第4話「肉が高い」
朝から、ミラ・ヴァーミリオンは機嫌が悪かった。
理由ははっきりしている。昨夜の肉だ。
銀貨十一枚。名物ですらない、ただ角牛を焼いただけのやつに、その値段を払った。
うまかったのは認める。認めるが、それとこれとは別だ。
「高い」
「四回目だな」
隣を歩くゼノ・クロウが欠伸をした。
「三回よ」
「増えたぞ」
「何が」
「昨夜から」
「数えてんの?」
「暇だったからな」
ミラは荷を背負い直した。
「別に怒ってるわけじゃないの」
「怒っている奴はよくそう言う」
「確かめたいだけ」
「何をだ」
「あの値段が妥当かどうか」
「食ったあとでか」
「今後のため」
「また食うのか」
ミラは振り返った。
「食うわよ」
「そうか」
「何その顔」
「いや。執念深いなと」
「食に妥協しないって言って」
「嫌だ」
「そこは言え!」
宿場町は朝からもう動いていた。
荷車が石畳を軋ませ、店先で樽が転がされ、井戸端では女たちが洗い物をしている。
東へ向かう旅人が保存食を買い込み、その脇を犬が一匹、我が物顔で歩いていった。
ミラに予定はなかった。強いて言えば、肉の値段を調べる。それだけだ。
「玉ねぎ、いくら」
「銅貨三枚」
「先月は」
「同じくらいだね」
「どこから来てる?」
「この辺の畑。歩いて半日くらい」
「ふうん」
次の店へ移る。
「麦」
「銀貨二枚」
「先月」
「一枚半くらいだったかな」
「ちょっと上がってる」
「ちょっとじゃないよ、こっちは困ってるんだから」
「ごめん」
その次。
「塩」
「銀貨五枚」
ミラの足が止まった。
「……もう一回」
「五枚」
「先月」
「一枚半」
「何したらそうなるの」
「こっちが聞きたいよ」
塩屋の主人が樽の蓋を叩く。
「荷が来ないんだ。前は月三回。今は一回。それも量が半分」
「街道が止まってる?」
「完全には止まってない」
「じゃあ何で」
「仲買から来ない」
「仲買は」
「上から来ないって」
「上って」
「知らん」
「誰」
「だから知らん」
三度目の知らんで、ミラは黙った。
肉屋の軒先で、また同じことを聞く。
「角牛、切り身」
「銀貨六枚」
「安っ」
肉屋が怪訝な顔をした。
「安くはないぞ」
「昨日十一枚取られた」
「宿の食堂か」
「そう」
「なら焼く手間も皿代も店賃も乗ってる」
「そこは分かる。でも、仕入れはいくら上がってるの」
「先月の倍近い」
「じゃあうちに来るまでに上がって、ここでも上がって、食堂でもう一回上がってるってこと?」
「まあ、そういうことになるな」
「誰が最初に上げたの」
「さあ」
「またそれ?」
「仕入れ先が上げたんだから、俺に聞かれても困る」
悪びれる様子はない。誤魔化している感じもしない。本当に知らないのだ。
ミラは軒先で腕を組んだ。玉ねぎは変わらない。麦は少し。塩は跳ねた。肉も妙だ。
(揃ってない)
全部が戦争のせいなら、もう少し雑に全部上がりそうなものだが、品によっても場所によっても違う。
魔術の式で、一箇所だけ妙に魔力が太い時に似ている。理由は分からない。ただ、気持ちが悪い。
「まだやるのか」
声がして振り向くと、ゼノが戻ってきていた。
「どこ行ってたの」
「あちらだ」
指した先には花屋がある。
「花?」
「売り子が美人だった」
「でしょうね」
「話を聞いてきた」
ミラが少しだけ目を細めた。
「何を」
「名前はエマ。十九。未婚」
「そっちじゃない!」
「花は北の農園から来るらしい」
「……え?」
「毎朝、直接だそうだ」
「値段は」
「変わっていない」
「何でそこまで聞いたの」
「花を買おうと思った」
「買ってないじゃん」
「高かった」
「そこはちゃんと金気にするんだ」
「女へ使う金にも限度はある」
「この前三人に酒奢った奴が?」
「あれは必要経費だ」
「何の!?」
ゼノは答えず、花屋の方へ軽く手を上げた。向こうで売り子が笑っている。
ミラは呆れながら、その情報だけ頭に残した。近場から直接来る物は動いていない。遠くから何人もの手を通る物だけが上がっている。
(……やっぱりか)
人混みへ入って少ししたところで、腰が軽くなった。
ミラは三歩進んでから止まった。
「……ゼノ」
「何だ」
「財布ない」
「使ったのではないか」
「使ったら覚えてる!」
振り返る。
