第7話 初デート
貴族学校の食堂は、昼のざわめきに満ちていた。銀の食器が触れ合う音と、あちこちで弾む会話が重なり、空気は落ち着きなく揺れている。
その端で、オザンナは一人、静かに昼食を取っていた。人目を避けるような位置だったが、向かいの椅子が引かれる音に顔を上げる。
「はあ~、デートの練習台になってくれって?」
思わず声が漏れる。座ったのはリーナだった。いつも通りの気軽な顔で、スプーンを手にしている。
「トビアが勇気を出して聖女様をデートに誘いたいって言うんだよ」
オザンナは視線を流し、食堂の一角を見た。ひときわ賑やかな集団の中心に、ルーナがいる。明るい笑顔が周囲を引き寄せていた。
「でも、デート失敗したくないからオザンナで練習したいとさ」
リーナの言葉に、オザンナは鼻で笑う。
「それって、私がルーナと似てるからでしょ。あの子、前は私に恋い焦がれて熱まで出したのに、今ではすっかりルーナに夢中じゃない。うへっ」
「駄目ならしかたないね」
リーナは興味なさげに目線を外し、スプーンでスープを口に運ぶ。
「いいよ。あんたの弟だし、私が面倒見てやるよ」
言いながら、オザンナは皿の上のパンをちぎる。最近、リーナと顔を合わせることが増えた。気づけば、声をかけてくる相手も限られている。
視線が自然とルーナへ向いた。あの無邪気な笑顔が、やけに眩しい。
場所は変わり、ルーナの自室。窓から差し込む光が、白いカーテンをやわらかく揺らしていた。
「えっ、オザンナがデートするの? へー」
ルーナの目がきらきらと輝く。ベッドの上に腰掛け、身を乗り出している。
「相手はトビアだよ」
「トビアいいじゃない。元々オザンナにぞっこんで、恋煩いするほどだったんだし」
「今じゃルーナに夢中じゃん。もう私なんか眼中にないの」
オザンナは頬をふくらませる。
「もしかして、トビアに気があるの?」
「そんなわけない! そりゃ、トビアは巻き毛で可愛いよ、チビだけど……それも姉貴のリーナの長身を見たら、成長してかっこよくなるかもって思うよ。一途な所もいいけど、今はルーナに目が向いてるしね」
「ハハハ、気にしない、気にしない」
ルーナの笑い声が部屋に弾ける。
見ていると、肩の力が抜けていく。周囲に向ける笑顔と、自分に向けるそれがどこか違う気がして、オザンナは少しだけ首を傾げた。
王都商業地区ラクザ。表通りには高級店が並び、その裏手には庶民の市場が広がっている。
香ばしい匂いと人いきれが混ざり合い、通りは活気に満ちていた。
トビアが選んだのは、その市場だった。
オザンナは歩きながら、ちらりと隣を見る。トビアはさっきからやけにこちらを見ている。
「どうかした?」
「あ、いや。こうして間近で見るとオザンナさん、やっぱり美人だなーて思って」
「やっぱりは余計よ」
「ごめんなさい」
慌てて謝る様子に、オザンナは口元を緩める。少しだけ背筋が伸びた。
ふと振り返ると、リーナとベッダ、ダフネの三人がついてきている。
「なんであんたたちと一緒にデートしなくちゃいけないの?」
「そりゃ可愛い弟の初デートだぞ。姉としてはついて来るのは当たり前だろ?」
リーナが胸を張る。
オザンナは言葉を飲み込む。三人そろっているあたり、どう見ても見守り以上の何かだ。
「あたしも含めて、こいつらは用心棒ってことで、デートを楽しもう」
なぜかリーナが照れている。ベッダとダフネが顔を寄せて笑い合った。
通りに並ぶ屋台を巡り、串焼きや果物をつまむ。焼きたての生地に甘辛い具材を包んだ“生地焼き”を分け合いながら歩く。
