第4話 誕生日
「今月のお給金です」
豪華絢爛な自室で、ルーナがずっしりと重みのある巾着袋を差し出した。手の平に乗せられたその重みに、オザンナの口角が自然と跳ね上がる。
――生まれて初めての給金だ。嬉しいなー。私は没落貴族の男爵家だけど、それでも下僕たちに給金を出してる方なの。お給金をもらうのがこんなにも嬉しいとは思わなかったよ。
あれ? 紐を解いて中を覗き込むと、鈍く光る銀貨の束に混じって、輝きの強い金貨が三枚、顔を出していた。
「金貨入ってる。これ間違いよね? 返すよ」
「いらないなら、捨てればいいのよ」
「さすがに金貨を捨てるのは……」
ルーナは興味がなさそうに、ふいっと顔を背けた。
「孤児院なんかに投げ捨てればいいのよ」
「えっ」
オザンナの視界が、パッと明るく開けたような感覚になる。
――何だ、ルーナも孤児院の子供たちのことを気にしてくれてるんだ。やっぱり聖女というのは、本物なのかも……
「お菓子だけ口が肥えてもだめ。着るものや衛生面でも向上させてから、一切の援助をなくすのよ。そうすればあの子たちの絶望度が増すわ。苦しむ姿を見るのが楽しみよね、フフフ」
――私の教育の成果が出た。今の笑い方、悪役令嬢みたいじゃない。先生は嬉しくて涙が出そう。あ、出た。
【孤児院】
「うわー、新しい服じゃない」 レオが声を弾ませ、アルも「すごいなー」と目を輝かせる。
「俺の服、ツギハギだから嬉しいよ」
コッポが自分の肩をさすり、小さなレーナがルーナの裾を引いた。
「レーナのもあるの? 聖女様」
「もちろん、これなんかどうかしら?」
ルーナが取り出したのは、可憐な花柄のワンピースだった。レーナの顔が、ぱあっと華やぐ。
「綺麗なお洋服! 聖女様、大好き」
子供たちにもみくちゃにされ、囲まれるルーナ。にこやかな笑みを浮かべてはいるものの、その眉間には青白い血管がピクピクと脈打っている。
――ルーナはいつから聖女と呼ばれるようになったんだろう? ちょっと調べてみようかな……
【オザンナの家】
王都の貴族地区、その隅にひっそりと佇む集合住宅。そこがオザンナの家だった。周囲の豪奢な邸宅と比べれば、そのこじんまりとした古びた佇まいは、雲泥の差というほかない。
「オザンナ、まさか聖女様と仲良くしているってのは本当なのか? わしはでまかせを言ってるとばかりと……」
父、ロメーオ男爵が、娘の両肩を万力のような力で掴んだ。
「これはチャンスだ。絶対に手放すなよ」
オザンナの顔が、あからさまに歪む。
――みんなルーナに近づこうとしている。まるで砂糖菓子に群がるアリのように。ルーナの本音はどうなんだろう? こんなに期待されて、ルーナは幸せなのかな……
居間で父と向かい合う。長年この家に仕える唯一の奉公人、侍女長が静かに紅茶を運んできた。彼女は給仕を終えると、窓際で編み物に耽る母の側へと戻っていく。
ロメーオは紅茶を一口啜ると、椅子を寄せて声を潜めた。
――父は情報通だ。父のポーカー相手は、市井の人々から王侯貴族まで幅広い。そのため情報を売って色んなところからお金をせしめているらしい。ポーカーは下手っぴだけどね。
没落貴族なのに破綻しないのは、それなりの理由があったわけよ。それで私はルーナのことを尋ねたの。すると前のめりになったわ。
「──十八年前、王の夢に女神様が現れたのじゃ」
【王宮の王の寝室】
十八年前のその夜、国王シルヴェストロ・フランチェスキは、寝台の上でのたうち回っていた。額には大粒の汗が浮かび、喉からは獣のような唸りが漏れる。広大なベッドから転げ落ちんばかりに、手足を激しく動かしていた。
「──お主はわしを殺すのか、この裏切り者め! ウギァァァアア──!」
