古の調べ(14)
朝日に照らされた村の畦道をナルタセオが宿泊する寄り合い所に向かい一人の女が機嫌よく鼻歌交じりに歩いている。洗濯籠を胸に抱えたリュウシュンは姫長メイシャンのお使いも兼ねていた。
「今日もいい天気ね、ナルタセオさんの洗濯物も全部乾いたし今日一日くらいはゆっくり過ごしてもらえるかしら?」
女の身でありながら、高き峰に住まう風守りの一族の長として各地に行商して歩く歌姫ナルタセオは同じ女性のリュウシュンから見ても、憧れる存在だ。何よりその神秘的な容姿に惹かれるところがある。
彼女自身、決して弱音は吐かないものの見ていてとても胸が苦しくなる時がある。だからこそこの村にいる間くらいは気を抜いてゆっくりと英気を養ってほしい。
それがリュウシュンの偽らざる本音だった。それに義姉もなんだかんだと言って貴重な食材を安く仕入れてくれるナルタセオのことは気に入っている。何よりリュウフォンの叔母なのだから、彼女もリュウ家の身内だとリュウシュンは勝手に思っている。
「ふふ、今日はどんなことをお話ししようかしら。楽しみだな……」
娘リュウキョウに木でできたおもちゃを持って来てくれたナルタセオの優しさを思い出し、つい強めに洗濯籠を抱きしめてしまう。ああ、こんなことではいけないと思いなおして再び歩き出す。目指す寄り合い所はもう目と鼻の先だ、その時リュウシュンの耳に大きな音が聞こえてきた。いつもリュウレイたちがいるであろう東の峰から雲が消し飛び、代わりに大きな振動もともつかない揺れが伝わってくる。
――ナルタセオさんが来ているというのに、あの子たちは……。
いつまでたっても大人になり切れない実と義理の妹たちを思い浮かべ、大きなため息をついた。
――また義姉さんに叱ってもらわないといけないわね。
ナルタセオの泊まる部屋の戸を叩き、返事を待つ。しかし、中に人の気配はなく、戸を開きのぞき込むがナルタセオの姿はどこにもない。
「おかしいわね、お散歩か、それともナルタセオさんことだから朝のお風呂でも楽しんでいるのかしら」
後でまた迎えに来よう――。少し残念な思いを抱きなから洗濯物を部屋に置いて外に出たリュウシュンの前に静かな風の渦が巻き起こる。その中心に見覚えのある人影が現れた。強い逆光に手をかざしながら、リュウシュンは影の主に声をかける。
「ナルタセオさん、お出かけでしたか?」
「――ああ、リュウシュンか。朝早くどうした?」
こちらを見て、微笑むナルタセオに義姉からの誘いを伝えようとしたその時、違和感に気づいて、リュウシュンは心の中で絶叫した。
――キャアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!!!
大地に降り立ったナルタセオは革製のサンダル以外、何も身に着けていない。強い朝の日差しがナルタセオの褐色の素肌を余すところなく鮮やかに照らし出す。その魅惑的な輪郭がはっきりと浮かび上がり、リュウシュンの脳裏に鮮明に焼き付けられた。
「ナ、ナルタセオさん! その格好どうしたんですか!!?」
考えるまでもなくリュウレイがらみとはわかるが一応問いかける。その間もリュウシュンは腰を落として素早く周囲を確認しながら、懐の小刀に手を添える。まだこの村に来たばかりのころ、義母リュウメイから護身刀としてもらった大事なものだ。
不届きものがいたら、同じ村人とはいえ抹殺しなければならない!
