第16話 噴水の中で水を掛け合った
貴族学校の渡り廊下を、オザンナが歩いていた。
「オザ、ちょっと待ってよ」
背後からかかった声に、オザンナは足を止めて振り返った。ダフネだった。
「うちのお客から高級菓子もらったから子供たちにあげてよ」
紙袋をオザンナに手渡しながら、ダフネは続けた。
「ほんとは噂の孤児院に行きたいんだけど、うちの商売手伝ってるから行けないや」
肩をすくめるダフネに、オザンナが微笑んだ。
「ありがとう。子供たちも喜ぶよ」
「じゃ」
オザンナはダフネの後ろ姿が廊下の角に消えるまで見送った。
夕暮れ。放課後、ダフネはいつものように校門を出たところでリーナとベッダと別れた。
リーナは最近、孤児院の子供たちに剣の稽古をつけている。ベッダは金融業の父の手伝いを始めて、秘書の仕事が忙しい。
――リーナが羨ましい。あたしも孤児院に行きたいなー。子供が好きなんだから、うちの仕事ほったらかして一度行ってみるかな。ダメダメ、それじゃ、みんな一生懸命働いてるのにあたしだけサボることになっちゃう。もどかしいや。
石畳の上をひとりで歩いていたダフネに、声がかかった。
「ダフネさん、待って」
足音が石畳に響いた。振り向くと、ルーナが肩を上下させながら荒い息をついていた。
――ルーナ……聖女様じゃないか! えっ、オザンナもリーナもいないけど。もしかしてあたしに用なの? 聖女様とはあまり話したことないのに。
「聖女様、あたしに……話があるの?」
「一度ダフネさんとお話したかったの。リーナと違ってダフネさんは私のこと見ないで目を背けるでしょ」
――うわっ、バレた。そりゃ聖女様をじっと見たいけど、そんなことしたら目が潰れそうだから直視できないよ。
「もしかして、私のこと嫌いなの?」
「と、とんでもないです! 聖女様はあたしの憧れです」
――あー言っちゃった。でも本音だから。オザンナとリーナが聖女様と話すところを見るのが好き。自分が話すのは、なんか場違いのような気がするんだ。だってあたしの実家は高級娼館だよ。聖女様を穢すことになるんじゃないかとハラハラする。
通りを横切る人々がルーナに気づいて足を止めた。紳士の耳元に貴婦人がコソコソと「聖女様じゃない」と囁く。貴族学校の周辺は商業地区で、往来は絶えない。視線がどんどん集まってくるのを感じて、ダフネはルーナの手を引っ張った。
「ルーナ、こっち」
――あっ、ルーナって言っちゃった。怒られるかな……。
角を回って路地に入る。ふとルーナの顔を見ると、ニッコニコだった。
「やっとルーナって呼んでくれたね」
「あっ」
――無意識に言っちゃった。失礼じゃないのかな。
ルーナがダフネをハグした。ダフネは固まった。温かみのあるルーナの体温がじんわりと伝わってくる。ハグが終わると、ルーナはまっすぐダフネを見すえた。
「ダフちゃん、一緒に遊んだの覚えてる?」
「……一緒に遊んだ? そんなこと」
「宮殿の噴水の中に入って水の掛け合いをしたじゃない。あれ、3歳ぐらいのときだったね」
ルーナの言葉が耳に届いた瞬間、ダフネの頭の中に過去の光景が激流のように押し寄せた。
馬車から降りたあたしの左手を母が握り、右手を父が握っていた。見上げると、宮殿があった。
水しぶき。
噴水の中でルーナとダフネが水を掛け合っていた。せっかくのドレスはびしょびしょだったが、二人にはどうでもよかった。ゲラゲラと笑いながら、あまりにも気持ちよくて、夏空の真下でルーナと一緒にドレスを脱いだ。侍女たちは慌てたが、ダフネとルーナは気にしなかった。
――あの後、こってり怒られたけど、楽しかったなー。ルーナはずっと覚えていたんだ。でも聖女様がいかがわしい高級娼館の娘と親しくするのって、抵抗ないのかしら……。
あたしの母は高級売春婦だった。没落貴族の三女で、借金のかたに売られたのだ。父はお客様の貴族で、顔は思い出せない。母が病気で亡くなってから、父は店に顔を見せなくなった。その後あたしは高級娼館のオーナーの養女になった。
しかし影から父の援助があることは、養母が教えてくれた。そのおかげで貴族学校に入学できた。貴族学校入学は父の差し金だ。将来のことは父が決める算段らしい。
義母はあたしに高級娼館『赤い薔薇の天国』のオーナーを継いでほしがっている。だから先行きがどうなるか、まるで不透明だった。
「どうする? 外出たらまた囲まれちゃうかもね」
路地の出口を見ながらダフネが言うと、ルーナは革の通学鞄を開けて黒いウィッグを取り出した。それをさっと被る。金髪の華やかさとオーラが、嘘のように消え去った。そこには黒髪の制服姿の少女がいた。
「前から思ってたけどオザ……オザンナに似てる。瓜二つじゃない」
「さぁ、行きましょう」
ルーナが笑った。
◇
「侯爵家の客人って言われたから、豪華な部屋で寝泊まりして美味しいもの食べたりできるものと思ったけど……ただの下僕じゃない?」
ダンテは朝から厨房のゴミ出し、屋敷の床掃除、薪の運搬、庭掃除にてんてこ舞いだった。格好だけはベストにネクタイ、スラックスに革靴と、侯爵家の下僕として恥ずかしくないものだった。しかし、やっていることはただの汚れ仕事だ。
――こんなことが高級娼館『赤い薔薇の天国』に潜入するのに役立つのか? ただの使用人としてこき使ってるだけじゃねーの。そもそも俺は女にいいように使われてるように思う。オザンナに彼氏のフリをしてくれって言われて、今度はレベッカに接客の基本を学べと侯爵家の臨時の下僕にさせられた。何が客人だよ。あーあ、ほんとの客人になって贅沢三昧したいぜ。でも、一ついいことはあった。
バケツのお湯を厨房から運んでいると、若い侍女が近づいてきた。
「お手伝いしましょうか?」
「いいよ。重い仕事は男の仕事だ」
侍女の頬がさっと赤らんで、ダンテをじっと見つめた。恋する眼差しだ。
――この屋敷の侍女は美人ばっかりだ。さすが侯爵家ともなると容姿まで洗練された侍女が働いてる。その侍女たちがなぜか俺に優しかった。ひょっとしてここが「天国」じゃないの、へへへ。