王が弾かれたように目を見開いた。上体を起こし、ベッドの縁に腰を下ろして荒い息を吐く。
そのとき、暗い部屋に黄金の光が降り注いだ。顔を上げた王の瞳から、涙が溢れ出す。そこには、神々しい姿の女神が降臨していた。
「悪夢は私が退治しました」
女神が右手をかざすと、そこに握られていたドロリとした黒い煙が霧散する。それこそが、王を苦しめていた悪夢の正体だった。
王はたまらず床に這いつくばり、額をカーペットに擦りつける。
「この世界を昇華するために地上に聖女を遣わす。今夜、王都で誕生する赤子です」
王はすぐさま、その夜に生まれた赤子を捜索させた。
それが、ルーナだった。
ロメーオが話を締めくくる。
「その後、王もとい王族はアンドレイニ伯爵の娘を守護神として扱っておる。これまでも数々の奇跡を起こしてるからな」
「知らない。そんなの聞いてないよ」
「国家機密だから、一般庶民は知らないはずだ。でもルーナが貴族学校に入学したいと言って押し切ってから、徐々に聖女の噂は庶民にも広まってきておるの」
翌日、オザンナは教室で生徒たちの輪の中心にいるルーナを見つめた。いつものように完璧な笑顔を振りまくルーナ。こちらに気づいた彼女が、軽く手を振ってくる。
オザンナは、気づかないふりをして視線を逸らした。ルーナの顔に、当惑の色が広がる。
放課後、周囲を見ることなく校舎を後にしたオザンナの背中に、鋭い足音が追いすがってきた。
「待ってよ、オザンナ」
その声に、足が止まる。
――私が間違ってたんだ。お金目的に“聖女様”を悪役令嬢にするなんて、なんて馬鹿なの。ルーナは変な子じゃなくてガチの聖女じゃない。聖女に「悪役令嬢道」を教えるなんて、女神様への冒涜よ。私はなんてことをしてしまったの。
背後の気配を振り切るように、オザンナは地面を強く蹴った。
走って、走って、がむしゃらに足を動かした。
どれほどの時間を彷徨っただろうか。空が朱色に染まり、時間の境界が曖昧になった頃、気づけば目の前にはあの孤児院があった。
――私にはここしか居場所がない。父親がポーカー狂いで没落貴族になった。貴族学校でそれまでの友達が私をいじめた。罵詈雑言に暴力事案、私は今と同じで惨めにトボトボ歩いていた。
そんなとき、目の前にボールが飛んできた。馬の革で縫い合わせたボール。
「お姉ちゃん、ボール取ってよ」声をかけたのはレイだった。私からボールを受け取ったレイが言った。「お姉ちゃん、人数足りないから一緒に遊んでよ」
あのときは楽しかったなー。胸の奥の鬱屈としたものが晴れたもの。この孤児院の子供たちだけが、私の心のオアシスよ。
重い扉を押し開ける。
「おかえりなさい」
そこには、ルーナが立っていた。
「オザンナお姉ちゃんも来てくれたんだ、嬉しいよ」
レイたちが一斉に駆け寄ってくる。鼻をくすぐるのは、食欲をそそる芳醇な香りだ。アンドレイニ伯爵邸のコック長であるフランキが、大きなスープ鍋を重そうにテーブルへ置いた。
「おっ、やっと来たな主役が」
「主役?」
「今日はオザンナの誕生日じゃない。十八歳おめでとう」
――あっ、そうだった。ルーナは覚えてくれたのね。う、嬉しい。聖女様に祝ってもらえるなんて、なんて幸せなことなんだろう。
食後、賑わう子供たちの声を背に、ルーナがそっと耳元で囁いた。
「もしかして私のことお父様から聞いたの?」
「聞いた。ガチもんの聖女様じゃない。聖女様を悪役令嬢なんかにできないわ」
その瞬間、ルーナが見せた絶望に染まった表情は、おそらく一生忘れられないだろう。
だが、彼女はすぐに呼吸を整え、強い眼差しを向けた。
「……私は自由になりたいの。悪役令嬢はそのための手段なのよ」




