第29話 黒髪のウィッグ
「こんなところにいたんだ」
下草を踏みしめて、茂みを掻き分けて現れたのは、レベッカだった。
つば広ハットと作業上着にズボン、背嚢を背負っていた。まるで探検隊の格好だ。
「その服装は……」
「ルーナと一緒に薬草収穫するつもりだったから用意した」
グルルル──!
ルーナの腕の中の子熊が歯をむき出して唸った。
「おっ、子熊を飼ってるのはほんとだったんだ」
「誰に聞いたの? 秘密にしてたのに」
「侍女のマリカ。森で薬草取ってるって言ったから、『ルーナのことだから森の熊さんと戯れてるんだろうな』って冗談言ったら『な、なんで知ってるんですか!?』ときたものさ」
レベッカが前に出ると、子熊はさっきまでの勢いはどこへやら、ルーナの胸に顔を埋めて
「クーン、クーン……」
と鳴いた。
小さな体が小刻みに震えていた。
「あっ、怖がらせた?」
「この子、私とマリカ以外知らないから、人間が怖いみたい」
「……この子熊の名前は?」
「オルソ君」
「オルソ君? ふーん、そのままじゃない」
「ほらオルソ君、このお姉様は怖くないですよ。私の大好きな人だから」
ルーナが言うと、子熊は首を曲げて恐る恐るレベッカを見た。
レベッカはそっと手を伸ばして子熊の頭を撫でた。
レベッカが怖い人間ではないとわかったのか、子熊は嬉しそうに目尻を下げた。
そしてペロリとレベッカの手のひらを舐めた。
「オルソ君、レベッカお姉様のこと認めたみたい」
レベッカが破顔した。
「もしよかったら……抱っこさせてくれないか」
「オルソ君、いい?」
ルーナは抱きついた子熊を離そうとした。
ギャ──!
子熊は首を振っていやいやした。
ルーナの背中に回した爪を立てた。
「痛っ」
ルーナは顔をしかめた。
「仕方ない。奥の手を使うか?」
レベッカは背嚢を下ろすと中から袋を取り出した。
中身は干し肉だった。
それを口の中に入れてクチャクチャして、唇の先に干し肉を子熊の目の前に突き出した。
すると臭いに反応した子熊が鼻をピクつかせた。
そっとレベッカの唇の干し肉をかじった。
はじめて食べる干し肉に感動したのか、むさぼるように食べた。
干し肉がなくなると、子熊はもっと欲しいと、クゥーンと鳴いた。
レベッカは干し肉をもう一枚口に入れてクチャクチャした。
そして両手を差し出した。
「あっ」
子熊が自らの意思でルーナの胸からレベッカの腕に移った。
レベッカの口に自らの鼻を近づけた。
再びレベッカが口移しで干し肉を食べさせた。
まるで親鳥が雛に餌を与えているようだった。
最後にレベッカは「ブチュー!」と子熊にキスをした。
「これでオルソ君は、私の虜よ、フフフ」
レベッカが子熊に頬ずりした。
「オルソ君が……うっとりしている」
「ごめんねルーナ、私の悪い癖が出ちゃった。人間だけじゃ物足りなくなって、熊さんまで誘惑しちゃった」
レベッカはいたずらっぽく舌を出した。
原生林のけもの道を抜けると、突然開けた場所に出た。
色とりどりの花が咲き誇っていた。あたり一面花畑のようだ。
中央に森の星火、月影鈴、黄金の冠があった。その周りの低めの花はラベンダー系の紫霞草と虹の雫が綺麗に並んでいた。
レベッカが上を向くと、丸い空間の上には、青空と白い雲があった。
「なんで森の中にこんなところがあるのよ!」
「女神様に秘密基地のような場所が欲しいって願ったの。そしたら作ってくれた」
ルーナが言った。
「それってずるい。女神様を都合よくこき使ってない? まるでルーナの使用人みたい」
「そ、そんなことないわよ。滅相もない」
ルーナは慌てた。
「ほんとかなー」
レベッカは目を細めてルーナの表情を探るように見た。
ルーナの目が泳ぐ。
その様子が面白くて、レベッカはケラケラ笑った。
レベッカの腕の中にいた子熊はバタバタして芝生に降ろされた。
子熊は花の蜜を吸いに来た蝶々を追った。
「まるで天国じゃない。私のいる場所じゃないわね。悪女だし……」
レベッカとルーナは芝生に腰を下ろした。
「悪女?」
「ルーナだから言うけど、不倫してるのよ」
「えええー!」
「そんなに驚かないでよ。恥ずかしいわ」
レベッカはうつむいた。
「ねっ、悪い女でしょ。しかも相手の奥様から旦那を奪おうと思ってるの」
「それほどまでに……その人のことが好きなんですか?」
「もちろん好きだけど、今は意地かな。私の彼がカンデラ夫人に支配されてるのが気に食わないの」
「カンデラ夫人? シルヴェーニ公爵がレベッカの彼氏なんですか!」
ルーナが叫んだ。
子熊が戻って来て、ルーナに抱きついた。
ルーナは赤ん坊をあやすように抱きしめた。
「この前の私の誕生パーティーでカンデラ夫人が来たでしょ。今考えたら、夫の浮気相手の視察だったような気がする。私を値踏みして鼻で笑ったのよ」
レベッカは険しい表情で奥歯を噛み締めた。
「カンデラ夫人は……」
「分かってる。やばい女でしょ。そんな気がする」
子熊がルーナの手のひらを舐めた。
「カンデラ夫人のこと、いろいろ調べたら自宅でサロンを経営してるのが判明した」
「サロン?」
「ポーカーゲームのサロン。客は貴族から大金持ちの商人の旦那まで。かなりの大金が動くんだって」
そう言うとレベッカは、ルーナの二の腕を掴んだ。
「そこに乗り込もうと思う。ルーナ、一緒に行ってくれるよね」
「えー、ポーカーのことぜんぜんわかりません。それに乗り込んでどうするつもりです?」
「ポーカーで人生を賭ける。カンデラ夫人と直接対決して、シルヴェーニ公爵を強奪するのよ!」
「それはレベッカさんの考えなの?」
「ううん、この前シルヴェーニ公爵に会ったら、離婚するにはカンデラ夫人とポーカーで勝つしかないと言われたのよ。私は彼の愛人では終わりたくないから、その提案に乗ったわけ」
「レベッカさんは何を賭けるの?」
「ポーカーに負けたら、借金を自分の体で返すことにする。カンデラ夫人は高級娼館【赤い薔薇の天国】の共同オーナーなんだってさ。私は負けたら……高級娼婦になる」
「絶対に負けちゃ駄目!」
「その為にルーナには協力してもらうわ」
「うん、なんだってする」
レベッカは芝生の上に置いた背嚢から紙袋を取り出した。
中身は黒いウィッグだった。
「ルーナ、これを被って一緒にポーカーゲームに参加して」
「へー、これで変身するのね。ちょっとワクワクする」
ルーナが受け取ったウィッグを被ろうとしたら、子熊が右手を伸ばした。
ルーナは子熊のオルソ君の頭にウィッグを丁寧に被せた。
黒髪長髪の子熊を見て、ルーナは再び抱きしめた。
「似合ってる。かわいいわ!」