「いや、懐かしくなって久々にリュウフォンと風比べをしたんだ。最後はリュウレイと一緒になったあいつに返り討ちにされてしまったが。ふふふ」
無邪気に笑うナルタセオの手を引き、着替えのある寄り合い所まで強引に連れ込む。
「それにしても素肌に朝日を浴びると気持ちがいいな。今まで気が付かなかったが――」
「と、とにかく服を着てください! 誰かに見られたら私が困ります!!」
完全に錯乱状態に陥りながら、リュウシュンが叫ぶ。
「いや、どうせこのまま朝風呂に入るつもりだし、着替えだけ持って共同浴場に行けばいいだろう。すぐそこだし、今なら人はいないからな」
「ダ、ダメです、そんなことは! 絶対にダメ!!」
既に悲鳴になりつつある、リュウシュンに押し切られ妥協策として体をふく大きめの布を巻き付ける。そのままリュウシュンに手を引かれたナルタセオは共同浴場まで歩いていった。
「それほど大騒ぎすることかな?」
まだ何かを呟くナルタセオを共同浴場に押し込み、がっくりとうなだれたリュウシュンは激しい鼓動を繰り返す胸元を抑えながら、必死に心を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
いったい何がどうなれば、あんな結果になるのか。リュウレイたちが戻ってきたら問いただす必要がある。そうでもしなければ、この胸の動揺を抑えることは出来そうになかった。
ちょうど、顔を上げたリュウシュンの目の前に遥か上空からリュウ家の娘二人が落ちてきた。
「はい、着いた!」
「痛て! 尻打ったッ!!」
強い風と土埃を巻き上げて着地したリュウフォンたちの目の前に腕組みをしたリュウシュンが仁王立ちする。これ以上にないほどの怖い笑顔で彼女たちを迎えたリュウシュンはにこやかに妹二人を見据えた。
「ちょうどいいところに降ってきたわね、あなたたち……ナルタセオさんがどうして何も身に着けていなかったのか、説明してもらいましょうか……!」
「全部、リュウレイが悪い」
「おい、フォン!」
即答するリュウフォンにリュウレイが叫ぶ。しかし、すっかりご機嫌斜めなリュウフォンはそっぽを向いてしまった。
「リュウレイが調子に乗ったのはわかるわ……けどね、ナルタセオさんはリュウ家やこの村にとって大事なお客さんなのよ! フォンにはいつもレイが羽目を外さないように見張っているように頼んであるでしょう! 何か、言い訳はある!?」
いつも以上に厳しい口調のリュウシュンにムッとした表情を浮かべたリュウフォンは浮かび上がるとナルタセオのいる共同浴場の入り口に飛んでいった。
「私は悪くないもん! 全部リュウレイのせいだからね!!」
「それはわかっているわよ……」
若干疲れた様子のリュウシュンはリュウレイを睨みつける。その迫力ある視線を真正面から受け止めたリュウレイはたじろぐ他なかった。本気になると姉の気の強さにかなうものはいない。あの姫長メイシャンや義母リュウメイがリュウシュンのことを信頼し、頼りにしているのを見ればよくわかるというものだ。
「さて、それじゃ張本人の弁明を聞こうかしら? 一体どういうことなの」
「いや、だから風比べに負けたフォンの仇を打っただけで、ああなったのは勢いつきすぎてただけだよ!」
我ながら何を言っているのかわからないが、とりあえず誤魔化すしかない。
「……言いたいのはそれだけ?」
さらに語気を強めるリュウシュン、その怒りにうろたえながら先ほどナルタセオに口づけされたことも思い出し、リュウレイはしどろもどろになる。
「え、ええと、戦いに勝って、女の武器に負けたというか……。それにこんなのも押し付けられたし……」
ナルタセオから受け取った五枚の借用書。それをリュウレイから受け取ったリュウシュンは怪訝そうな表情でそれを一枚ずつ確認していく。
「これがどうかしたの?」
「いや、義母さんの代わりに私が返す羽目になった……」
「あなた、本気でバカね……これにはお義母さんがナルタセオさんからお金を借りたとは書いてあるけど、あなたが返済しなければならないなんて一言も書いて無いじゃない。とりあえずこれは私が預かっておくけど、引き受けたからにはちゃんと責任もってお金を返すのよ。まったく本当にお人好しなんだから……」
ぶつぶつ言いながら、リュウシュンはひとまず怒りを収めたらしい。しかし、リュウレイにも言い分はある。自分が引ん剥いたとはいえ、裸のナルタセオに返済を迫られて、断れるだろうか?あの状況ではほかに選択肢などありえなかったはずだ。
まさしく壮絶な自爆を遂げたリュウレイが首を落としてぽつりとつぶやく。
「裸のナルタセオに迫られたら、断れないだろ――」
その一言に、リュウシュンが固まる。その反応を見たリュウレイは手を顔に当ててため息をついた。
ああコイツわかりやすいな、やっぱり私と血繋がってるわ――。
「けど、なんだかナルタセオの様子が普段と違うように見えたんだよな……」
いつの間にか、地面に正座していたリュウレイは立ち上がって、共同浴場の方を見た。
「確かに、それはあるわね。いつもと違って、何か無理をしているような気がするわ……」
だからこそ、リュウシュンもあれこれと余計に世話を焼く気になっていたのだが。時々村にやってくるナルタセオは行商と村人との交流を楽しむものの、あまり顔を出さないリュウフォンとは二言三言話をするくらいで、それほど深く付き合いがあるわけではない。
それが今回は彼女の方から積極的にリュウフォンに絡んでいたのはなぜか。
そこにリュウレイたちの与り知らぬ深い事情があるように思えて、ならなかった。
「それじゃ、私も風呂に行ってくるかな。フォンの機嫌も取っておかないといけないし」
「そっちは任せたわよ、あまり騒ぎは起こさないでね」
共同浴場に歩き出したリュウレイに向かい、リュウシュンが声をかける。それを聞いたリュウレイは何気なく尋ねた。
「一緒に入らないでいいのか、今ならナルタセオ付きだぞ?」
「……………!!」
一瞬にして顔を赤らめたリュウシュンは二三歩後ずさりした後、無言でリュウ家に向かい駆け出した。その横顔が涙に暮れていたのはどういうわけか。
「なんか知らんが、勝ったみたいだな。あとが怖いけど――」
よくわからないむなしい勝利感を味わいながら、リュウレイは女湯の戸を潜り抜けた。




