第9話 リーナは友達
赤レンガ造りの校舎の端に、道場がある。
リーナと男子生徒が木剣を構えて向かい合っていた。教官の合図を待つ静寂の中、道場の空気が張り詰めていた。
「リーナ、お前は木剣を使うな。素手でやれ」
リーナの鋭い目がさらに細くなった。
「先生、あたし女だよ。男子相手に素手なんて勝てるわけないじゃん」
「だったらボコボコにされな。戦場じゃ剣を失ってごめんなさいではすまないぞ」
「チッ」
リーナが舌を鳴らした。
「始め!」
男子の剣は鋭かった。それをリーナは難なく避ける。隙を見て相手の胴体に抱きついた。女に抱きつかれた男子の動きが一瞬止まる。
その瞬間、リーナは足を掛けて倒し、剣を持った手首を捻り上げた。奪った剣の柄で男子の額を打ち付ける。
「痛っ!」
「それまで!」
道場の男子たちからどよめきが起こった。
貴族学校の剣の道場に通う女子は、リーナただ一人だった。教官の勧めで籍を置いたのは、学校の成績に色を付けるという取引があったからだ。
男子とは別の部屋で着替えを済ませたリーナは、道場から漏れてくる声に足を止めた。
中に入ると、さっき闘った男子生徒が床に座り込んでいた。肩が小刻みに揺れている。
――これだから男ってのは苦手なんだよ。女に負けて泣いてどうする。次に勝てばいいだけじゃん。
「道場の鍵閉めるからさっさと出なよ」
声をかけると、男子生徒が振り返った。泣いていたはずの顔に、笑みが浮かんでいた。リーナは目を瞬かせる。
「お前、泣いてた……だろ?」
男子生徒は首を振った。
「嬉し泣きだよ。あの剣聖の血を引くリーナと闘えたんだ。孫の代まで話のネタになるからね」
――剣聖。おじいちゃんのことだ。一介の騎士にすぎなかった祖父は、戦場の活躍で爵位を得た。フランチェスカ王国の伝説の人物だ。
「つまんないこと言うなよ。私に負けたけど、お前は強いぞ。オレステ・ファーゴ」
「実は教官にリーナと当たるように頼んでいたんだ」
「なんで?」
オレステが立ち上がった。まっすぐなまなざしがリーナに向いた。
「俺が勝ったら告白しようと思った」
リーナの頬に熱が集まった。顔がトマトのように赤くなっていくのが、自分でもわかった。
――何だって、そんなことが……
「でも負けちゃった。諦めたよ。剣聖の血筋に勝てるわけないよな」
オレステはリーナの横を通り過ぎ、道場を出て行った。リーナはその場にへなへなと座り込んだ。
◇
3歳のトビアが祖父から木剣を習っていた。小さな手で一生懸命に振り続けるトビアを、5歳のリーナは遠くから眺めていた。
いつも遊び相手になってくれるトビアを祖父に取られて、ひがんでいたのだ。
しかたなく、置いてあった木剣を手に取った。片手でふざけて振ってみた。
二度、三度。空気を切る音がした。面白かった。両手で柄を握り、トビアの真似をした。
ヴゥ──ン!
いい音が鳴った。祖母がその様子を見て、驚愕の眼差しでリーナを見つめた。
「リーナが……わしの血を受け継いでいる」
その日から、リーナは祖父に稽古をつけてもらうようになった。明けても暮れても、剣の稽古が続いた。トビアは無視された。
リーナはトビアのことが心配だった。でもそれは杞憂だった。トビアは父から勉強を教えてもらうようになり、そちらの才能がめきめきと頭角を現した。
――あたしと真逆だ。あたしは勉強が大嫌い。体を動かすことが大好き。
屋敷の庭での稽古は13歳まで続いた。
「山ごもりするぞ。そこで稽古だ」
祖父はリーナを山で鍛え上げた。山小屋で生活しながら、自然と一体になった稽古の日々。
朝は山を走り、崖を素手で登った。午後からは木剣での稽古、さらに戦場を想定した実戦稽古が待っていた。
祖父はリーナに、戦場では"卑怯"になれと教えた。綺麗な勝ち方はいらない。相手の股間を蹴れ。剣を失ったら、石を投げろ。背後から襲え。どうしても勝てなかったら、ひたすら逃げろ。戦場では常識は通じない。
「剣聖でもそんな卑怯なことをやるの?」
「剣聖だと? そんな肩書、戦場で通用すると思ってるのは、馬鹿野郎だ。生き残れ、手足を失っても構わない。命さえあればいい。戦場ではそれがすべてだ」
――私が15歳になったとき、祖父は他界した。これまで剣一筋だった私はタガが外れて、グレた。
◇
貴族学校ではDクラス。ここは、勉強のできない貴族や金持ちの商人の子女たちの掃き溜めだった。
そこで知り合ったベッダの父は金融業で成功して、国家財政の運営を任されていた。
ダフネは高級娼館の跡取り娘。フランチェスカ王国の高官たちのコネでここに潜り込んだ。
あたしとベッダとダフネはすぐに意気投合した。やっぱり半端者同士、引き合うものがあったのだろう。
Dクラスの教室で、リーナは机に伏せっていた。そこへベッダとダフネが近寄ってくる気配がした。
「剣の試合でファーゴに勝ったんだろ? なんでふてくされてんだよ」
ダフネが言った。
リーナは顔を上げず、天井を見るような目でつぶやいた。
「負けてやったらよかったかな……」