荷車、露店、旅人。その向こうに、一人だけ歩くのが速い男がいた。擦り切れた灰色の外套。腰には剣。右手には見覚えのある革袋。
「いた!」
男が走った。
ミラも走る。
「追うのか」
「当たり前でしょ!」
「銀貨ならまだあるぞ」
「金額の問題じゃない!」
「珍しいな」
「所有権の話!」
市場の荷箱を飛び越えた男の動きは妙に鋭かった。
走りながらでも肩がぶれず、人混みへ入っても誰にもぶつからない。路地へ曲がる前には、こちらの位置を一度だけ確認していた。
(訓練を受けてる動きだ)
角を曲がると、男はもう剣を抜いていた。
「来るな」
「財布返して」
「悪い」
「悪いなら返せば」
「そういうわけにもいかねえ」
「じゃあ殴る」
「話が早すぎるだろ!」
男が構える。
片手剣。左足を半歩前。切っ先は低い。冒険者に多い構えではなかった。
「兵士?」
男の眉が動く。
「……だったら何だ」
「別に」
ミラは右手を上げた。
「返せばどうでもいい」
「返さねえって言ってんだろ!」
踏み込んでくる。常人の感覚なら速い。
「遅い」
ミラは指先を動かす。
石畳の溝に溜まった砂を、ほんの少しだけずらした。それだけで男の右足が沈む。
「なっ――」
重心が崩れたところへ、空気を一発。
剣を持った腕が跳ねる。
二発目で身体が浮き、三発目で吹き飛んだ。
「ぐおっ!」
男は路地の端まで飛び、積まれていた空箱へ突っ込んだ。
空箱は三つ崩れる。壁には当てていない。
「……お前」
男が呻いた。
「魔術師かよ」
「見れば分かるでしょ」
「最初から言え!」
「財布盗る前に聞きなさいよ」
ゼノがようやく路地へ入ってきた。
「随分飛んだな」
「加減した」
「箱が三つ死んでいるぞ」
「箱は直せる」
「人間も直る」
「そういう話じゃない」
ミラは財布を取り返して、その場で開いた。
「銀貨十三。銅貨四」
もう一度数える。
「十三。四」
「増えたか」
「増えるわけないでしょ」
「なら問題ない」
「確認が大事なの!」
木箱の中で、男が身体を起こした。
「……殺さねえのか」
「財布戻ったし」
「は?」
「あと治療費請求されたら嫌」
「そこかよ」
「他に何があるの」
遠くで警笛が鳴った。衛兵だ。男の顔が曇る。それでも逃げようとはしなかった。
ミラは腰の剣を見た。鞘の金具に、紋章を削り取った跡がある。
「元騎士?」
「昔な」
「今は泥棒」
「言い方」
「合ってるでしょ」
「仕事がねえんだよ」
男が吐き捨てるように言った。
ゼノが眉を寄せる。
「なら探せ」
「探した」
「雇われればいい」
男が笑った。乾いた笑いだった。
「どこに」
「腕はあるだろう」
「元軍属だぞ」
「それがどうした」
「除隊証がねえ」
ゼノが黙る。
「部隊が消えた。上官も死んだ。記録も焼けた。除隊証もねえ」
「仕事は」
「身元を証明できねえ奴を、誰が雇う」
男は自分の剣を見た。
「剣を捨てればいい」
ゼノが言った。
男の目が少しだけ鋭くなった。
「これを売ったら、次に野盗に会った時どうすんだ」
「……」
「選べるなら、とっくに選んでる」
ゼノは何も返さなかった。
ミラは横目でそれを見る。珍しい。
「だから財布盗ったの?」
男がミラを見た。
「……悪いとは思ってる」
「でも返さなかった」
「ああ」
「じゃあそこは別」
「だよな」
今度は男の方があっさり認めた。
衛兵が路地へ入ってくる。ミラは男を指した。
「この人」
「お、おい」
「財布盗られた」
「事情は!?」
「聞いた」
「じゃあ!」
「聞いたのと許すのは別でしょ」
「薄情だな!」
「人の財布盗っといて何期待してんのよ!」
男は衛兵に連れていかれた。剣だけが最後まで腰に残っていた。
市場へ戻ってしばらく、ゼノは珍しく黙っていた。
「何」
「何がだ」
「静か」
「悪いか」
「別に」
数歩進んでから、ミラが言う。
「さっきの」
「何だ」
「嫌なら別の仕事すればいいって、本気で思った?」
「今も思っている」
「へえ」
「ただ」
ゼノが少しだけ間を置いた。
「選べる場所がなければ、選びようがないらしい」
「それ、さっきの人が言ってたことだけど」
「聞いていた」
「珍しい」
「俺を何だと思っている」
「女の話以外聞かない人」
「失礼な」
「違う?」
「女の話はよく聞く」
「そこ否定しろ!」
