第28話 オルソ君
「おお、よくぞ来てくれました、聖女様」
満面の笑みで王座に座ったフランチェスキ王が、正面に立ったルーナに言った。
ここは王の間。王と王妃が王座に座っていた。
周りにはエドモンド第一王子とファビオ第三王子、貴族院の重鎮たちと奥方がいた。衛兵たちは壁際に立っていた。
ルーナはドレスの裾を持ち上げて挨拶した。
「フランチェスキ王、ご機嫌麗しゅうございます」
「肩がこるのう。ルーナ、その慇懃無礼な挨拶はやめよう。さあ、ここに座りなさい」
王は右手を差し出した。
ルーナはうなずいて、王の右側のもう一つの王座に座った。
ルーナは王座に気まずそうに座っていた。
真ん中に王。左右に王妃と聖女様。この並びに王は満足そうに頷いた。
「わしの後継者は、聖女様だ。ルーナ・アンドレイニを次期女王として内定する」
その言葉を聞いたルーナは顔面蒼白になった。
「お待ちください」
王座の前に進み出て片膝をついたのは、宰相のモドローネだ。
「聖女様が国家の礎であることは間違いございませんが、次期女王というのは、貴族院の議題に上がっておりません。独断専行はフランチェスカ王国の国是に相容れません」
「そなたの言い分も分かる。しかし、わしは決めたのじゃ。ルーナをエドモンドと婚約させると」
末席にいたルーナの両親アンドレイニ伯爵夫婦は頷いた。
エドモンド第一王子の口角が上がった。
それを睨みつける隣の弟ファビオ。
「兄さん、知ってたの?」
「もちろん、僕が提案したんだ。将来王座をルーナに譲って、僕は彼女の補佐に回るとね」
「……それほどまでにルーナのことが」
「愛してるよ」
「ちょっと待ってください」
ルーナが言った。
「私、そんなお話聞いていません」
「今聞いたじゃないか。でどうだ、返事は?」
王が言った。
「ごめんなさい。エドモンドお兄様は幼い頃から兄弟のように育ったので、恋愛対象ではないです。恋とか婚約とかは考えたこともないです」
ルーナはエドモンドを見て、すまなそうに言った。
その言葉に王はがっくりとした。
王の視線がエドモンド第一王子に向かう。
フランチェスカ王国随一の美少年に、貴族たちの刺さるような視線が集まった。エドモンドは、かろうじて表情を変えなかった。
「父上、ルーナが僕のことを兄として慕っているのはご存知ですね。それと結婚は別問題です。無理強いはよくありません」
「そ、そうか。だったらこれは保留ということにしよう。まだ聖女様は十三歳。結婚は将来の話にしても、ちと早すぎたかもしれん」
と王は助け舟を出した。
ルーナはホッとした顔をした。
王の間の謁見が終わると、一番早く退散したエドモンド。ルーナがその後ろ姿を追いかけた。
「エドお兄様、待ってください」
廊下で振り返ったエドモンド。
「さっきのお話、本当に申し訳ありません」
ルーナはペコリと頭を下げた。
「エドお兄様のことが大好きです。でもあの場で周りから攻めるようなやり方は……エドお兄様らしくないと思いました。どうかお許しください」
「……僕が先走ったようだね。一番肝心なルーナの気持ちを無視したのはいけなかった。ごめんルーナ、君を困らせるつもりはなかったんだ」
「エドお兄様……」
ルーナは潤んだ目でエドモンドを見た。
エドモンドは一歩前に出た。ルーナの柔らかそうな唇に目がいった。
エドモンドはゴクリと唾を飲み込んだ。そしてじわじわ顔を近づけた。
今まさにキスをしようと、ルーナの唇に迫った。
だが、エドモンドの唇が触れたのは、ルーナの手のひらだった。
ルーナは右手の手のひらで、エドモンドの唇を防いだ。
「駄目です。ファーストキスは好きな人としたいです」
ルーナがきっぱり言った。