「何でだよ。ファーゴを破って貴族学校で右に出るものいないだろう」
「あたし、素手で闘って勝っちゃった」
「うひゃー! やっぱり剣聖の血筋はすげーや」
ベッダが言った。
「あたしに勝ってたら告白したってさ」
「告白、ファーゴが?」
「……うん」
ベッダとダフネが顔を見合わせた。
「入学以来、ずっと好きだったよねファーゴのこと、どうするの?」
とダフネ。
「男のプライドをずたずたにしたからね。もう駄目だと思う」
「諦めるな、剣聖の娘!」
ベッダが言った。
「うっせーな、剣聖の娘もただの……女の子なんだよ」
リーナはしょぼんと肩を落とした。
放課後の空気はまだ少し熱を持っていた。
貴族学校の重い扉を押し開けたリーナは、石畳の向こうに並ぶ二つの後ろ姿を見つけた。ルーナとオザンナだ。
横顔を捉えた瞬間、胸の奥に熱いものがこみ上げてきて、リーナは思わず足を止めた。
「あっ、聖女様に相談したらいいじゃない」
ベッダが言った。
「行きなよ、リーナ」
ダフネの手がリーナの背中を押した。
リーナはゴクリと唾を飲み込んで石畳を蹴った。
◇
「お姉ちゃん、俺ににに勝おうと思うなんて100年早いや」
レイが言った。
「そいつはどうかな」
とリーナ。
孤児院の庭。二人はおもちゃの剣を手に向かい合っていた。
「えぃ」
レイが踏み込んでくる。リーナはひらりと躱した。体が自然に動く。幼い頃から骨の髄まで叩き込まれた動きだ。
「まだまだ!」
レイが続けざまに打ち込んでくる。リーナは右手一本でそれを受け止めた。
しばらくして、レイの息が上がった。肩が大きく揺れ、頬が赤くなっている。周りに集まった子供たちが囃し立てた。
「どうしたレイ!」
「もうちょっとだぞ!」
声援が飛び交う中、リーナはおもちゃの剣を手放した。両手を横に広げ、無防備に立つ。
「かかってきな、おチビさん」
その言葉に火がついたレイが突っ込んできた。リーナは目を見張るような速さで一撃を躱し、あっという間に背後を取った。
両手をレイの胴に回し、そのまま覆いかぶさるように床へ押し付ける。おもちゃの剣が手の中に収まった。
「まいった。お姉ちゃん強いね」
床から見上げるレイの目に、まっすぐな尊敬の光があった。
「リーナは剣聖の娘さんだよ」
ルーナが言った。
「えっ、本当なの?」
オザンナ。
「小さい頃、一度会ってるよね。お爺さんと一緒だったわ」
ルーナの言葉が、リーナを5歳の頃へ引き戻した。
――そうだ。あたしは幼い聖女様、ルーナと会っていた。祖父は月に一回騎士団に稽古をつけていた。その成果を王宮に出向いて王に報告しに行った。一緒に行ったあたしは控室で大人しく待つように言われた。じっとしてられなくて窓から外を覗くと、王族の子弟が庭で遊んでいた。かくれんぼだ。植え込みで隠れていた金髪の女の子がこちらを見て目が合った。すると唇に人差し指を立てた。私はこっくり頷いた。あたしを迎えに来た祖父は、『あの方は聖女様だ。ルーナお嬢様、フランチェスカ王国の希望そのものだ』と教えてくれた。あのときの一瞬の出来事を、聖女様は覚えてくれたのか……
立ち上がったレイが、泥のついた手をぱんぱんと払いながら口を開いた。
「リーナ姉ちゃん強いな。でも将来は俺の方が強くなるぜ」
「大きくなってあたしに勝ったら、何でもいうこと聞いてやる」
「だったら、結婚してくれよ」
一瞬、誰もが時間が止まったような感覚になった。
──そして時は流れた。
「えええー!」
「いいだろ? 俺リーナ姉ちゃんが憧れなんだ。剣聖の娘をもらうのは、最高だぜ」
――その幼い子供の言葉があたしの心の靄を晴らした。オレステはあたしに負けて告白を諦めた。レイはどうだ。負けても将来勝って結婚したいと宣言した。そうだ、男なんていくらでもいる。一人の男に拘るのって馬鹿らしい。
夕暮れが孤児院の庭を橙色に染めていた。
リーナはオザンナとルーナと並んで外へ出て、数歩歩いたところで足を止めた。そのままルーナの前に回り込み、石畳に片膝をついた。
「剣聖の娘、リーナ・フォリーノ。聖女様に剣を捧げます」
「え〜駄目よ。剣持ってないじゃない」
リーナは固まった。
「俺の貸してやるよ」
見送りに玄関を出ていたレイが、おもちゃの剣をリーナに差し出した。
「駄目よ。私はリーナと主従関係になりたくない」
「なぜです。聖女様?」
「だってリーナとは友達じゃないの。聖女様じゃなくてルーナって呼んでよ」
目の奥が熱くなった。まばたきをする間もなく、リーナのまなこから涙がこぼれた。
「……ルーナ」
「リーナさん、これからもよろしくね」
オザンナとルーナは孤児院の前でリーナと別れ、並んで夕暮れの道を歩いた。
しばらくして、オザンナがルーナの肩を肘でつついた。
「聖女様パワー全開じゃない」
「いいえ、リーナを気持ち良くして地獄の苦しみを与えるのよ。希望を与えて奪うの。これこそ悪役令嬢だわ」
「まだ、悪役令嬢やるの諦めないの?」
「やめたら……オザンナ困るでしょ」
そう言ってにっこり笑った。




