第19話 サブリナ
高級娼館のサロンは、夜の熱気に包まれていた。
赤い絨毯が敷き詰められた空間には、アンティークの椅子やテーブルが調度よく配置されている。行き交うメイドたちの足音は静かで、紳士たちはゆったりと腰を下ろし、談笑に興じていた。
ダンテは背後の壁際に立ち、マダム・サンドラと共に客の動向に目を光らせていた。しかし、どうしても気になることがあり、隣の年長者に小声で尋ねる。
「サンドラさん、オザンナが見かけないけどあいつどこに行ったんですか」
「知らないのかい? お客様の様子を見に二階に上がったよ」
「それ、聞いた。でも戻って来ないんだ。もう二時間も立つよ」
ダンテの眉根が寄る。その様子を見て、サンドラが可笑しそうに口角を上げた。
「アハハハ、心配してるのか。ほー、やっぱりあの子に惚れてるんだね」
「バレてる?」
隠し通せなかったのか。ダンテがさらに眉間を寄せると、サンドラは諭すような視線を向けた。
「ここは色恋が凝縮したサロンじゃよ。顔色一つ読めないでこの商売は成り立たない。お前はポーカーフェイスができないのが難儀なところじゃが、それも経験しだいで何とかなるものだ」
厳しい言葉だが、その通りなのだろう。ダンテは視線を逸らすついでに、顎で一人の客を指し示した。
「ところで、あのロマンスグレーの貴族、さっきから俺のことじっと見てるけど」
「いいかい、あの方は貴族院の重鎮じゃ。粗相のないように頼むぞ」
「頼むって何のこと?」
疑問を口にした直後、その紳士がこちらへ合図を送った。
「マダム。ちょっといいかな」
サンドラがゆったりとした足取りで歩き出す。ダンテもその後に続いた。
「ダンテ、こちらに来なさい」
促されるまま、ダンテは颯爽と紳士の前に立った。椅子に座った紳士と視線がぶつかる。その瞳は、すべてを見透かすかのように鋭い。
「君の名前は?」
「ダンテです」
「いい面構えだ。気に入った」
紳士の手が伸び、ダンテの二の腕を掴んだ。指先にぐっと力が込められる。
「な、何をするんです」
「いい筋肉のつき具合だ。思ったよりしまった体だな」
今度は肩をがっしりと掴まれた。あまりの遠慮のなさに、ダンテは身を引こうとする。
「やめてください」
そこへ、サンドラが耳元に顔を寄せてきた。
「この方は治安部隊のサルコリ長官さ。こうやってあちこちに顔を出して国の平穏を守っておられる」
「治安部隊? 偉いさんですか?」
場違いなほど素っ頓狂な声が漏れた。サルコリは声を弾ませて笑う。
「ハハハ、君は面白い。ダンテ君と言ったね。よかったらここに来ている貴族で何か気になったことがあったら聞かせてくれないか?」
「何で俺みたいな素人の意見を聞きたいのですか?」
「参考だよ。どうしても私たちは色眼鏡で物事を見てしまうから、素直な意見が欲しいんだ」
そう言われ、ダンテは改めてサロンを見渡した。ふと、端の席に鎮座している男に目が留まる。金髪をオールバックにしたその男は、他の貴族グループとは距離を置き、たった一人で座っていた。それがかえって異様な存在感を放っている。
「あの男はちょっと気になります。誰とも話さないから知り合いがいないのかな? それに正面を向いてる割には目線があちこち動いてる」
「ほー、観察眼があるんだな。彼は初めて『赤い薔薇の天国』にやって来たみたいだね。ここに来るってことは貴族の招待状があるから、もちろん貴族だ。所作でも分かる。ただ、服の上からも肉付きのよさがうかがえる。君よりもさらに鍛え上げられたものだ。これは軍事訓練をされた者特有のものだ。あれは……」
「──間者ですか?」
「その通り。どこかの国の間者で間違いないだろう。でも腑に落ちないのは、あまりにも分かりやすすぎるということだ。フランチェスカ王国は大陸各国の中でもっとも成功しているので、その理由を探ろうと手練手管の間者が入り込む。でも何故か突然いなくなる。潜伏者に“不幸”がおきてしまうのだ」
「不幸って……事故とか死んだりするのですか?」
物騒な話に、思わず喉が鳴った。
「まともにこの国から帰った間者はいないと言われている。とにかくひどい目に遭うようだ。言葉にできない恐ろしさがあると、他国の貴族が『恐ろしい国だ』と言ってたな」
見えない壁に守られているような不気味さを感じ、ダンテは唾を飲み込む。
「もしかして……聖女様の力とか?」
「その通りだ。君も覚えがあるようだね」
「はい。聖女様は孤児院で何度も会ってます。(ほとんど話したことないけど)」
「ルーナ様を影から支えてくれたまえ」
冗談めかした様子はなく、サルコリは真剣な眼差しで告げた。
「分かりました」
深く頷き、ダンテはサンドラと共に元の位置へ戻った。
「どう思ったサルコリ長官は?」
「誠実な人ですね。この国の平和にすべてを捧げてるような気がしました」
「クククッ、それが仕事じゃからの。さて、そろそろ時間じゃな。面白いものが見れるぞ」
サンドラの瞳が、期待に輝く。
階段の前に燕尾服の執事が立つと、あれほど賑やかだったサロンが、打ち水を打ったように静まり返った。空気の密度が変わり、客たちの顔には高揚感が浮かんでいる。
「それでは紳士の皆様、今宵の宴のハイライトです!」
執事が階段の踊り場を指し示す。
そこへ姿を現したのは、眩いばかりの銀髪をなびかせた女だった。体の線を強調する派手な衣装をまとい、優雅な足取りで降りてくる。その美貌と完璧なスタイルに、紳士たちは陶酔しきった表情で釘付けになっていた。
「誰ですか? ほらみんなの目が釘付けになってる」
「お前もな」
サンドラに鼻で笑われ、ダンテは自覚なく見惚れていた自分に気づく。
「あ、はい。そうです。見てるだけで心の底までとろけそうな感覚になりました」
「正直でよろしい。彼女は『赤い薔薇の天国』の頂点に君臨する高級娼婦のサブリナ・ボルキじゃよ。でもさ、彼女は買われない」
「買われない? 娼婦なのに」
「サブリナが今夜の相手を選ぶのが通例だ。彼女は自分が気に入った相手としか寝ない」
サンドラが断言する。
階段を下りきったサブリナは、各テーブルを回り、紳士たちと短い会話を交わしながら歩を進める。そして、最後尾に立つダンテの目の前でぴたりと足を止めた。
「ふーん、ちゃんとボーイやってるみたいわね」
「???」
身に覚えのない言葉をかけられ、ダンテは困惑する。彼女は余裕たっぷりの微笑を浮かべた。
「あら分からないのかしら。かわいいわね」
「俺、サブリナさんとは初対面ですよ」
わけがわからず反論すると、横からサンドラが耳打ちしてきた。
「あれは、レベッカじゃよ」
その名を聞いた瞬間、ダンテは息を呑んだ。目の前の美女と、記憶の中の女性が結びつかない。衝撃のあまり、言葉を失って立ち尽くすしかなかった。




