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金と飯と色恋のために魔王軍を全滅させたら、なぜか人類の救世主として崇められている件  作者: 臥裳斗真


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第5話「その返事は、本人に聞け」


 宿場町を出て半日、東街道沿いに小さな町があった。

 宿が一軒、酒場が一軒、あとは雑貨屋と鍛冶屋と馬屋。それで全部だ。


「高い」


 ミラ・ヴァーミリオンは、宿の帳場に貼られた料金表を見上げた。


「最近なんでも上がってるからねえ」


 主人が申し訳なさそうに言う。


「またそれ」


「またそれと言われてもねえ」


「二日前、同じくらいの宿で銀貨三枚だったんだけど」


「うちも仕入れが上がってて」


「何が」


「食料。薪。飼葉」


「何で」


「知らないねえ」


「はい出た」


「何がだい」


「もういい」


 ミラはため息をついた。驚かなくなった自分が、少し嫌だった。


 振り返ると、ゼノ・クロウは料金表どころか宿すら見ていなかった。

 向かいの酒場の前で、若い女が空樽を転がしている。腕まくりをして、樽を傾け、膝で受けながら器用に入口へ運んでいた。


「泊まるぞ」


「今決めたでしょ」


「いい宿だ」


「見てないじゃん」


「立地がいい」


「向かいしか見てないでしょ」


「立地とはそういうものだ」


「違うと思う」


 他に宿はない。ミラは荷を下ろした。



 夕食は向かいの酒場だった。


 樽を運んでいた女はハンナといって、二十歳、この店の娘らしい。注文を取りに来た時には、ゼノはもう身を乗り出していた。


「美人だな」


「知ってる」


「強い」


 ミラが肉を切りながら言った。


「気に入った」


「私はまだ、あなたを気に入ってないよ」


 ハンナは顔も上げずに注文を書いている。


「酒を一杯付き合え」


「仕事中」


「終わったら」


「気が向いたら」


「何時だ」


「気が向いたらって言ったでしょ」


「なるほど」


「何がなるほどなの」


「時刻を言わなかった」


「うん」


「つまり明日でもいい」


「どうしてそうなる」


「都合よく解釈しないで、人生の何が楽しい」


「知らないけど、それ本人の意思無視してない?」


「嫌なら嫌と言うだろう」


 ハンナが厨房へ向かいながら振り返った。


「今のところ、面倒」


「嫌ではない」


「前向きだなあ」


 ミラは少し感心した。

 何にとは言わない。断られているのに、本人だけが負けていない。



 違和感に気づいたのは、料理が半分ほど減った頃だった。


 常連の男たちが、ときどきハンナを見る。見てすぐ逸らす。


(何かある)


