第5話 聖女様化の暴走
「ちょっとそこのあんた。お話がしたいんだけど」
廊下の壁に背を預けていた三人組の一人が、通り過ぎようとしたオザンナの足を止めた。Dクラスの生徒だ。
Aクラスのオザンナとは接点がないが、目が合った瞬間から不穏な空気を感じていた。自分と同じ、問題児特有の匂い。
「私にはないわ」
冷たく言い放つが、三人組の中で最も背の高い女子生徒は、挑発的な笑みを浮かべて顎をしゃくった。
「こっちにはあるの、ついてきな」
逃げるわけにはいかない。オザンナは一瞬ためらったが、意を決して彼女たちの後を追った。三対一という状況を頭の中で整理する。とりあえず、あのデカいのからぶっ飛ばす。なめられてたまるか。こちとら悪役令嬢のマスターなのだ。
中庭を抜け、人影のない校舎裏へ出た。そこには、一人の男子生徒がぽつねんと立っていた。オザンナの姿を捉えた瞬間、彼は慌てて視線を逸らす。
制服の生地がまだ新しい。新入生だろうか。自分と同じくらいの背丈で、巻き毛が似合う可愛らしい顔立ちをしている。この子が相手なのか。私の何が気に入らないというのか。
少年は、意を決したように前を向いた。
「──オザンナさん、トビア・フォリーノです。一年生です」
名前を知られている。そうか、悪名高いから一年生にまで知れ渡っているのだ。「噂の悪役令嬢」として。ならば仕方ない、その凄みを見せてやろう。
オザンナは重心を低く落とした。左足を前に出し、右足の踵に体重を乗せる。両手を前に突き出し、獲物を掴み取るような構え――格闘技のポーズだ。
連れてきた三人組が、呆気に取られて口を半開きにする。だが、トビアは期待に満ちた表情で顔を輝かせた。
「いいんですか?」
「もちろんOKだ」
ーー悪役令嬢たるもの、売られた喧嘩を買わない道理はない。こんな女のような男の子に、なめられてたまるものか。
「じゃ遠慮なく」
「えっ」
次の瞬間、トビアはオザンナに飛び込み、ぎゅっと力強く抱きしめた。女の子みたいな少年とは思えない力強さだ。みるみるうちにオザンナの顔が上気していく。
ーーこれ、いったい何なのよー!
心の中で絶叫し、慌てて突き放した。
「抱きつくなんて卑怯だぞ。男なら正々堂々とやりなさい」
「あ、はい」
トビアは素直に頷くと、オザンナの頬を両手で挟み込んだ。
ーー油断した。頭突きだな!
そのまま唇にキスをした。
ブチュー、と湿った音が響く。
こうしてオザンナのファーストキスは、あまりにあっけなく終わった。
【アンドレイニ伯爵邸 ルーナの部屋】
「キャハハハー!」
ルーナが腹を抱えて笑っていた。目尻からこぼれた涙を、楽しそうに指先で拭っている。
その笑顔を見て、オザンナは少しだけ肩の力が抜けた。こんな話で喜んでくれるなら、話した甲斐があったというものだ。
『私は自由になりたいの。悪役令嬢はそのための手段なのよ』
先日聞いたルーナの言葉が、脳裏にこびりついて離れない。彼女の心にぽっかり空いた穴を、自分が埋める存在になれるだろうか。
ベッドの中でそんなことを考えもしたが、今の屈託のない笑顔を見れば安心できた。
「ねぇ、それからどうなったの?」
「あれ、もうどうでもいいんだ。たぶん“罰ゲーム”だと思う」
「罰ゲーム?」
「ふん、貴族学校の嫌われ者に告白して、笑い者にしたんだよ、きっと」
オザンナが苦笑交じりに吐き捨てると、ルーナは顎に人差し指を当てて天井を見上げた。
「ウ~ン、そうかなー」
一ヶ月後、貴族学校の廊下を一人で歩くオザンナの前に、例の三人組が再び立ちふさがった。
「ちょっと話がある」
促されるまま、以前と同じ校舎裏の死角へ向かう。だが、そこにトビアの姿はなかった。あの男の子はいないのか。少し……やりすぎただろうか。
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ーーこの野郎! 何しやがるんだ! 消えちまえ!!