いつも表情を変えないエドモンドが、眉毛をピクピク動かした。地獄に落とされたような絶望を味わったのに、まだ表情は崩していない。
「ルーナ! 何してる、馬車が出るぞ、時間だぞ」
ルーナの背後からアンドレイニ伯爵の声がした。
ルーナの母ヴィオレッタがエドモンド第一王子にお辞儀した。
エドモンドは会釈をして、親子三人の姿が消え去るまで見つめた。
王宮の居間で長椅子のソファに背中を預けたエドモンド。天井を仰ぎ見た。
「切ないねー、兄貴」
いつの間にか、エドモンドの横にファビオ第三王子が座った。
「兄貴は小さい頃からルーナにメロメロだったけど、ルーナはほかの子と違って簡単になびかないね」
エドモンドのこめかみに青筋ができた。
「その言い方、まるで僕が女たらしみたいじゃないか」
「貴族学校ではそうじゃなかったの?」
「仕方ないだろ。うんこに群がる蝿のように女子がやって来るんだから。……それに疲れた。ルーナの癒しが欲しいのに」
「あっ、それレベッカの受け売りだよね」
「う、る、さ、い。ファビオもルーナが好きなんだろ? だから僕の婚約が保留になって嬉しいんだ」
「そうだよ。今回の演出、もしかして僕に取られそうだから先に手をうったのかなって思った」
ファビオはにやける。
「……それもあるけど、この前レベッカのパーティーでルーナが倒れただろ。あの時、僕が側にいてずっと守らないといけないと思ったんだ」
「兄貴じゃなくてもルーナには"女神様"が守ってくれる」
「分かってる。でも女神様と誰かが守るほうが確実だろ? 婚約すればいつでもルーナの側で見守れるって思った」
「ならルーナを貴族学校に行かせたら? 王族以外の本物の友達を作ればいいんだ。ルーナの盾になってくれるよ」
「逆だよ。きっとルーナは友達を守るのに全力を尽くすだろうね。自ら盾になって。ルーナはそんな聖女様さ」
エドモンドは肩をすくめた。
◇
アンドレイニ伯爵邸。
屋敷の裏庭を掃除していた侍女が、目の前の森の方に顔を向けた。
何か声のようなものが聞こえた。
ギャーギャー!
「鳥かしら? それとも鹿かしら……」
野生の動物に疎い侍女は怪訝そうに鬱蒼とした森を見つめた。
「こらぁ、舐めすぎだぞ」
ルーナを押し倒して顔中を舐めまくる子熊を、両手で抱き上げた。
その後、ルーナが用意した蜂蜜を塗ったパンとサンドイッチを食べた。
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一月前、森の中で薬草を探していたルーナの前に突然子熊が現れた。つかつかとルーナの足元に来て、抱っこしてとせがんだ。
ルーナは辺りに母親がいるか探した。しかし母熊はついに現れなかった。途方にくれたルーナは、腕の中で甘える子熊を見捨てることができなかった。
そして、子熊の餌付けが始まった。
一緒にドングリを拾ったり、薬草や木の根っこを食べさせた。厨房のコックから残飯を貰って、仲良しの侍女マリカと一緒に森に運んだ。さすがに家族には反対されるから、マリカとの秘密の共有だった。
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食事を終えた子熊はルーナに抱きついて、背中によじ登った。
ルーナは四つん這いになって灌木の中を歩く。
「いいオルソ君、君を乗せられるのは小さいうちだからね。大きくなったら今度は私を乗せてよ」
「キーキー!」
と子熊は返事をした。
ルーナは背中から降りたオルソ君を抱きしめた。温かい。子熊の体温がルーナをホッとさせた。
「こんなとこにいたんだ」
ルーナの背後から声がした。
ザッザッと落ち葉を踏みつける音がした。行く手を拒む草木を手で払い除けて現れたのは、レベッカだった。




