第3話「依頼は、荷物を届けること」
東街道へ出る輸送隊の集合場所は、ラドネから半日ほど離れた街道沿いの中継所だった。
馬車が三台。荷台には小麦の袋と塩の樽が積まれ、その上に干し肉の束と薬草の箱が固定されている。
ミラ・ヴァーミリオンは荷台を覗き込んだ。
「肉ある」
「商品です」
「分かってる」
その横で、ゼノ・クロウが別の樽を叩いていた。
「酒もあるな」
「商品です」
「分かっている」
「絶対分かってないでしょ」
荷主は疲れた顔で二人を見比べてから、依頼書の写しを差し出した。
《東街道・食料輸送隊護衛》 報酬、金貨二十枚。
馬車三台の護衛。積荷を九割以上届けること。必要のない戦闘は避けること。街道から大きく外れないこと。重大な損失があった場合は報酬を減額する。
ミラは最後まで読んでから、紙を指で弾いた。
「積荷減ったら報酬も減る」
「だから?」
「酒飲むなってこと」
「まだ何もしていない」
「この先もしないで」
「善処する」
「一番信用できない返事だわ、それ」
護衛はミラたち二人だけではなかった。
隊長格の男はバルクといって、四十代の半ばくらいに見えた。革鎧の使い込み方に無駄がなく、剣の下げ方一つとっても職業の年季が出ている。
元は七旗諸王国連合軍の兵士で、今は護衛業。それだけ聞けば十分だった。
もう一人、若いのがいる。レム。二十歳前後で、動き自体は悪くない。荷の縛り方も分かっているし、指示を出せばすぐ動く。ただ、東の方角を見る目が少しだけ硬い。
「あいつ、身内が」
バルクが低い声で言った。
「戦争でな」
「聞いてないけど」
「先に言っておいた方がいい類の話だ」
ミラは頷いた。そういうことは、たしかに先に聞いておいた方がいい。
街道は乾いていて、馬車三台が並んで進むには狭かった。両脇には低い草地が続き、ところどころに戦争の余波が残っている。焼けた荷車の骨組み。放置された補給箱。折れた矢が一本、草の中に刺さったまま。古い軍靴の跡が、街道脇の柔らかい土に何十人分も重なっていた。
どれも大惨事の跡ではない。通り過ぎた何かの、残りかすだ。
「昨日、西じゃ魔王軍が大きく退いたらしいな」
バルクが手綱を引きながら言った。
「人間軍が三都市取り返したって聞きました」
レムが答える。
「そうらしいな」
ゼノが言った。
「何であんたが返事すんの」
「話を振られた気がした」
「振られてないから」
レムが少し身を乗り出す。
「こっちも動きますかね。東の方も」
「さあな」
バルクは前を向いたまま、少し間を置いた。
「戦場ってのは、隣が崩れたから全員同じ方向へ走るほど単純じゃねえ。西が退いたなら東は東で、別の理屈で動く」
ミラは黙って聞いていた。
昼過ぎ、ミラが足を止めた。
街道脇の土に、新しい軍靴の跡が残っている。十二から十五人分。歩幅が乱れている列があり、その脇に車輪の跡が一本だけ深く沈んでいた。さらにその横に、何かを引きずったような二本の細い筋。
「……」
「負傷者がいるな」
ゼノがしゃがみもせずに言った。
「分かる?」
「足跡が揃っていない」
「あと荷車一台。荷が重い方」
バルクが降りてきて、跡を見比べた。
「地方警戒隊か、後送護衛か。どっちかだな」
「魔王軍ですよね」
レムの声が少し硬くなる。
「たぶんな」
「西から逃げてきたやつらですか」
「違うだろ」
バルクが立ち上がる。
「西から来たなら、もっと荷が少ない。逃げる連中は捨てる。こいつらは持ってる」
街道の先は、片側が林、反対側が浅い斜面になっていた。道幅は相変わらず狭い。ただ、林の切れ目に、昔の荷馬車がすれ違うために作られた待避所が一つ残っている。
その手前で、鉢合わせた。
