Scene12 天使《アンゲロス》なんてさようなら その2
***
(つまらない……)
銃撃がおさまりはじめた戦場で、ネフィエルはそんなことを考えていた。
威勢のいいことを言っていたが……反乱軍のすでに半数以上が行動不能に陥っている。
天使の性として命を奪うまではいかないが、それに近い状態ではあるだろう。
残ったものたちは、『楔』の破壊にかかっている。無駄なことを。
かれらは、どれだけの『楔』が穿たれているのか知っているのだろうか?
それにもし空間を解放したところで、優劣はさほど変わらないというのに。
そうだ。かれらには、すでに勝利の『可能性』がないのだ。
(……つまらない……)
ヒトはいったい、どれだけの『可能性』を浪費してきたのだろうか。
あたえられた『可能性』を使おうともせず、わずかながら残った『可能性』すらも捨て去ろうとする。『可能性』とはいったいなんなのか、ヒトはそれを考えようともしなかった。
――だからぼくが教えてやった――
『可能性』とは『バグ』だ!
『バグ』とは、決して自然発生的に起こるものではない!
引き起こされていたものなのだ!
(だがそれも……あと少し……)
まもなく――ぼくが神をも超える力を手にするのだ。
これでようやく、神に一泡吹かせてやれる。
巨人族の復讐を果たすことができる。
ぼくはそのためにここまでやってきたのだ。
世界を統べるなどと……安穏と鎮座している神など――多元宇宙の海へ突き落してやる。
そんな愉快なことのためならば……これくらい我慢しよう。
だが――
そんなネフィエルの前に、女が立ちはだかった。
アンナは金髪をなびかせて、この絶望においても笑顔に屈託がなかった。
「アンナとか言ったね。どうして笑ってる?」
「え? だって楽しいじゃん。」
「楽しい?」
「わたし、喧嘩が好きなのよ。それもガチンコのやつね。」
「…………」
やはりヒトのいうことはよくわからない。
しかしネフィエルは興が乗って、アンナにさらなる絶望をあたえてみたくなった。
「薬が欲しいといっていたね?」
「ええ。」
「残念だけど――薬は存在しないよ。王妃にしたって、あれはすでに死んでいるんだ。ラースの術によって、生きているように偽装しているだけだよ。」
「へえ、そうなんだ。」
関心のなさそうに返事をするアンナ。
ネフィエルはアンナをただの馬鹿ではないかと疑った。
「薬なんて、はなっからないと言っているんだ。」
「ないなら仕方ないよ。」
さらりと返すアンナ。
ネフィエルは怪訝な顔をした。
「いいのかそれで。」
「いい、いい。あとはあんたをぶっ飛ばしてから考えるよ。」
その自信に満ちた表情には、絶望など少しも滲まなかった。
それがまるで確定事項のように、朝になったら日が昇る、というように語るのである。
やはりただの馬鹿か――飽きてしまったネフィエルはもう興じることを止めた。
ここにいる全員を仕留めることなど、最初から出来たのだ。
でもそれをしなかったのは、ただの気まぐれでしかなかった。
「――Delenda est formicae……」
ネフィエルの背中から、白い煙のようなものが立ち上り、巨大な人型が形成されていく。
アンナはにいっと笑うと、両手の拳銃をホルスターにしまった。
それは荒野のガンマンが早撃ち対決をするかのようであった。
ネフィエルと白き巨人はその腕を高々と掲げる――
「機械仕掛けの巨人《Gigantes ex machina》!」
電光を放ちながら落ちてくる巨人の手が、アンナの頭上に迫る――
***
「冗談じゃないわ!」
ミズカは激怒していた。
巨人の手が振り下ろされる直前、アンナがこちらにちらりと視線を送ったからである。
「あんだけ啖呵切ったんだから、ひとりでやんなさいよ!」
しかしそんな声も、アンナには届かない。
アンナは巨人の手の中へ消えていった。
電撃が大地を駆け、地を這うものたちを次々と襲っていく。
