第17話 予備部屋
突き刺さるような視線が、オザンナの全身を射抜く。
老婆は品定めをするように、オザンナの周囲をゆっくりと一周した。骨張った指が肩、二の腕、そして太ももへと伸び、肉付きを確かめるようにねっとりと這う。
正面に戻った老婆が、冷徹な声を放った。
「口を開けなさい」
オザンナは言われるがままに口を開けた。老婆は躊躇なく指を唇の端に引っ掛け、奥歯の隅々まで覗き込む。
「よし」
満足げに頷いたこの老婆こそ、高級娼館『赤い薔薇の天国』のオーナー兼マダム、サンドラ・アルボーニだった。
ようやく解放され、オザンナは肺に溜まった空気を吐き出した。すぐ傍らでは、ダンテが腕組みをしたまま、その光景を黙って見守っている。
二人がここへ足を踏み入れたのは、共同オーナーであるレベッカの差し金だった。だが、サンドラの態度は厳しい。
「ここは高級サロンでもある。程度の低い店員はいらない。たとえ、レベッカの推薦でも気に入らない人間は受け入れないよ」
サンドラの慧眼に適わなければ、潜入の足がかりさえ掴めない。張り詰めた空気の中、老婆はさらなる要求を突きつけた。
「じゃ、脱いでもらおうか。全裸になりなさい」
「えええー、脱ぐんですか!」
思わず裏返った声が出る。従業員になるための面接で、なぜ裸を晒さなければならないのか。おまけに、すぐ横にはダンテがいる。
チラリと視線をやれば、ダンテはあからさまに喉を鳴らしていた。その瞳は下卑た期待にギラついている。
「あんたは隣の部屋で待ちなさい」
サンドラの拒絶に、ダンテが露骨に不満げな表情を浮かべた。
「何か不満があるのかい?」
「いえ、ないです」
老婆の威圧感に圧され、ダンテは慌てて隣室へと逃げ込んだ。
二人きりになると、サンドラは不敵に口角を吊り上げた。
結局、オザンナは一糸まとわぬ姿にされ、体の隅々まで検品された。痣や傷の有無、プロポーションを舐めるように観察される。とりわけ入念なチェックが入ったのは、胸だった。
「うーん、形はいい張りも最高。でももう少し大きければ理想的だったのに残念」
せっかくの評価も、最後の一言が余計だった。鏡を見るたびに溜息をつく自らのコンプレックスを突かれ、オザンナは視界を潤ませながら急いで服をまとう。
支給されたのは、フリルのついたメイド服だった。
「合格だ」
「あのー、ここの従業員で雑用係だと聞いたのですが」
不意に湧いた疑問を口にすると、サンドラは鼻で笑った。
「うちのお客様にはもの好きもいてね、気に入った女は娼婦じゃなくてもOKなのさ」
その言葉に背筋が凍る。ただの潜入のはずが、自分自身も「商品」のラインナップに含まれているというのか。
「ダンテだったな、入って来なさい」
呼び声に応じてドアが開く。ダンテは服を着直したオザンナの姿を見るなり、あからさまに唇を曲げて落胆を示した。
「よし、次はお前の番じゃ。裸になりなさい」
「ええ、俺男だぜ」
「男娼なんて珍しくもない。誘われたらもちろんわかってるよな」
ダンテは絶句して固まる。いたたまれなくなったオザンナは、出口へと足を向けた。
「私部屋を出ます……」
「いや、残るんじゃ」
「えっ」
不敵に笑うサンドラに、肩を掴まれる。
「男の免疫がないと、この商売やれない。とりあえず男の裸になれるんじゃ」
ーー勘弁してほしい。なぜ好き好んで男の裸体など拝まなければならないのよ。
視界が歪みそうになったオザンナを見て、サンドラは喉を鳴らして笑った。
「涙目にならんでもいい。ただの冗談さ、クククッ」