十二人前後。半数近くが負傷している。荷車の上には二人が横たわり、そのうち一人は担架のまま載せられていた。
先頭に、隊長らしい男が立っている。
「魔王軍!」
レムが剣を抜いた。
「待て!」
バルクの制止が飛ぶ。
ゼノは剣の柄へ手を置いた。ただし、抜かなかった。
ミラは相手の配置を見ていた。
弓兵が三人。全員、矢をつがえていない。矢筒の蓋も開いていない者がいる。
魔術師らしいのが一人、触媒を握ってはいるが、手のひらの中で握っているだけで詠唱の姿勢に入っていない。後方の兵は二人とも、こちらではなく林の奥を見ている。負傷者は荷車の上。荷車の向きは、進行方向へ向いたままだ。
「先にやる!」
レムが踏み出しかける。
「待って」
「何で!」
「こいつら、戦う気ない」
「分かるわけないだろ!」
「襲うならもう撃ってる」
ミラは相手を指さした。
「弓兵三人。全員矢つがえてない。魔術師も触媒握ってるだけ。前に出てるの隊長だけ」
レムが言い返そうとして、止まる。
「あと、後ろの二人。こっち見てない。林見てる。追われてるのはあいつらの方」
バルクが目を細めて相手の列を眺め、それから低く言った。
「……確かにな。矢筒の蓋が閉まってる」
レムは何も言わなかった。剣は下ろさなかったが、踏み出しもしなかった。
魔王軍の隊長が、一歩だけ前へ出た。
「道を空けろ。我々も争うつもりはない」
「信用できるか!」
レムが叫ぶ。
「信用を求めてはいない」
「なら何を求めてる」
「通行だ」
男は淡々としていた。声を張るでもなく、脅すでもない。
「こちらは負傷者を後方へ送っている。それだけだ」
「人間を殺しておいて、都合がよすぎるだろ」
その一言で、隊長の目がわずかに動いた。
「こちらも、同じことを言える」
それきりだった。どちらも先を続けなかった。
「どう見る」
バルクがミラへ聞いた。
「何であたしに聞くの」
「見えてるものが多そうだからだ」
ミラは道を見た。狭い街道。馬車三台。斜面と林に挟まれた場所。
ここで戦えば何が起きるかは、計算するまでもない。馬が暴れて荷が崩れる。塩の樽が割れる。誰かが怪我をして、その手当てで時間を食う。仮に勝ったとして、依頼は確実に遠ざかる。
「通した方がいい」
「は?」
レムが振り返った。
「今ここで戦う理由ないし」
「敵だぞ」
「だから?」
「倒すべきだろ」
「何のために?」
レムが詰まった。
「戦争なんだから」
「ここで戦ったら馬車壊れる。荷物も駄目になる。こっちも怪我する」
ミラは依頼書を軽く叩いた。
「依頼は護衛。魔王軍討伐じゃない」
「……」
「じゃあ」
レムが一拍置いてから言った。
「あいつらが次に誰か殺したらどうする」
ミラの口が止まった。少しだけ。
「それは知らない」
「……だったら」
「でも」
ミラは魔王軍の列を見た。
「それは今ここで、あたしたちが殺す理由にもならない」
レムは納得しなかった。それでよかった。ミラも、自分が正しいことを言っているつもりはない。今この場で見えているものから判断した。それだけの話だ。
「そっち」
ミラが街道脇を指した。
「何だ」
隊長が振り返る。
「あの待避所まで下がれる?」
男も同じ方を見た。
「可能だ」
「じゃあそっちが待避所。輸送隊を先に通す」
「こちらだけ武器を下ろせと言うなら断る」
「言わない」
ミラは即答した。
「弓兵は矢をしまう。魔術師は触媒から手を離す。こっちも同じ。それだけ」
「最後尾が通過したあと、こちらが街道へ戻る」
「それでいい」
「勝手に――」
レムが言いかけたところで、バルクが手を上げた。
「護衛隊長は俺だ」
一拍。
「その条件で行く」