断末魔のような人々の悲鳴が、広大な空間の各所で上がった。
***
「ここが、ヒトの限界だ。」
ネフィエルは鳥瞰し、虚ろな眼を浮かべていた。
やはりヒトは、『可能性』にまで到達できないのだ。そんな思いが、ネフィエルの胸中を埋め尽くしていた。だが――
「こっちこっち!」
声が、頭上から聞こえた。
ハッとしてネフィエルが見上げると、その眼前に……アンナが迫っていた。
「――なっ!?」
「アンナちゃん必殺ぅぅぅぅ……」
迫りくるアンナに、ネフィエルはとっさに防御の体勢をとった。
アンナの強靭な一撃を4枚の羽で受け止めようとしたのである。
しかしアンナの目的は、打撃ではなかった。
アンナは羽を1枚むんずとつかむと、そのままネフィエルを飛び越して――
「一本背負いぃぃぃぃっ!!!」
ぶん投げた。
武装外骨格は制御を失い、ネフィエルを地面に叩きつける。
「――がはっ!」
全身の骨が軋むような音がネフィエルには聞こえた。
アンナはうまく着地できず、ごろごろと前につんのめる。
「わ、とととと……」
ペタンと地面に倒れると、そこでふうとひと息をついた。
そしてすぐに立ち上がって、服をぱんぱんとはたく。
すると異空間がすうと消え失せた。
もとの邸宅内へとゆらゆら変移していった。
「なぜだ……」
ネフィエルのうめくような声が聞こえた。
「ミズカちゃんに投げてもらったのよ。」
早撃ちスタイルも挑発。
攻撃を惹きつけておいて、巨人の手はジャンプしてかわすと、今度は地面に触れる前にミズカが足場を作り、ネフィエルに向けてぶん投げたのである。
「そうじゃない……なぜ消えた……?」
ネフィエルは伏していることよりも、空間の消失に驚愕していた。
「負けたからでしょ?」
「ちがう……」
――叩き落とされたからといって、消えてしまうような空間ではない。
それがこうも簡単に消えるというのは……それはつまり――
「ラース……裏切ったな……」
力を手に入れたヒトが、どのようなことをしてきたか……
ネフィエルは歴史から、知っていたはずであった。
だが――
それでもラースに託したのは、どこかで期待していたのだ。
ラースであればこの世界を変えることができるかもしれないと、ヒトの『可能性』のその先へ行くことができるかもしれないと、そう感じていたのだった。
しかし――ヒトを利用していたはずの自分が、まさかヒトに利用されようとは……
ネフィエルは……笑いが込み上げてきた。
やがてそれは狂ったような高笑いに変わる。
アンナが心配そうに見つめていると、ネフィエルは立ち上がって、その指先を武装外骨格へ触れた。
「ぼくにできることは、もう何もない。」
ネフィエルは武装外骨格に仕込まれていた『かけら』を取り出した。
それはかつて、ティナがラースとともに発掘した、聖域の遺跡の一部であった。
ネフィエルは不敵な笑みを残すと、小さな異空間を巻き起こして、その中へと消えていった。
「あ、逃げられた!」
すぐに異空間も消滅し、跡形もなくなってしまう。
「ちぇっ――これから、ってとこだったのに。」
不完全燃焼だったらしいアンナがぼやく。
「ちょっとアンナ!」
腹を立てたミズカの声が、ようやくアンナに届いた。
「どうしてあんたにまでアゴで使われなきゃなんないのよ!」
「いいじゃん、うまくいったんだから。」
「わたしはあんたとアイコンタクトできちゃったことが歯がゆいのよっ!」
などとガミガミ言っている。
「それよりも、早くみなさんの手当てをしなくては……」
ティナとマラルメも、ミズカによって電撃を免れていた。
ネフィエルの力が薄れたせいか、鱗の侵蝕はおさまっていた。
しかし痛みがいよいよ脳を麻痺させたのか――虚ろな顔をしている。
「魚だ……」
マラルメがそうつぶやいた。
「マメくん?」
「目のなかに……魚がいる……」
マラルメのぼやけた視界には、魚のようなものがゆらゆらとうごめいていた。




