第24話 お母さんになりたい
「こんにちは」
アンドレイニ伯爵邸の庭に足を踏み入れたオザンナは、庭師に声をかけられた。振り向いた瞬間、その端整な顔立ちに思わず頬が熱くなった。
「あ、はい。こんにちは。ご苦労さまです」
庭師の傍らで花壇の植え込みを手伝っていた侍女が、ちらりとオザンナに視線を向けた。その目が雄弁に語っていた。
――この人に近寄らないで。私が唾をつけたのよ、と。
二人が肩を並べて作業する姿は、どこか楽しげだった。
ルーナの部屋に入るなり、オザンナは声を弾ませた。
「ねぇルーナ、最近新しい下僕雇ったのね。それも美男子ばかりじゃない。庭師も従者も目を見張る美男子でびっくりしちゃった」
ルーナが顎に人差し指を当てた。
「えーと、ルーベンさんの仲間たちね。しばらくうちでやっかいになるの。それでぶらぶらするのは嫌だから働かせてほしいと言ってきたのよ、律儀よね」
「……何かあったの?」
「誘拐未遂事件。私を誘拐する手筈だったのよ」
「あたし聞いてないよー! 何それ、詳しく聞かせて」
ルーナがオザンナをなだめるようにソファへ座らせ、これまでの経緯を話し始めた。オザンナは話を聞くうちに、眉をしかめ、口を尖らせ、頬を膨らませた。目の前のルーナがそれを見て密かに口元を緩めているのに気づかないまま、話が進むにつれてオザンナの目に涙が滲んできた。ソファから立ち上がり、声が少し震えた。
「そんな大変な目にあったのね。ごめん、何も知らなくて……」
「いいのいいの、私がルーベンさんを『赤い薔薇の天国』に行くように誘ったのが上手くいったの。レベッカさんがルーベンさんの首根っこを押さえて、ここに連れて来たの。あっ、今もルーベンさんと話をしてるわ」
「ここにレベッカさん来てるの?」
「うん、打ち合わせ。【偽聖女様計画】を熱心に語り合ってるの。このところ毎日うちに来るのよ」
オザンナは感心して目を丸くした。
「そうだ、レベッカさんに挨拶しなくちゃ」
「じゃ、案内する」
二階の大広間に隣接した応接間の前に立ち、ルーナがドアに向かって声をかけた。
「レベッカお姉様、ルーナです」
返事がない。ルーナが首を傾げてドアを開けた瞬間、オザンナの目に飛び込んできた光景に、心臓が跳ね上がった。
ソファに寝転んだルーベンの上にレベッカが乗り上がり、両手で彼の頬を挟んで唇に熱烈なキスをしていた。ルーベンもレベッカの背中に両腕をしっかりと回している。隣でルーナが口を半開きにしたまま固まった。
オザンナはハッと我に返り、背後からルーナの目を両手で塞いだ。
「ルーナ、見ちゃ駄目!」
そう言いながら、オザンナ自身は目を爛々と輝かせ、首を思いっきり伸ばして横から覗き込んでいた。心臓がばくばくと鳴っているのが自分でもわかった。
「あら来たのね、ごめんなさい、ちょっと我慢が効かなかったの」
ソファのレベッカが名残り惜しそうにルーベンから離れ、ドレスの皺を直した。ルーベンも慌てて体を起こしてソファに座り、わざとらしく咳をした。
「聖女様、何か御用ですか?」
「オザンナさんがレベッカさんに挨拶したいということだったけど、後にしたほうがよかったかしら?」
ルーナがそっとレベッカを見ると、レベッカはそっぽを向いて髪の枝毛を抜いていた。
「そんなところで突っ立ってないで座りなさい」
とレベッカ。
四人がソファに落ち着くと、レベッカが鈴を鳴らして侍女に紅茶と茶菓子を運ばせた。ルーナの屋敷なのに自分の家のように振る舞うその堂々たる様子に、オザンナは素直に感心した。
「オザンナ、そう言えばルーベンとは正式に会ってなかったね。ルーベン、この子のこと覚えてる? 【赤い薔薇の天国】のメイドにいたでしょ」
ルーベンがじっとオザンナを見つめた。値踏みするような視線だった。
「……あの夜サロンにいたメイドだ。サロンの後ろの壁にオーナーのお婆さんの隣に立っていた」
「さすが目ざといわね。もしかして、タイプなの?」
レベッカの言葉にルーベンが慌てて首を振った。オザンナがちょっとむくれると、ルーベンはすまなそうに会釈をした。それで気が収まったオザンナは、姿勢を正して口を開いた。
「ルーナがレベッカさんがいらっしゃるということで挨拶に来ました」
「律儀な子ね。ちゃんとしつけられてるわ。さすがロメーオ男爵の令嬢だけある」
「父をご存知なんですか?」
「ポーカー友達よ。あら知らなかったの?」
ーー知らない、知らない。まさかうちのギャンブル狂いの父とレベッカが友達だったなんて。灯台下暗しとはこのことだ。
「うちの父、私のこと何か言ってました?」
ーーポーカーは長い時間を狭い部屋で過ごす。軽食のサンドイッチを食べながら世間話をする。お喋りな父のことだ。私のことをレベッカにどんな風に話したのやら。
「娘の自慢話を耳にタコができるほど聞かされたわ。あなた、孤児院に入り浸りなんでしょ。ルーナと一緒に通ってると聞いたわよ。聖女様の加護で孤児院も良くなったというじゃない」
ーーいや、その。あれは、ルーナに汚い孤児院の子供を見せてショックを与えるつもりだったのが失敗したの。あの時は……ルーナのことが嫌いだった。今は大親友だけどさ。
「二人は姉妹なのかな? そっくりだよね」
ルーベンが身を乗り出して興味深そうに言った。
「あっ、違います。よく似てるって言われますけど、私にはルーナみたいなオーラはないです。ただの悪役令嬢です」
「悪役令嬢?」
ルーベンがそっとレベッカに目を向けた。
「言いたいことは分かる。私が悪役令嬢でオザンナはその弟子なの。彼女は私みたいになりたいんだって。おしとやかな淑女に、フフフ」
オザンナが首を振った。
「違います! 本物の悪役令嬢になってルーナに伝授したいんです。ルーナとは“悪役令嬢の修行”の契約してるから」
「それそれ、ねぇルーナなんで悪役令嬢になりたいの?」
レベッカが言った。
ーーそうだ。私はルーナが悪役令嬢になりたいっていう本当の理由を知らない。聖女様が悪役令嬢に憧れるってなんとなく分かるような気がするけど、それだけじゃないと思う。きっと何かある気がする。
ルーナが静かに口を開いた。
「お母さんになりたいから、悪役令嬢になりたいの」
「それってどういうこと?」
オザンナの口からポツリと言葉が漏れた。
「純潔のままお婆さんになるなんて、絶対に嫌なのよ」
ルーナはきっぱりと言い切った。そして頬が赤く染まって恥ずかしそうにうつむいた。