 聞くほどでもない。でも少し気になる。


 ちょうどその時、扉が開いた。


 入ってきたのは若い男だった。

 二十五前後。上等な外套に、汚れていない靴。腰に剣もない。

 悪党には見えず、むしろ感じのいい商人の息子という方が近かった。


「こんばんは」


 常連が軽く頭を下げ、男も笑って返す。


 ハンナだけが笑わなかった。


「やあ」


「……いらっしゃい」


「明日の話、聞いてるよね」


「聞いてる」


「親父も準備を進めてる」


「私は進めてない」


「またそれか」


 男は困ったように笑った。責めるでもなく、怒るでもない。そこが余計に気になった。


 ゼノが、初めて女以外のところを見る。


 ミラはまだ肉を食べていた。



 男の名はカルムといい、この町で荷と金を扱う商会の跡取りだった。


 酒場兼宿は半年ほど前から赤字が続いている。食料も薪も酒も飼葉も仕入れが上がり、客足は変わらない。

 値段を上げれば客が減り、上げなければ赤字になる。ハンナの父親は、商会から金を借りていた。


「返済が厳しいのは、こっちも分かってます」


 カルムは店中に聞こえる声で話していた。隠すつもりはないらしい。


「だから提案してるんです。うちと縁組すれば、借り分の一部は消せる。店も残る。従業員も残る」


「悪い話じゃないのは分かっています」


 父親が言う。


「なら」


「でも、娘の話です」


「もちろんです。無理強いするつもりはありません」


 カルムは本気でそう言っているようだった。


「ただ、他に方法がないなら、いずれ決めないといけない」


「まだ返事してない」


 ハンナが言う。


「もう十分考えただろ」


「考えるのと、決めるのは別」


「店を潰す気か」


「嫌だと言っているぞ」


 ゼノだった。


 店が静かになる。カルムが振り返った。


「……誰だ、あんた」


「ゼノ・クロウ」


「名乗る必要あった?」


 ミラが小声で言ったが、遅かった。近くの客が息を呑む。


「ゼノって」


「昨日の」


「救世――」


「それ言うな」


 ミラが先回りした。


「まだ言ってませんが」


「言いそうだった」


「……そうですか」


 カルムがゼノを見る。少し警戒が混じっていた。


「まさか」


 一拍。


「その女を狙ってるのか」


「当然だ」


「そこ肯定する!?」


 ミラが皿を落としかけた。


「美人だからな」


「本人の前で言う!?」


「本人がいない場所で言ってどうする」


 ハンナが額を押さえる。


「さっきも言ったけど面倒くさい」


「嫌という意味ではない」


「そこ拾わなくていい」


「なら余計に口を出すな」


 カルムの声が少し硬くなった。


「これは家同士の問題だ」


 ゼノが酒杯を置いた。


「家同士?」


「そうだ。うちと、この店の話だ」


「本人は」


「何」


「本人は家なのか」


 カルムが止まった。本当に、一瞬だけ。意味が分からなかったような顔だった。



「……嫌」


 ハンナが言った。小さな声だったが、聞こえた。


「結婚は嫌」


 父親を見て、それからカルムを見る。


「でも、断ったら店が潰れるかもしれない」


「そうか」


 ゼノが言った。


「なら好きな方を選べ」


 ミラの手が止まる。ハンナも止まった。


「嫌だから断るでもいい。店のために受けるでもいい。お前が――」


「待って」


 ミラが割って入った。


「何だ」


「断ったら店潰れるんでしょ」


「そう言っている」


「それって、好きな方選べる状態?」


「二つあるだろう」


「片方選んだら家族ごと店失うんだけど」


「だから?」


「だから、それを同じ一票みたいに並べるの雑すぎ」


 ゼノが眉を寄せた。


「選ぶのは本人だ」


「そこは合ってる」


「なら何が違う」


「選べるようにしてから聞けって言ってんの」


 ゼノが止まる。


 ミラはハンナへ向き直った。


「契約書ある?」


「……え?」


「借金の」


「ありますけど」


「見せて」


「何で」


「金の話になったから」


「そこ?」


「そこ」



 父親が奥から紙束を持ってきた。ミラは肉の皿を端へ避け、カウンターを空ける。


「汚さないでよ」


「契約書を?」


「肉を」


「そっち?」


「大事でしょ」


 紙を広げた。借入額、利息、返済期限、担保、遅延時の条件。二度読む。


「これ、四か月前?」


「そうです」


「追加で借りた?」


「二か月前に」


「そっちも」


 もう一枚を読み始めて、途中でミラの指が止まった。


「……これ何」


「何がです」


「追加融資の内訳」


 指で示す。

 運転資金補填。

 仕入差額補填。

 流通調整費立替。


 三つ目に見覚えがあった。懐から昨日の明細票を出して並べる。

 臨時流通調整費。


「名前違うけど、これ同じ?」


 父親が紙を覗き込む。


「たぶん」


「たぶん多いな、この辺」


「すみません」


「謝らなくていい」


 カルムが口を挟んだ。


「それは街道組合へ払う費用だ。うちが立て替えた」


「商会が」


「そうだ」


「いくら」


「その書面にある通りだ」


 ミラは数字を見る。


「……高」


「この半年で上がった」


「何で」


「それは組合に聞いてくれ」


「また上」


「うちだって払ってる側だ」


 カルムの声には、苛立ちより疲れがあった。


「じゃあ、あんたが値段上げてんじゃないの」


「一部はな」


「一部?」


「こちらにも倉庫代、護衛代、損失がある」


「それは分かる」


「分かるのか」


「金の話だからね」


 もう一度、契約書へ目を戻す。利息、元本、追加融資、そこに流通調整費。


「これ」


 ミラが一枚を叩いた。


「結婚のこと、どこ?」


 静かになった。


「何」


「どこにも書いてない」


 父親が目を瞬かせる。


「え」


「担保は店と土地。返済期限は三か月後。遅延したら担保処分」


 一行ずつ指していく。


「婚姻の文字、ない」


「それは別の提案だ」


 カルムが言った。


「そう。別」


 ミラは即答した。


「だったら、混ぜるな」


 カルムが止まる。


「借金は借金。結婚は結婚」


「だが結婚すれば――」


「借金が減る」


「そうだ」


「じゃあ減らした後の正式な条件は」


「明日まとめる予定だ」


「まだないんじゃん」


「口頭では――」


「金の話を口で済ませるな!」


 声が一段上がった。店中がしんとする。


「そこ怒るんだ」


 ハンナが呟いた。


「怒るでしょ!」


 ミラはカルムを見る。


「いくら消えるの」


「……半分程度を予定している」


「程度?」


「詳細は」


「明日?」


「そうだ」


「だったら今日返事できるわけないじゃん」


 カルムが言葉に詰まった。


「金額も決まってない。条件も紙になってない。なのに結婚だけ先に決めろって?」


「決めろとは」


「明日の話、ってさっき言ってたでしょ」


「……」


「順番が逆だ」


 ゼノの声だった。ミラが見る。


「何」


 ゼノはカルムを見ていた。


「先に、女が選べる形にしろ」


 少し前とは違った。


「借金をどうする。店をどうする。結婚すれば何が変わる。断れば何が残る」


 酒杯を指で回す。


「それを全部出してから、本人に聞け」


 カルムが黙った。ミラも黙った。


(……聞いてたんだ)


