第21話 復活
「朝ですよー」
耳元で囁かれた甘い声に、ダンテは重い瞼を押し上げた。仮眠室の薄暗い空気のなか、ベッドの脇を見上げるとオザンナが立っている。
ダンテはガバっと体を起こした。
「オザンナ! 大丈夫だったのか?」
「大丈夫? 何が」
きょとんとした顔を向けられ、ダンテは気まずさにそっぽを向いた。耳の後ろまで一気に熱くなるのがわかる。
「いや、そのーお客様は一晩よろしくやっていたと思ってた」
「よろしくって何よ」
「オザンナも覚悟してたんだろ? ここはメイドであっても指名されたら断ることができないって」
「私がお客様の様子を見に二階へ上がっただけよ」
「でもお客様と朝まで一緒にいたんだろ?」
「何で知ってるのよ」
「ここの従業員に聞きまくった。メイド、給仕、高級娼婦のお姉様まで、手当たり次第にオザンナのことを聞いた。それでオザンナがお客様と予備部屋にしけこんだと聞いて、ショックで死にそうになった。ちょっと熱が出て体調を崩してしまったけど……」
ダンテは情けない声を絞り出した。喉の奥がカラカラだった。
「ダンテが寝込んだって聞いたから来たけど、元気そうね。じゃ行くわね」
「どこに?」
「屋敷。今日は休日だからベッドに倒れ込むわ。眠いしね」
「何だったら俺が隣で寝てやってもいいぜ」
「バカ」
冷ややかな視線を返され、ダンテはケラケラと笑った。胸の奥に閊えていた塊が、綺麗に消えていく心地がした。
オザンナが踵を返そうとした瞬間、ダンテの手が動いた。その細い手首をぐっと掴む。
「朝までお客様といたんだよな」
「……うん」
「俺は気にしないぜ。別に誰と付き合っても、俺という男が一番なら何も問題ないから」
ダンテは声を低め、重々しく告げた。
「痛いわ、離して」
眉をひそめたオザンナの拒絶に、ダンテは慌てて手を引っ込めた。
「ちょっと言っとくけど、私には聖女様を立派な悪役令嬢にする義務があるの。チャラチャラした恋愛ごっこをするつもりはないわ」
「オザンナが本物の聖女様なんだろ? 安心しなよ、俺絶対に誰にも言わないから」
「何いってんのよ。ルーナ以外に本物の聖女様がいるわけないでしょ」
「聖女様と違うのか? でも俺が会った黒髪の聖女様は……」
「あなたが会った黒髪の聖女様は私、ルーナです」
オザンナが頭に手をかけ、黒髪のカツラを外した。ふわりと金色の髪が宙に舞い、眩い光を放つ。
ダンテは衝撃のあまりバランスを崩し、そのままベッドから床へ転げ落ちた。
「オザンナがルーナ? どういうこと」
「オザンナは二階の予備部屋で眠ってるわ。部屋に焚いた香に催眠効果があって、今はベッドですやすや寝ている。今回はオザンナを守るために、ちょっと知り合いに協力してもらったけどね」
「酔っぱらい男ってのは、聖女様の関係者なのか」
「うん、幼馴染よ。芝居を打ってもらったの。『赤い薔薇の天国』は何やら国際政治がらみで複雑なのよ。危険が迫る前にオザンナを急遽退場してもらったわけ」
「あああ、聖女様! オザンナも好きだけどルーナもこう見るとタイプだ。好きです!」
ダンテは床に膝をついたまま、ルーナの右手を両手で包み込んだ。その滑らかな肌の感触に胸を高鳴らせ、うっとりと彼女を見つめる。
「天罰が怖くなかったら、そのままでいいですよ」
地を傷うような低い声が、ダンテの鼓膜を震わせた。
「ひええー!」
ダンテは弾かれたように手を離し、背中を丸めた。冷や汗が背筋を伝っていく。その冷徹な眼差しに気圧されながらも、どこか少女らしい悪戯っぽさを感じて、不思議と愛らしく思えた。
「でも、いまだに信じられない。聖女様とオザンナは本当に瓜二つなんだ」
