笑うリュウレイを見て、カイユウは深くため息をついていた。
「中原の奴ら、これからどうなるのかな?」
ここに来る直前、親方リコウから受け取った道具類を取り出しながら、リュウレイが呟いた。
「どうにもならんだろうな。今まで自分たちで何とかしのいでいたがそれでもどうにもならなくなって姫長様の威光に縋ろうとしてきたんだからな」
虐げられた彼らの気持ちは理解できる。しかし、義姉の力とて万能ではない。おまけに小さい子供たちを抱えた一人の母親でしかないのだ。戦いが続く中原は別としても、北の地は五年前の戦いで多くの人が死んだ。それも王都を取り戻す戦いで、だ。
その後、盟主であった炎の王が倒れ、生き残った姫長メイシャンを頂点とする緩やかな領主連合が成立して現在に至る。
それは中原からの介入を防ぎ、北の地を何とか維持するための苦肉の策でしかない。
戦争の過程で滅んだ領主連合の前身、栄華の都を中心に栄えた貴族連盟の有力諸侯たちの一部でも生き残っていれば、状況はもう少し変わっていたはずだろう。力ある男たちは戦いに倒れ、あとに残るのは幼い子供を抱えた女たちばかりなのだから。
せめて、リュウオウたちが大人になるころには少しでも平和になっていてほしいと願うこともあるが、状況は混とんとして一寸先の未来でさえ闇に閉ざされていた。
カイユウが去り、カンテラのぼんやりとした赤い光が岩窟の中を余すところなく照らしている。リュウレイは時間を見つけて書き起こした図面を一枚一枚、確認しながら仕上げる細工を選んでいた――。
… … …
腹の虫が盛大になった。さすがに昼飯抜きはきついか、ただでさえ集中を要することだ。やはりやせ我慢は禁物。自分以外誰もいない岩牢の中で、リュウレイは何十回目かのため息をついた。しかしやることはやる、職人気質な自分の性格が恨めしく思えた。
リュウレイが細工の題材に選んだのは草花や身近な小動物など。女性が身に着ける装飾品に的を絞って作ることにしたのだ。
主に協力してくれたのは薬草園の中に綺麗な花を育てる姉姫アルスフェローや森を遊び場にするリュウオウたち村の子供たちなど。動物たちと意思疎通できるリュウフォンもそれに協力してくれた。
いずれはナルタセオやほかの商人たちに下せるような商品にするつもりだが、まずは義姉やリュウフォンといった身近な女性たちに出来栄えを見てもらうと思っている。
きっと皆に喜んでもらえるものを作ってみせる。そんな意欲がリュウレイを突き動かしていた。
そんな時、洞窟の中に人の足音が響いてきた。ゆっくりと歩くそれは女のものだ。
薄明りの中、近づいてきた人物を見たリュウレイは自分の感が正しかったことを悟る。
「やっぱりリュウシュンが来たのか……」
義姉の忠臣である、リュウシュン。今は食事をのせた盆を両手に抱えている。ここまで運んでくるのは大変だったろう。子供もいるし、他の女性たちに頼もうと思えばできたはずだ。他に目的があってきたのか、そう思い食事の入った器を受け取る。
「相変わらずね、義姉さんも心配していたようだから、今度はちゃんと反省なさい?」
「それだけか?」
「そうよ? どうかしたの」
「いや、別に話したいことがあってきたのかと思ってさ」
丁寧に包まれた焼き菓子を口に運ぶ。それを見ていたリュウシュンは座るのに手ごろな石を見つけて腰を下ろした。昔は姉妹でこうして向かい合ってよく話したものだ。
今はそんな暇はどこにもない。時の流れを感じ、二人ともしばらくは無言であった。
「レイが義姉さんのことで怒ったと聞いた時、やっぱり変わらないなって思ったのよ」
リュウレイが食べ終わったころ、リュウシュンはぽつりと言った。
「あの時のこと、まだ頭から離れないのか?」
リュウレイの問いかけにシュンはこくんと頷く。それを見たリュウレイはやりにくそうに頭をがりがりと掻いた。なんといっていいのか、思案しかねたからだ。慰めることも責めることも違うように思えたからだ。
「あの時から、リュウレイは。ううん、ラナは変わってないね」
「それを言うなら、セラだって変わらないだろ?」
かつて、この村に引き取られた姉妹は幼き頃の名をお互いに呼び合う。それは王都の戦いが終わって間もない時だった――。
… … …
それは突然のことだった。大きな影が空から降り立ち、同時に大きな振動と砂煙が巻き起こった。覚えているのは、傷ついた義母リュウメイと彼女に抱かれ衰弱しきった義姉とまだ小さい赤子のリュウオウの姿。
周囲にいた村人や妹が彼女たちのもとに駆け寄り、介抱する様を見ていることしかできなかった。なぜならそこに、あの人の姿はなかったから。