老婆の悪趣味なからかいに、殺意に近い苛立ちが募る。ふと隣を見れば、ダンテがこれまた残念そうな顔をしていた。見せられないのが惜しいとでも言うのか。
控室へ戻ると、先に着替えを終えたダフネが待っていた。
接客用のメイド服に身を包んだ彼女は、普段の刺々しさが嘘のように華やかだ。
「ダフネってメイド服似合うよね。なんか色気あるし、貴族学校の制服とは見違えたわ」
「これがあたしの本当の制服だよ」
ダフネは誇らしげに胸を張る。その豊かな膨らみに、オザンナは敗北感を覚えた。スタイルも色気も、彼女の方が一枚上手らしい。
こうして、高級娼婦潜入作戦が幕を開けた。
数日前、レベッカの邸宅で告げられた言葉が脳裏をよぎる。
「何でもいい。気になることがあったら報告するように」
「それってスパイになれってことですか?」
「スパイ? それなら訓練を受けたプロを雇う。ただし、素人ならではの物の見方ってあると思うがな」
含みのある笑みを浮かべたレベッカの顔を思い出し、オザンナは隣のダンテと顔を見合わせた。
王都郊外、城と見紛うばかりの豪奢な屋敷が夕日に照らされている。
夜の帳が降りる頃には、重厚な箱馬車が次々と門をくぐり抜けてきた。降り立つのは、着飾った貴族たちだ。彼らは慣れた足取りで玄関へ向かい、知己を見つけては優雅に談笑を交わす。
玄関先では、マダム・サンドラが慇懃に客を迎え入れていた。
その後ろに控えるオザンナは、ただひたすらに頭を下げ、誰とも目が合わないように努める。
驚いたのはダフネの変貌ぶりだった。普段の無愛想はどこへやら、貴族たちを前に満面の笑みを振りまいている。
客たちが案内された先は、妖しさなど微塵もない、洗練された高級サロンだった。
年代物のソファやアンティーク家具が並び、壁紙一枚に至るまで気品が漂っている。人々はワインを片手に、時勢や政治について熱く語り合っていた。
時が来れば、世話役のメイドが一人ずつ声をかけ、客を二階へと誘っていく。
ふと、オザンナの目に一人の男が映った。
ワインを三杯もおかわりし、真っ赤な顔でトイレへ駆け込んだはずの男だ。だが、戻ってきた彼はなぜかふらふらと階段を登り始めた。
まだ呼び出しの声はかかっていないはずだ。
慌てて周囲を見渡すが、サンドラもダフネも、他のメイドたちも接客に追われて気づく様子がない。
ーー放っておくわけにはいかない。酔った勢いで不手際を仕でかせば、店の名に傷がつく。
オザンナはサンドラの傍へ寄り、小声で状況を伝えた。サンドラの細い目が、さらに鋭く光る。
「行ってきなさい。ただし、二階に上がるってことは、それなりの覚悟があるってことだね」
その言葉の重みに足がすくむ。
『お客様に恥をかかせてはいけない。意味が分からないならば、この場を去りなさい』
先ほどマダムに釘を刺されたばかりだ。
「あ、はい。すぐに連れて来ます」
安請け合いをしたものの、相手は酔っ払いだ。連れ戻すだけなら造作もないはず。自分にそう言い聞かせ、オザンナは階段を駆け上がった。
二階の廊下に出た瞬間、件の貴族と鉢合わせした。
二十代半ばほどの若い男だ。彼は足を止め、オザンナの姿を頭の先からつま先まで、品定めするようにじっと見つめてくる。
「……空いてる部屋はあるか?」
「はい。予備部屋はこちらです」
無機質に答えたオザンナだったが、次の瞬間、手首を強い力で掴まれた。
抵抗する間もなく、薄暗い予備部屋へと引きずり込まれる。
ーー嘘、何でこうなるのよ!
閉ざされたドアの音と共に、オザンナの心臓が激しく跳ねた。