ダンテは何度も首を振った。目の前のルーナは、ただにっこりと微笑んでいた。
◇
昼過ぎ、アンドレイニ伯爵邸の玄関先に馬車が滑り込んだ。
御者が馬車の扉を開け、先に降りたレベッカ(サブリナ)に続いてルーベン・フェスタが地面に足を下ろすのを静かに見守った。
ルーベンは目の前にそびえ立つ威風堂々とした屋敷を見上げ、息を呑んでいる。
「まるで、王族の離宮ではないか」
「そうよ、ここは元は本物の離宮だったの。聖女様を伯爵の古びた屋敷から転居させたのよ。王が聖女様に対する誠意のあかしってとこね」
レベッカの言葉を聞きながら、ルーベンの視線が屋敷の裏手に広がる深い森林へと向けられた。その表情がにわかに硬くなり、苦虫を噛み潰したような歪みが走る。まるで、あの暗い森の中に残してきた仲間たちの影でも追っているかのようだった。
レベッカが怪訝そうに問いかける。
「どうかなさったのですか?」
「いや別に」
ルーベンは首を振り、玄関口へと視線を戻した。そこにはアンドレイニ伯爵と、佇むルーナの姿があった。
ルーベンの足がぴたりと止まる。
「あれは、もしや聖女様……!?」
「そう」
ルーベンはアンドレイニ伯爵に硬い挨拶を済ませると、今度はルーナを至近距離から食い入るように見つめた。陽光を浴びて輝く彼女の笑みと、周囲を圧するような独特の空気感に、ルーベンは完全に気圧されている。
聖女誘拐という目的を胸に秘めてこの国へ来たはずの男が、目の前の少女に対して完全に手も足も出なくなっているのが、その強張った身体から見て取れた。焦燥に駆られたように、ルーベンが小さく拳を握りしめる。
「ルーベン・フェスタです。聖女様」
「ルーナと呼んでください。ルーベン様、あなたと会えてほんとに嬉しいです」
差し伸べられた温かい言葉に、ルーベンはひどく困惑したように視線を泳がせた。
続いて、ルーナとレベッカが歩み寄り、互いの体を深く抱きしめ合う。
「お姉様、お久しぶりです」
「ルーナにやっと会えたわね。ほんとよかった」
「……もっと早く会いたかった」
レベッカは寂しげに、しかし決然と首を振った。
「あなたはもう籠の鳥じゃない。外に出て友達もできたので、私は遠慮してたの」
ルーナの眉が、一瞬だけ悲しげに寄せられた。だが次の瞬間には、きりりと表情を引き締め、ルーベンをまっすぐに見据える。
「どうぞお入りください」
一行が案内されたのは、屋敷の奥に位置する居間だった。
執事が重厚な扉を開け放つと、中から賑やかなざわめきが漏れてきた。その声を耳にした瞬間、ルーベンの身体が凍りつく。それは彼にとって、ひどく聞き馴染みのある声だった。
豪華なサロンのソファに腰掛け、お茶菓子と紅茶を囲んで楽しげに談笑していたのは、五人の男たちだった。
「お前たち、熊に襲われて死んだのじゃなかったのか!」
ルーベンが吐き捨てるように叫んだ。その顔は完全に血の気を失い、混乱に歪んでいる。
ソファの一人アルドがルーベンに気づき、気まずそうに右手を上げた。ルーベンの目は泳ぎ、激しい動揺を隠せていない。裏の組織を雇って誘拐を企てていたはずの状況で、死んだはずの部下がここにいる理由がまるで掴めないのだろう。
ルーベンの胸が大きく上下し、心臓の激しい鼓動が伝わってくるようだった。現実を受け入れられず、これが都合のいい幻覚であり、自分はすでに破滅して死を待つ身なのではないかと疑っているような、絶望の表情だ。
ルーベンは喉を鳴らし、深く唾を飲み込んだ。
「隊長、俺達は幽霊じゃないですよ。この通り生き返ったんです。聖女様のご加護で」
部下の言葉に、ルーベンは恐る恐る、背後に立つルーナへと視線を転じた。
ルーナの屈託のない笑顔。それにルーベンは戦慄した。