幼いセラは理解してしまったのだ、自分の世界が音を立てて崩れていくのが。
「……あたしのことはいい、この子たちを頼むよ……」
「……メイシャン、しっかり!!」
「リュウオウ様、もう大丈夫ですよ! 私が……みんなが付いてますからね!!」
体中から力が抜け、地面にしゃがみ込んだセラは声にならない悲鳴を上げていた。心の全てが目の前の現実を受け入れることを拒んでいた。
「いや、こんな、こんなことって……」
約束したじゃないですか、みんなでまた旅に出ようって……。その時はリュウオウ様もつれていこうって言っていたじゃないですか……なのになんで……。
「ごめんよ、セラ」
気が付けば、目の前にあの人の姉リュウメイがいた。リュウメイは力なく自分を見上げるセラを抱きしめた。そうして、残酷な運命を告げたのだ。
「うちのバカはもう戻ってこない、許しておくれ……」
「そんな、そんなことって……」
涙があふれ、止まらなかった。それからしばらくの間、目を覚まさない義姉と時折悲痛な泣き声を上げるリュウオウの看病を続けた。自分を取り戻し、現実を受け入れたときにはもう三日が過ぎていた――。
… … …
あの時から自分はリュウ家の養女リュウシュンとなることを受け入れたのかもしれない。それはその時まで思い描いていた未来を見失い、残された家族のために生きていこうと決意した瞬間でもあった。妹ラナも、鍛冶師リュウメイの娘としてその後を継ぐと決めた。うれしかった、自分と妹を受け入れてくれたリュウ家や村人たちには深い感謝と尊敬の念を抱いていた。
それからの毎日はあっという間に過ぎていったように思う、リュウ家にはリュウオウと妹のリュウサンが生まれた。村人の間にも次々とかわいい子供たちが生まれ村は賑やかになった。中原から逃れた人たちの受け入れも決まり、これから先自分にできることは何だろうと考えていた時に、商人をしていた旦那から好意を伝えられ彼とともにこの村を盛り立てていこうと決めた。間もなく可愛い娘を授かり、義姉や義母リュウメイを始め多くの人たちが祝ってくれたのだ。
すっかりぶっきら棒になってしまった妹リュウレイやもう一人の義妹リュウフォンもよくしてくれる。
けれど、そこにあの人の姿はどこにもなかった。幼い自分たちを守り、励ましてくれたあの大きな手をリュウシュンは忘れることが出来ずにいた。
「南の人たちから少し聞き出したんだけど、小さい子供や女の人たちを人質にされたり連れ去られたりしたらしいわ。結局、武器を作り出す人たちは中原の群雄にとって、利用する以外の価値がないから。邪魔になれば、まとめて殺されてしまうのでしょうね……」
残酷な運命をリュウシュンは躊躇いがちに口にするがおそらく、それだけではすむまい。カンショウやひげ面の男が言ったとおりだ。南麓には緑豊かな自然があった。それゆえに鉄を作り出すための燃料は容易に手に入った。
力ある者たちはこぞってかの地を襲い、人々に無理難題を押し付けていたに違いない。
結果、豊かな鉱物資源に恵まれたことが仇となり、彼らは北の地に救いを求めたに違いない。それがあやふやなものでしかなかったとしても――。
あっと言う間に食べ終わり、空の器をリュウシュンに手渡したリュウレイは立ち上がって背伸びをした。座りっぱなしで硬くなった体をほぐすためだ。
「けど、私たちにそんな余力はもうどこにもないだろう?」
「そうね、子供たちが戦に巻き込まれるのはもうたくさん……」
子を持つ親になったからこそ、リュウシュンは頷くことしかできなかった。村の子供たちが大きくなったときに、何ができるだろう。そんなことを考えることが最近、多くなった。
「義母さんの言ってたことだけど、先のことなんてわかりゃしないんだ。だからこそ、今この時を真剣に生きる。私たちにできるのはそれだけさ。シュンみたいにいろいろ考えることは重要だけどな」
「リュウレイ……」
道具を持ちなおし、こちらに背を向ける妹の名を呼ぶ。リュウシュンは深く息を吐いてから、静かに立ち上がりその場を後にした。あとには妹の振るう木槌の乾いた音だけがこだましていた。
「……それでもね、私は思わずにいられないのよ。リュウキョウやリュウオウたちの未来が明るく幸せであるために何をすればいいのかをね……」
洞窟の入り口から眺める村の遠景は、いつにもまして色鮮やかにリュウシュンの心を包み込んでいた。
強い風が吹き抜ける空を見上げた後、リュウシュンは村への道を一人下っていった――。