いつもの調子に戻った。ミラはそれ以上言わなかった。
昼、宿へ荷を取りに戻ると、机の上に昨夜の明細票が残っていた。
宿泊費。食事。馬小屋。飼葉。それから見慣れない一行。
《臨時流通調整費 銀貨二枚》
「……何これ」
階下へ降りて、主人へ紙を突き出す。
「ねえ」
「何だい」
「これ」
「ああ」
「何のお金」
「仕入れに乗ってる分だよ」
「何の仕入れ」
「肉とか塩とか。荷代とは別で取られるようになってね」
「それを客から取ってるの」
「最初は食事代に乗せてたんだよ」
主人が肩をすくめた。
「でも毎週上がるだろ。何が上がったのか、こっちも分からなくなってね。もう別で書くことにしたんだ」
「誰に払ってるの」
「仲買」
「仲買はどこに払うの」
「街道組合に納めてるって聞いたけど」
「じゃあ組合は」
「知らないよ」
まただ。
「これ、いつから」
「ひと月くらい前かな」
「最初から二枚?」
「いや。一枚」
「今二枚」
「そうだね」
「倍じゃん」
「倍だね」
「何で払ってるの」
主人が逆に不思議そうな顔をした。
「払わないと荷が来ないから」
ミラの指が止まった。
「払わなかったお店ある?」
「さあ」
「知らない?」
「荷が止まった店なら知ってるよ」
「どこ」
「二軒先の酒場」
ゼノが反応する。
「酒?」
「そこじゃない」
「重要だ」
「黙って」
主人が続けた。
「文句言って一回払わなかったんだ。次の荷から外された。三日で払うようになったよ」
「……誰が外したの」
「仲買じゃないか」
「じゃないか?」
「そこまで知らないよ」
ミラは明細票へ目を落とした。紙の一番下に、小さな印がある。
「これ何」
「組合印」
「街道組合?」
「そう聞いてる」
紙を窓へ向けてみた。薄い透かしがあり、印の上にあとから書き足したような数字が見える。
「毎回同じ紙?」
「いや。仲買によって違う」
「印も?」
「たぶん」
「たぶん?」
「そんな細かいとこまで誰も見ないよ」
「……見せて」
「何を」
「最近のやつ全部」
主人が呆れた顔をした。
「何する気だい」
「見るだけ」
「何を」
「分かんない」
「分からないのに?」
「だから見るの」
主人は少し考えたあと、帳場の下から紙束を出してきた。三枚、五枚、十枚。
ミラは並べる。額が違う。紙も違う。仲買の名前も違う。
「……印、全部同じ」
「組合なんだから当然じゃないのかい」
「そうかもしれない」
印の位置。書き込まれた数字。日付。額。順番に見ていくと、一枚だけ銀貨一枚のものがあり、その次が一枚半、その次が二枚だった。毎週、少しずつ上がっている。
「税なら」
ミラが呟いた。
「何だい」
「額、こんな上げ方するかな」
「知らないよ」
「だよね」
分からない。ただ、気持ちが悪い。またそれだった。
「二枚だろう」
ゼノが言った。
「二枚よ」
「放っておけ」
「嫌」
「なぜだ」
ミラは明細票を折った。
「自分の財布から出たから」
「それだけか」
「それ以上いる?」
「ないな」
「でしょ」
「では、その紙は」
「持ってく」
「何のために」
「まだ分かんない」
「珍しいな」
「何が」
「分からんのに持っていくのか」
ミラは少し黙った。
「……悪い?」
「いや」
ゼノが肩をすくめる。
「好きにしろ」
「言われなくても」
明細票を懐へ入れて、宿場町を出る。
東の空の下に、遠く山が見えた。あの向こうに、炙り角牛の香草焼きがある。はずだ。
「なあ」
「何」
「結局、お前は何に怒っている」
「肉が高い」
「まだそれか」
「それよ」
「銀貨二枚は」
「それも肉高くしてるかもしれない」
「違ったら」
「その時はその時」
「調べ損だな」
「違う」
「何が?」
ミラは歩きながら答えた。
「違うって分かる」
「それに金を払うのか」
「払わない」
「ならいい」
「判断基準そこ?」
「金は大事だろう」
「急に話分かるじゃん」
「酒と女の次にな」
「下じゃん!」
ゼノが笑った。
ミラは懐の上から、折った明細票を指で押さえる。
肉は高い。塩も高い。銀貨二枚がどこへ行っているのかは分からない。
分からないものは嫌いだ。まして、自分で払った金なら。
「……名物まで高かったら許さない」
「誰をだ」
「まだ分かんない」
「そうか」
二人は東へ歩いていった。
第4話「肉が高い」 終