魔王軍が待避所へ入っていく。負傷者を載せた荷車が最後に入り、弓兵が矢筒の蓋を確かめ、魔術師が触媒を腰の袋へ戻した。人間側も弓を下ろし、剣を鞘へ収める。
馬車が一台ずつ通り過ぎていく間、誰も喋らなかった。馬の足音と車輪の軋みだけが、林の間で妙に大きく響いた。
ゼノだけが平然としていた。むしろ退屈そうだった。
二台目が通り過ぎ、三台目にかかったところで、待避所の隊長が口を開いた。
「ミラ・ヴァーミリオン」
ミラが振り返る。
「……何で知ってんの」
「ゼノ・クロウ」
ゼノも目だけを向けた。
「西方の供給中枢を、一晩で止めた二人だ」
「もう向こうにも名前回ってんの?」
「回らない方がおかしい」
「最悪」
「有名になったな」
ゼノが言う。
「嬉しそうにすんな」
隊長は表情を変えなかった。ただ、少しだけ間を置いてから続けた。
「西方では、仲間が随分死んだ」
ゼノの顔は変わらなかった。
「俺が斬ったのは、あの場で俺に向かってきた奴だけだ」
「あと幹部一人」
ミラが横から言う。
「一人だ」
「……そうか」
「それがどうした」
謝りもしなければ、言い訳もしない。やったことは認める。そこから先は動かない。この男はいつもそうだった。
「一つ聞く」
隊長が言った。
「何」
「なぜ我々を通す」
「別に見逃してないけど」
「では」
「依頼は荷物を届けること」
ミラは肩をすくめた。
「それだけ」
「それだけか」
「それ以外に何があるの」
「戦う気のない奴を斬っても面白くない」
ゼノが付け足す。
「あたしと理由違うんだけど」
隊長は何も返さなかった。握手もしなければ、名乗りもしない。三台目が通り過ぎると、待避所から静かに列を出して、街道を逆方向へ歩いていった。それだけだった。
「あの中に、一人だけ強いのがいたな」
ゼノが言った。
「だから?」
「斬りたかった」
「駄目」
「なぜだ」
「荷物届ける仕事だから」
「強そうだったぞ」
「知らない」
「面白そうだった」
「報酬減るでしょうが!」
ゼノは残念そうに、通り過ぎていく背中を見送った。
しばらく進んでから、バルクが地図を広げて何かを書き込み始めた。
「何してるんです?」
レムが聞く。
「遭遇記録」
「見逃したのに?」
「護衛屋は兵隊じゃねえ」
バルクは印を一つ入れて、地図を畳んだ。
「だが、敵兵を見た報告まで捨てていいわけじゃない。宿場に着いたら守備隊へ出す」
「必要なの?」
「必要だ。俺たちが通さなかったところで、あいつらは別の道を通っただけだからな。どこにいたかは、知らせておく価値がある」
ミラは頷いた。それは、たしかに筋が通っている。
さらに少し進んだところで、レムが横に並んできた。
「俺はまだ納得してない」
「しなくていいよ」
「奴らは敵だ」
「うん」
「また人間を殺すかもしれない」
「かもね」
「だったら――」
「それでも、今ここで殺す理由にはならなかった」
レムが黙る。
「それだけ」
ミラはそう言って、前の馬車へ戻った。演説をするつもりはない。したところで、この若いのの身内は帰ってこない。
少し後ろで、バルクがレムに何か言っているのが聞こえた。
「俺が兵隊だった頃な」
「……はい」
「いちばん死人が出たのは、勝てない時じゃなかった」
「じゃあ、いつです」
「やらなくていい戦闘を始めた時だ」
レムは何も言わなかった。
その一時間後、今度は男たちが街道を塞いだ。
七、八人。弓が二張り、あとは剣と斧。装備がばらばらで、鎧の様式も揃っていない。目が荷台へ向いている。戦争に便乗して街道へ出た連中だ。
ミラの目も一瞬、荷台の干し肉の束へ流れた。
(あれ取られたら報酬減る。あと、肉も減る)
「荷を置いて――」
「こっちは殴っていい」
