古の調べ(13)
「なっ……!」
動揺したナルタセオが声を上げる。リュウレイに背後を取られ、襟を掴まれたことで勝敗は決した。そこまでは理解できる。しかし、リュウレイの行動は予想の上を行った。
勢いそのままに服を背中から引きちぎられたナルタセオはその無垢なる生まれ姿を大気に晒す羽目になった。
咄嗟に胸元を抑えるナルタセオにリュウレイの声が聞こえた。
「動くな」
何をするつもりか、わからないナルタセオはリュウレイに身を任せるほかなかった。リュウレイはナルタセオを抱きかかえたまま、頂きの上に降り立った。
「……」
余りの出来事に言葉を失っているのはリュウフォンも同じだ。まさか目の前で、叔母のナルタセオがリュウレイに引ん剥かれるなど誰が予想できただろうか。朝風呂に行くつもりで出てきたナルタセオは上着の下には何も身に着けていない。
褐色の肌が朝日を浴びて眩しく映えるのが見て取れた。
「私とリュウフォンの勝ちだ、文句はないな? ナルタセオ」
――この期に及んで、何を言っているんだこいつは?
胸を抑えたまま、呆然とリュウレイを見ていたナルタセオはやがて笑いを浮かべた。
「いや、まさかこの私が返り討ちに合うとは思わなかったな。お前の勝ちだ、リュウレイ!」
「よし、ちゃんと仇は討ったぞ、リュウフォン」
リュウレイが振り返るとそこには、呆然と固まるリュウフォンの姿があった。
「あれ、どうかしたのか、フォン?」
さらにリュウレイが尋ねるも、フォンの思考停止は続行中。返事はなかった。
「まあ、フォンも突然のことで驚いたんだろう。私も同じだが……」
胸元から手を放し、その見事に整った身体を露わにするナルタセオ。そのあまりの光景に今度はリュウレイが息を飲む番だった。
何も身に着けていない大人の女性が、こんな殺風景な場所にいること自体あり得まい。なぜか、彼女を見ているだけでリュウレイの鼓動は高鳴る一方だった。
そんなリュウレイにかまわず、ナルタセオは胸元から数枚の紙きれを取り出しこちらに微笑みかけて来る。
「あの時は焦ったぞ、何せいきなり服を引きちぎられたのだからな。とっさに胸元を抑えたのも、大事な証文が破かれないようにするためだ」
――んん? 今、証文とか言ったか?
普通、証文と言えば何かの契約を交わした文書、すなわち約束を紙面にしたものだ。さらに言えば、金がらみ。それも主に借金の……。
「いや、まさかそれって……」
リュウレイが思わず後ずさりするも、ナルタセオは情け容赦なくその紙をリュウレイに手渡してきた。それら全部が商人組合を介して、ナルタセオに金を借りたことを示すものだ。
「何度か、大陸の中原でお前の義母リュウメイと飲み明かすことがあってな、その時の借用書がこれだ。かなりの金額でな、これが不意になると私も困ってしまうんだ――」
表情を曇らせたナルタセオがリュウレイに体を預け、その豊かすぎる胸の肉をこれでもかというほどに押し付けてくる。その威力の前に、リュウレイは身動きすらできずにいた。
「い、いや、これは義母さんの借金で私に関係は……」
正直、合計五枚に及ぶ義母リュウメイの借用書はその一枚一枚がリュウレイの一月の給金より若干多いほどの大金。これをどうしろというのか。
「私も女一人で行商をしている身だ、金を稼がねば飢えてしまう。私を見捨てるような薄情な真似をリュウレイはしないよな?」
「は、はい、わかりました――」
その一言ですべては決着した。ナルタセオはうれしそうに表情を改めてリュウレイの肩を叩いた。
「うん、それでこそリュウ家の跡取り娘だ! なるべく早めの返済をお願いするぞ」
「何やっているの、二人とも……」
正直、展開についていけないくなったリュウフォンがポツリとつぶやく。
「私にもなにがなんだか、わからなくなってきた……」
リュウレイが苦笑いを浮かべると、リュウフォンもつられて笑いを浮かべた。
「そろそろ戻ろっか?」
「そうだな」
笑い合うリュウレイたちを見ていてたナルタセオは意地の悪笑みを近づいた。
「ああそういえば、もう一つ大事なことを忘れていたな。リュウレイ、ちょっといいか――」
「ん、これ以上なんだよ?」
若干の警戒を露わにするリュウレイに頬を赤らめたナルタセオが語り掛ける。
「私に勝ったご褒美をあげないとな、心して受け取ってくれ……」
最初、その言葉の意味が分からなかった。ナルタセオは何かを決心したかのように躊躇いなくリュウレイに身を任せてくる。まずいと思い身を引くがナルタセオの方が早かった。
思ったより柔らかいナルタセオの唇がリュウレイの口を塞いだ。それはリュウフォンとは異なる、どこか背徳感をくすぐられる感触があった――。
――…………!!!!!!!!!
刹那、耳をつくざくようなまるで世界が砕け落ちるような音が響き渡り、空が裂けてゆくかのような振動が巻き起こった。高い山々の上を風に流されていた雲が瞬時にかき消され、大地が鳴動する。
その中心にいるのが誰か、見なくてもわかる。ナルタセオから解放され、恐る恐る振り向いたその先に、渦巻く風に髪が乱れたリュウフォンの姿があった。
「……中々貴重な体験だったな、リュウレイ。私も150年は生きているが同性とこういうことをしたのは初めなんだ。気持ちよかったか?」
「い、いやそれはそうだけど……」
前を見れば、耳まで真っ赤になったナルタセオが恥ずかしそうに視線をそらしていた。まるで初恋に身を焦がす少女のようなそのしぐさにリュウレイも気恥ずかしくなる。しかし今はそれどころではない。何とかしてリュウフォンの怒りを抑えないと、世界が滅ぶ。
「そ、それじゃ、私は先に村に戻っているぞ。朝風呂がまだなのでな!」
まだ顔が赤いナルタセオはリュウレイから少し距離を取ると、周囲の気流の乱れを気にすることなく、静かなる音色を奏でて姿を消した。
一人、この場に取り残されたリュウレイは意を決して背後を振り返る。
「あ、あのな、フォン! さっきのは不可抗力であって……!」
「…………!」
気づけば、すぐ後ろにうつむいたフォンが浮かんでいた。ちょうどリュウレイと同じ視線の高さにいる彼女はぎこちない笑顔を浮かべて、リュウレイに語り掛ける。
「気持ちよかった?」
「い、いや私はその……」
無理やり作った笑顔のリュウフォンはリュウレイの脇に移動し、その大きな胸を押し付けるようにして右手を握ってくる。
「あのね、リュウレイ……」
「……なんでしょう?」
思わず敬語になるリュウレイに向かい、リュウフォンはこれ以上にない笑顔で言った。
「今日は私が村まで送ってあげる……全力で!!!!!」
「全力って、おいぃぃぃいいいいいい―――――!!!!」
次の瞬間、リュウフォンに手を引かれたリュウレイは凄まじい速度で空を切っていた。全身の肉が削ぎ取られたと錯覚するほどの衝撃の中、リュウレイは一瞬意識を失う。
――ああ厄日だ、今日は厄日だ……。
そんなことを想いながら、リュウレイは荒れ狂う風に身を任せていた――。




