第18話 第三王子
扉を開けた瞬間、オザンナの視界を支配したのは巨大なキングサイズのベッドだった。
赤と金糸で彩られた豪華な天幕が、その場所で行われる秘め事を雄弁に物語っている。
ーーあ、あの天幕の下で、男女の……
想像が頭をもたげた途端、顔が火を噴くように熱くなった。
そんな動揺を隠せないでいるオザンナを、部屋に引きずり込んだ若い貴族がじっと見つめている。部屋を満たす媚薬入りの香が、重く甘く鼻腔を突いた。
抗えぬ香りに誘われるように、オザンナの唇がわずかに開く。だが、危うく飲み込まれそうになる意識を、彼女は強引に引き戻した。
「あ、あのー、仕事が残ってるので失礼してよろしいでしょうか?」
上ずった声で問いかけるも、男は冷淡に言い放つ。
「君とは一晩過ごすつもりだ」
ーーうわっ、この人のターゲットは私だったのね。そういえば、サロンでもちょくちょく目が合ってたから、もしやと思ったけど……
「服を脱ぎなさい」
拒絶を許さぬ響きに、オザンナの背中に冷たい汗が伝う。
ここで断れば、オーナーであるサンドラお婆さんの怒りに触れるだろう。罵倒されるだけならまだいい。だが、悪役令嬢としての師匠であるレベッカの顔に泥を塗ることだけは、どうしても避けたかった。
覚悟を決め、オザンナは男に背を向けてメイド服を脱ぎ捨てた。
薄い下着姿になり、剥き出しの肌が夜気にさらされる。サンドラの前で脱いだ時とは、比べものにならないほどの緊張が全身を走った。心臓の音が耳元までうるさく響き、羞恥のあまり息も絶え絶えになる。
しかし、肝心の男はなぜか背を向けていた。
ーーあれ、どういうこと? 見たいから脱げと言ったんじゃないのかしら?
「その胸は……違った。君はルーナじゃなかった」
「???」
「あっ、服を着ていいよ」
オザンナは混乱しながら、床に散らばった服をひったくるように拾い上げ、胸元を必死に隠した。
「オザンナだったんだ」
その口から漏れた名に、オザンナの肩がびくりと跳ねた。
ーー何で私のことを知ってるの? 私、この方と会ったこと……ないと思うけど。
「君とルーナが貴族学校の校門を出たところをこっそり見た。二人がそっくりでびっくりしたよ。でも決定的な違いがあった」
素早く身なりを整えたオザンナが、怪訝な視線を送る。
「……それって」
「胸」
ーーやっぱりそこを突っ込むか。コンプレックスなのに。
「変態!」
「いやいやいや、とんでもない。君も知ってるようにルーナの胸は大きいじゃないか。母性溢れると言うか、とても柔らかそうで温かみのある人柄そのものだ。僕はルーナのそんなところが好きなんだ」
熱っぽく語るその様子に、オザンナの眉間にしわが寄る。
ーーやけにルーナのこと詳しいな……
「ルーナのお知り合いですか?」
「あっ、紹介まだだったね。僕はファビオ・フランチェスキです」
「フランチェスキ? まさか……」
その家名は、フランチェスカ王国の支配者のものだ。
「うん、第三王子だよ」
オザンナは開いた口が塞がらなかった。
「ウソだー! だってサロンではあなたのこと敬ったりしなかった」
「それが『赤い薔薇の天国』のマナーだよ。ここに来るのは紳士ばかりだから余計な詮索や遠慮はいらないんだ。王が来たとしてもみんな普通の貴族みたいに接すると思うよ」
どこか勝ち誇ったような、不敵な笑みを浮かべるファビオ。その態度に、オザンナは無性に腹が立った。
「そうなんだ。あ、私に興味がなければ仕事がありますので失礼します」
事務的に頭を下げ、部屋を辞そうとする。
「何いってんだ。君のことは興味津々さ。なんたってルーナの親友何だろ?」
ーーそこまで知ってんだ。
「……はい。貴族学校で一番仲がいいと思います」
「僕にとってルーナは幼い頃からの友達なんだ。そのルーナが『赤い薔薇の天国』にいるらしいと聞いて慌ててやって来たんだ!」
ーーそんな噂があったの? ここで働く初日なのにな?
「私……ルーナじゃないです。オザンナです」
「うん、よかった。ルーナの貞操は国家の命運を左右するからね」
「国家の命運? ルーナの貞操が」
意味がわからず、オザンナはきょとんとして問い返す。
「あれ、知らないの? 聖女様は純潔を失うと聖女の加護がなくなるんだ」
ーーショック! なんだそれ。
「アワワワ……」
「これ、国家機密だから秘密にしてよ」
ファビオは悪戯っぽく唇に指を当てた。
「分かりました。では仕事に戻ります」
「待って、朝まで一緒にいてよ」
「なぜです。ルーナとは違うと分かったならもういいのでは?」
苛立ちを込めてぶっきらぼうに突き放すが、ファビオは動じない。
「君は『赤い薔薇の天国』のスタッフだろ。だったら夜のお仕事もやるよね」
「……はい」
「今夜は僕が相手だ」
ーーひえー、勘弁してよ! ルーナの友達とそんな関係になったら顔向けできないよー。
「ルーナの純潔は守りたいけどその親友はどうでもいいのですね」
オザンナは諦めたように言った。
ーー男なんてこんなものかな。もう少し誠実な人ならいいかもしれないけど……
「もしかしてルーナに話す?」
「当然です。親友ですからなんでもあけっぴろげに話します」
オザンナはきっぱり言った。
「やめてくれー! ルーナに嫌われたら、僕は死んじゃうよ」
ファビオのオロオロした様子を見て、オザンナは勝ち筋を見つけた。
ーーあっ、ファビオ第三王子はルーナに嫌われたくないんだ。そうか、王族はルーナの加護によって守られているから、嫌われることはあってはならないことなんだ。
よし、ここは貸しを作って、後から返してもらおうかしら。
「じゃルーナには黙っといてあげる。だけど私と一夜を共にしたことにしましょう。王族のお手つきとしてそれなりのお金はいただくけどね」
「それでいいの? 分かった。ありがとう」
ファビオは嬉々としてオザンナの手を両手で握った。
ーー少しでも実家の男爵家の手助けになればいい。うちは貧乏だから、金は必要なのよ。王族をたぶらかして金を手に入れる。もしかして、悪役令嬢らしくなったかしら?