ミラが即座に言った。
「判断早くない!?」
レムが叫ぶ。
「依頼の邪魔してるから」
「分かりやすい奴は好きだ」
ゼノがようやく剣を抜いた。
男たちの前に、薄い結界が三枚張られる。急ごしらえだが、盗賊がやる仕事にしては上等な部類だった。
ミラは一瞥した。
「右二枚、囮」
「どれだ」
「魔力薄い方」
ゼノが踏み込む。囮を無視して本体側へ剣を入れ、三枚まとめて崩した。
あとは早かった。ミラが足元の土を寄せて数人の姿勢を崩し、バルクとレムが押さえ込む。逃げようとした二人は、ゼノが柄で沈めた。
全部で、一分もかからなかった。
「……こっちは殴るんですね」
縄を掛けながら、レムが言う。
「殴った」
「さっきの魔王軍とは」
「あっちは道を通りたかった。こっちは荷物を取りたかった」
ミラは縄の結び目を確かめた。
「区別つくでしょ」
夕方、宿場町へ着いた。
馬車は三台とも無事で、積荷の損失はゼロ。護衛にも輸送隊にも怪我人はいない。予定より半刻ほど遅れたが、範囲内だった。
「途中で魔王軍と会ったそうだな」
荷主が言う。
「会った」
「倒したのか」
「倒してない」
「……見逃したのか」
ミラは依頼書を出して、一箇所を指した。
「ここ」
《東街道・食料輸送隊護衛》
「依頼は荷物を届けること。魔王軍を全滅させろなんて書いてないけど」
荷主が少し黙り、それから馬車の方を見た。三台とも荷が満載のまま、縄も緩んでいない。
「……確かに」
そう言って、革袋を差し出した。
「金貨二十枚」
ミラは受け取り、その場で数えた。ちゃんと二十ある。
「よし」
「少ないな」
「減ってないだけいいの!」
その日のうちに、二枚減った。
宿代。馬小屋代。ゼノが街道で潰した剣先の修理。保存食の補充。宿場町の街道利用料。
ミラは財布の中を見つめた。
「……十八枚」
「二枚減ったな」
「見れば分かる!」
「誤差だ」
「二枚は誤差じゃない!」
宿場町の食堂は、思っていたより混んでいた。
ミラは壁の品書きの前で足を止めた。
「角牛の肉、あるじゃん」
「あるよ。名物のやつじゃないけどね」
店主が布巾で手を拭きながら言った。
「名物?」
「東の町の。香草焼きにするやつ。うちのは普通の焼いたのだよ」
「それでいい。値段は」
「銀貨十一枚」
ミラの手が止まった。
「……高くない?」
「高いよ」
店主はあっさり認めた。
「先月なら六枚だ」
「倍じゃん」
「倍まではいってない」
「ほぼ倍」
「ほぼ倍だな」
ミラは品書きをもう一度見た。肉だけではない。塩も、干し物も、軒並み上がっている。
「魔王軍?」
「そりゃあるだろうさ。街道が物騒だし」
店主は少しだけ首を傾げた。
「ただ、街道は今日あんたらが通ってきたろ。荷が着いたんだ。それでもこの値段だよ」
それだけ言って、店主は厨房へ引っ込んだ。
「食わないのか」
ゼノが言う。
ミラは肉を見て、値札を見て、財布を見て、もう一度肉を見た。
「食べる」
「高いぞ」
「だから何」
注文して、出てきたものを一口食べた。うまい。名物ではないと言われたが、それでも十分うまい。
「……許す」
「何を」
「値段」
ゼノが自分の分を切り分けながら言った。
「東の町のは、これよりうまいらしいぞ」
「知ってる。だから東行くんでしょ」
「間に合うといいがな」
「何が」
「食う前に、値段が倍になっていなければいいと言っている」
ミラの手が止まった。
肉を見る。財布を見る。厨房の方を見る。
「……それ」
少し間。
「困るんだけど」
魔王軍とは戦わなかった。盗賊は殴った。荷物も届いた。
それでもその日、ミラが一番腹を立てたのは、肉の値段だった。
第3話「依頼は、荷物を届けること」 終