 少しだけ驚いた。


「それでもハンナが受けると言うなら」


 ゼノが続ける。


「俺には関係ない」


「関係ないんだ」


「残念ではある」


「そこは残念なんだ」


「だが本人が選ぶなら、それで終わりだ」


 ハンナがゼノを見た。


「私があんたを選ばなくても」


「見る目がないとは思う」


「最悪」


「だが好きにしろ」


「……そこは一貫してるんだ」



「こっちだって慈善事業じゃない」


 カルムの声が、さっきより低くなった。


「追加融資までした。この店が赤字なのは事実だ。このままなら三か月後に返せない」


「それも事実ね」


「縁組すれば、うちの家計へ組み込める。店も残せる。従業員も切らなくていい」


「それも分かる」


「なら何が悪い」


「やり方」


 ミラが答えた。


「本人にとって一番でかい条件だけ、まだ書面にない。それで他に方法ないから決めろは雑」


「だが、他に方法があるのか」


「知らない」


 即答だった。カルムが眉を寄せる。


「知らないのか」


「知らないよ」


「なら」


「でも三か月ある」


 契約書を叩く。


「今日じゃない」


 父親が息を止めるように紙を見た。ハンナも。


「三か月で他の方法が見つからなかったら、その時また考えればいい」


「簡単に言うな」


「簡単じゃないから、三か月使うんでしょ」


 カルムは言い返せなかった。


 その時。


「ハンナ」


 彼が手を伸ばした。


「少し外で――」


 手首を掴む。


 次の瞬間、カルムは床にいた。


 ミラには途中が見えなかった。ゼノはもう立っていて、剣は抜いていない。カルムの手首だけを押さえていた。


「触るな」


「……離せ!」


「嫌だと言った相手を、力で連れていくな」


「話すだけだ!」


「なら口で話せ」


 ゼノが手を離す。カルムはすぐ立ち上がった。殴られてはいない。ただ、顔だけが赤い。


「若!」


 外から護衛が二人飛び込んできて、剣を抜いた。


「ちょっと!」


「向こうからだ」


「店壊すなよ!」


「善処する」


「それ一番信用できないやつ!」


 一人目の突きを、ゼノは抜刀せずに鞘で外し、柄頭で顎を打った。それで終わりだった。

 二人目が横薙ぎに来たところへ椅子を蹴り上げ、脚を膝に当てて崩し、肩を押して壁際まで運ぶ。


 ここまではよかった。


 二人目が懐へ手を入れ、赤い石の嵌まった短筒を抜いた。


「店の中で火使うな!」


 ミラが指を弾く。筒へ流れ込む空気だけを横へ逃がした。

 石が光る。火は育たない。筒の中で、ぼふ、と情けない音がした。


「熱っ!」


 男が放り出したそれを、ミラが拾う。


「一発いくら?」


「何!?」


「これ使い捨て?」


「……魔石交換式だ」


「魔石は」


「銀貨八枚」


「今ので一回無駄にしたね」


「そこ!?」


「戦うなら財布にも覚悟しなさいよ」


「お前が言うな」


 ゼノが言った。


 二十秒。壊れたのは椅子が一本だけだった。


「……これなら直せる」


「基準がそれか」


「弁償安い方がいいでしょ」



「私、断る」


 ハンナが言った。


 カルムが振り返る。


「ハンナ」


「結婚はしない」


「店はどうする」


「考える」


「どうやって」


「分からない」


 一拍。


「でも、分からないまま結婚するよりはいい」


 父親が娘を見た。何か言いかけて、止めた。


「……分かった」


 それだけだった。


 ゼノは何も言わない。よくやったとも、正しいとも言わなかった。酒杯を持ち上げて、空なのを確認し、少し不満そうな顔をしただけだ。


 ミラは、そのくらいでいいと思った。



「店は残らないかもしれません」


 カルムたちが帰ったあと、父親が契約書を見ながら言った。


「かもね」


「娘の判断を尊重して、それで店が潰れたら」


「困るね」


「……」


「でもそれ、今決めても同じでしょ」


 父親が顔を上げる。


「結婚したら絶対店が助かるって書類、まだないんだから」