その途中で、背筋にざわりとした感覚が走った。
オザンナは屋台のネックレスに手を伸ばしながら、さりげなく視線を巡らせる。人混みの中、黒髪の女が目に入った。薔薇柄の黒いワンピースに、つば広の帽子。目が合いかけると、慌てて屋台の影に隠れる。
しばらくして、またこちらをうかがう気配。
動きが不自然だ。
「オザンナさん、プレゼントします」
トビアの声に振り向く。差し出されたのは、さっき手に取ったネックレスだった。空色の石が光を受けてきらめいている。
「私にくれるの?」
「受け取ってください」
軽い品に見えるが、差し出す手は真剣だ。
「私にくれるの。ルーナじゃなくて?」
「はい。やっぱりオザンナさんも好きだから」
「こら! “も”は余計だぞ」
「あっ、すみません」
ぺこりと頭を下げるトビアに、リーナが口を挟む。
「オザ、受け取ってやりなよ」
「もちろん」
ネックレスを受け取ると、トビアの顔がぱっと明るくなった。
「いつか、婚約指輪も受け取ってくださいね」
思わず肩が引ける。軽い贈り物のつもりで受け取っただけに、言葉の重さがずしりと残る。
それでも、胸の奥が少しだけ温かい。
そのとき、リーナが耳元に顔を寄せた。
「気づいてるかい?」
オザンナは小さく頷く。
「つけてるわね」
「とっちめてやる」
リーナがベッダとダフネに目配せする。
市場を抜け、人通りがまばらになったところで、三人が一斉に振り返った。逃げ場を塞ぐように囲む。
「てめえ、さっきから私たちの様子を伺ってやがったな!」
リーナの怒鳴り声に、相手が肩をすくめる。
「おっ、すまない」
低く野太い声だった。顔を上げたその男を見て、オザンナは息をのむ。
ダンテだった。
◇
ダンテはオザンナに歩み寄り、その顔をじっと見つめる。懐かしさと確信が混ざったような表情だった。
月明かりの路地、胸の奥に残る重さ、そして金色に輝く女神の像――記憶が重なり合う。
目の前の黒髪の少女が、その中心にいる。
「確か、ダンテさんでしたね?」
「オザ、知り合いなの?」
リーナが怪訝そうに尋ねる。
「うん、孤児院で一度会ったことがある」
「ふーん、でオザになんかようかい?」
「市場で見かけたから、挨拶しようと思ってな」
「律儀なことで」
リーナが鼻を鳴らす。
その背後で、低い唸り声がした。振り向くと、トビアが拳を握りしめている。
「オザンナさんは、渡さないぞ!」
真っ直ぐな視線がダンテに向けられる。
ダンテはわずかに口角を上げた。
「今じゃねー。今じゃないけど、いつか俺が胸の張れる人間になったときに、あんたを迎えに行くぜ」
すれ違いざま、オザンナの耳元で低く囁く。
「あんた“聖女様”ということは、秘密にしとくぜ」
そのまま背を向け、人混みの中へ消えていった。
ヒュー、ヒュー!
ベッダとダフネが面白がるように囃し立てる。
「トビアのライバル登場か……」
リーナが腕を組む。
「僕、あんな奴に絶対に負けないよ」
「でも、背の高さも、男らしさも負けてるぞ」
「お姉ちゃん!!」
トビアの声が半ば泣きに変わる。
◇
アウグストニ伯爵邸、ルーナの自室。
「──それでダンテがわたしのこと聖女様って言ったのよ。何なのあれ、私は悪役令嬢なのに、ふん」
「アハハハ!」
ルーナはベッドの端で笑い転げる。こぼれた涙が頬を伝い、部屋に明るい余韻を残した。
オザンナが帰った後、ルーナはワードローブを開けた。
薔薇柄の黒いワンピースと、つば広の帽子があった。
そして黒髪のウィッグを大事そうに手に取った。
ーーこれからも活躍してもらうわね。