あの時、私は鬼の形相で怒鳴り散らした。自分をいじめた相手を階段から突き落とした時と同じ、氷のように冷え切った心が自分を支配していた。あの悪意あるからかいのせいで、再び心が冷えてしまったのだ。
尻もちをついたトビアは、涙目になって泣きじゃくっていた。
ーー泣きたいのは、こっちよ!
そう思いながら、踵を返して立ち去ったのが最後だった。
**********
「あのときは、よくも弟を泣かせてくれたな」
背の高い女、リータが怒りを堪えるように言った。
「弟?」
「そういえば自己紹介してなかったな。あたしはリータ・フォリーノ。彼女らは……」
「ベッダ」
「ダフネ、よろしくね」
紹介された二人が笑う。
「オザンナ・ロメーオ」
「知ってるよ。貴族学校創設以来の問題児、“悪役令嬢”だってこと」
面と向かって言われると腹が立つが、リータは構わず続けた。
「その悪役令嬢に、弟のトビアが入学して一目惚れしたんだ。確かにあんたはそこそこ綺麗だけど……性根が腐ってるとの噂を聞いたから反対したんだよ。でも、どうしても告白したいと言うから、心配してついてきたのさ。そしたらあのザマだ」
ーーいきなりキスをされればパニックにもなる。とはいえ、あの少年にはきつい言葉だったかもしれない。
「いたずらじゃないの? 罰ゲームで告白させるやつみたいな……」
「違う。トビアは寝ても覚めてもあんたのことばかり喋ってた。『あんな可愛い人が悪役令嬢なわけがない!』って怒ってたよ」
否定されるのは嬉しいような、どこか複雑な気分だ。
「トビアはこの一ヶ月、家に閉じこもって泣いてばかりいたんだ。ご飯もろくに食べずに痩せこけて、しまいには寝たきりになった。熱が出てね。寝言も『オザンナ……オザンナ』だったよ。切なくて、もうダメかと思ったとき、あの聖女様が来てくださったんだ」
リータの表情が、陶酔したようなものに変わる。
「ルーナが家に行ったの?」
リータは深く頷いた。
「聖女様のご加護のおかげで、トビアはみるみる元気になった。奇跡だよ。本当にびっくりしたよ。それもこれも、オザンナが聖女様にいきさつを話してくれたおかげだ。本当に……感謝する」
リータはオザンナの手を握り、頭を下げた。今日ルーナが学校を休んだのは、そのためだったのだ。
【孤児院】
庭では、子供たちがボール遊びをしていた。その中にルーナとトビアの姿を見つけ、オザンナは歩み寄る。
「お姉ちゃん、一緒にやろうよ」
レオに誘われてひとしきり遊んだ後、全員で夕食を囲むことになった。帰ろうとしたトビアを、ルーナが満面の笑みで引き止める。
食事中、オザンナはトビアを盗み見た。よく見れば女の子のように可愛いハンサムだ。背はまだ低いが、姉のリータが高身長なら、これから伸びるだろう。男爵家だが裕福だという話も聞く。
ーー告白の返事、まだしてないわね。いずれしなくちゃ。あの熱烈な愛に応えるのも、ありかもしれない……
片付けが終わり、オザンナは意を決して声をかけた。
「トビア、この前の件だけど……告白の返事」
「あっ、それ無かったことにしてください」
「えっ」
トビアは以前にも増して目を輝かせ、断言した。
「僕、聖女様に恋しました。もうあなたのことはいいです」
愕然とするオザンナの横で、レオが囃し立てる。
「お姉ちゃん、振られてやがんの」
「振られるって何?」
「聖女様が好きだってさ」
「私も聖女様、大好き!」
子供たちの無邪気な声が響く中、オザンナは隣のルーナを見た。いつものように笑顔だ。
でも、ルーナの眉間には、青白い血管がピクピクと浮き出ている。
ーールーナの聖女様化が暴走している。何とかしないと……