「……そうですね」


「だったら先にそっち作ってもらえば」


「そっち?」


「選択肢」


 ミラは指を一本立てた。


「結婚する場合」


 二本目。


「しないで返す場合」


 三本目。


「店を売る場合」


 四本目を立てかけて、やめる。


「……他は知らない」


「急に雑ですね」


「だって商売知らないし」


「ここまで口出ししておいて」


「契約書に書いてあること読んだだけ」


 紙を父親へ返す。その時、追加融資の一枚がもう一度目に入った。


 流通調整費立替


「これ」


「はい?」


「街道組合に払ってるって言ってたよね」


「そう聞いています」


「毎月?」


「最近は」


「いくら?」


 父親が帳簿を出す。ミラは日付の古い方から順に指でなぞった。


「三か月前、銀貨一枚」


「はい」


「二か月前、一枚半」


「……ええ」


「先月から、二枚」


 顔を上げる。


「上がってるじゃん」


「本当だ」


「気づいてなかった?」


「他も全部上がっていますから」


「そっか」


 ミラは昨日の明細票を並べた。同じだ。上がり方まで近い。


(……やっぱり)


 まだ何も分からない。ただ、宿一軒の話ではなさそうだった。


「この商会、どこ?」


「東のカルネにも本店があります」


 ミラの指が止まる。


「カルネ?」


「ええ。次の大きな港町です」


「角牛の名物ある?」


 父親が少し考えた。


「ありますよ。炙り角牛の香草焼き」


 ミラが顔を上げる。


「行く」


「そこなんですか」


「そこよ」



 店じまいのあと、ハンナがカウンターを拭いていた。


「では酒を」


 ゼノが座る。


「今日は無理」


「なぜ」


「疲れた」


「明日は」


「気が向いたら」


 ゼノは少し考えた。


「分かった」


「珍しく引くんだ」


 階段の途中からミラが言う。


「嫌だと言われてはいない」


「そこ?」


「そういうとこだよ」


 ハンナが笑った。今日、初めてだった。


「あと」


 ハンナがゼノを見る。


「さっきはありがと」


「何がだ」


「……そういう返しする?」


「礼が欲しくてやったわけではない」


「じゃあ何で」


 ゼノは少し考えた。


「俺が嫌だった」


「何が」


「嫌がる女を、他人が勝手に決めるのが」


「自分勝手だね」


「当然だ」


「褒めてない」


「そうか」


 ハンナがまた笑った。



「意外」


 部屋へ戻る途中、ミラが言った。


「何がだ」


「あんた、もっと女なら何でもいいと思ってた」


「美人なら大体いい」


「台無し!」


「だが」


 ゼノは廊下の窓から外を見ている。


「嫌がる女を口説いて何が面白い」


「そこは普通なんだ」


「俺を何だと思っている」


「美女を見たら思考止まる人」


「止まらん」


「鈍る?」


「否定はしない」


「するところでしょ」


 数歩進んでから、ミラが言った。


「でも今日のあれ」


「何だ」


「最初、好きな方選べって言ったじゃん」


「言った」


「あれだけじゃ無理だったでしょ」


 ゼノが少し黙った。


「……面倒だな」


「だから人間は面倒なの」


「お前もか」


「特にあたし」


「自覚はあるのか」


「あるわよ」


 ゼノが少し笑った。それ以上は何も言わなかった。



 その夜、町外れの木立に一人の男が立っていた。


 黒い外套に、胸元の銀色の身分章。宿の窓を見上げながら、小さな手帳を開く。数行書いて、止まる。


 最後に一つだけ加えた。


 命令には従わず。契約内容を確認。判断は当事者へ返す。


 男はその文字をしばらく見ていた。


「……厄介だな」


 手帳を閉じる。宿の灯りは、まだ消えていなかった。




第5話「その返事は、本人に聞け」 終


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