第15話 赤い薔薇の天国
レベッカの邸宅の居間。深々とした椅子に足を組んで座ったレベッカが、対面のソファに鎮座するオザンナを見てそう言った。
「取り憑いた悪霊が去ったような顔をしてるな」
ーー私、そんなに変わったかしら。
オザンナは内心首を傾げた。確かにここ最近、周りの人々に雰囲気が変わったと言われつづけている。
「今回の件で、もう悪役令嬢の弟子入りなんてやめたらどうだ。幸せ一杯の善人面で生きるのが、あんたにはお似合いさ」
ほんとにレベッカは口が悪い。オザンナは唇を引き結んだ。
ーー私は悪役令嬢を目指すの。善人なんてお断りよ。
「悪役令嬢にしてください」
オザンナはきっぱりと言った。
「それ、聖女様のためだろ?」
「はい」
「ならばルーナが直接あたしに教えを乞うのが一番の近道じゃないのかな。オザンナを間に挟む意味が分からない」
「私ならいつでもルーナの側にいて、アドバイスできます。そしてルーナに教えることで一緒に成長したいんです」
「聖女様を守る騎士だな。よし分かった。オザンナには次の課題をやってもらおう」
ーー次の課題? えっ、テストは合格じゃないの。
オザンナの背筋がわずかに固まった。
「彼氏いるか?」
「……いません」
「だったら作れ。今度来たときに連れてこい。悪役令嬢は男を手玉に取るものだ。彼氏がいなくて悪役令嬢になりたいなんてへそで茶沸かすぞ」
「……いきなり言われても」
「以上」
レベッカは椅子からすっと立ち上がり、何事もなかったように居間から出て行った。
◇
孤児院の長テーブルに、オザンナは突っ伏していた。周りではしゃぎ回る子供たちの声が耳に届いても、顔を上げる気にもなれない。
「珍しいな。オザがふてくされてるの」
声に顔を上げると、対面にリーナが座っていた。
「私に彼氏を作れってさ。そんなのムリムリ」
「レベッカに言われたの?」
「うん、レベッカは底意地悪いのよ。まさに悪役令嬢だわ」
「作ればいいじゃん、オザ美人だしいくらでもできるでしょ」
「父から恋愛禁止のお達しが来てるんだ」
「?」
「いずれ私を借金返済のための政略結婚させるんだって。だから恋愛するな、純潔を守れってさ」
「あちゃー! 毒親なんだ」
「噂で聞いてるでしょ。ギャンブル大好きポーカー狂いなのよ。それさえなけりゃいい親なんだけどなー」
「政略結婚か……あたしには考えられないな」
ーーそりゃそうよね。剣聖の孫で、剣の腕はピカ一、将来を嘱望されているリーナと、ただの没落貴族の娘の私じゃ話にならない。どこかの老人貴族の後妻か、でっぷり太った商人の嫁になるのがオチ。
オザンナは視線をテーブルに落とした。
「そもそも男女交際したこともないし」
「十八になってそれ、ヤバいよ」
「リーナはどうなの?」
沈黙が落ちた。リーナは上目遣いになり、そっと視線を逸らした。頬がうっすらと赤い。
「あるの?」
「……ない」
オザンナは視線を流した。テーブルの向こうで、ルーナとトビアが子供たちに勉強を教えている。トビアはリーナの弟だが、巻き毛が女の子みたいに可愛い。今は、ルーナにも分からない問題を横から教えていて、二人して顔を突き合わせて笑っていた。
ーートビアはルーナがいいのかな。私にネックレスをくれたこと、もう忘れているみたい。胸のあたりに、小さなざらつきを感じた。
「オザ、トビアは無理だと思う。悪役令嬢のレベッカに会ったら、しょんべんちびるよ。あの子、あたしと違って気が弱いからね」
「リーナが男だったらつきあうんだけどな」
「それも駄目だ。あたしが男ならルーナ……聖女様を選ぶ」
「あ~あ、私に好意を寄せてくれる男って……」
そのとき、孤児院の厚いドアがギィーと鈍い音を立てて開いた。
「よっ、みんなお土産持ってきたぜ」
ダンテが大きな袋を抱えて入ってきた。子供たちが歓声を上げ、一斉にまとわりついた。
オザンナはその光景を一秒眺めてから、椅子を引いて立ち上がった。
「いた! とりあえずダンテにする」
「俺を彼氏に? あっ、そいつは難しいな」
「なんでよ」
「俺は一人前になってから、あんたを迎えに行くつもりだ。今はボランティア団体の職員だけど、もっと大きくなってやるからさ、それまで待ってくれよ」
「えっ、まだそんなこと言ってるの。ダンテが偉い人になるまで私は待たなくてはいけないの? だったらおばあちゃんになっちゃうよ」
「もしかして、それOKってこと」
「そもそもあんたのことよく知らないしね」
「……知ってるくせに」
ダンテがぼそっと言った。その声は子供たちの喧騒にほぼ掻き消されたが、オザンナの耳にはちゃんと届いた。
「ともかくなんでもいいから彼氏のフリをしてくれないかな」
「レベッカに見破られない? 嘘だとわかったらやばいでしょ」
リーナが横から口を挟んだ。
「だいたい短期間で男を作れなんてムリに決まってるじゃん。ほんとに意地悪な悪役令嬢だわ、レベッカは」
◇
「ほう、本当に男を連れてくるとは……やるじゃないか」
レベッカの邸宅の居間。レベッカと向かい合うソファに、オザンナとダンテが並んで腰かけていた。
ダンテは部屋に入ったときから落ち着きがなかった。調度品の豪華さよりも、あちこちに飾られた薔薇の花に目が引き寄せられていた。置き場を失った花束が床にまで山盛りに積まれている。
「あなたの名前は?」
「ダンテです。ダンテ・メンゴーニ」
「うん、悪くない。ちょっと野性味溢れる風貌は貴族階級では見かけないな」
「俺、ただの庶民です」
「言葉遣いは直さないとな。作法は……これから身につけるか」
「えっ、なんです」
ダンテが不安そうにオザンナと目を合わせた。オザンナにも何がなんやら理解できない。
「ダンテには客人になってもらいます。私の父モルテード侯爵の正式の客人として、この屋敷で過ごしてもらいます。時が来たらオザンナと一緒に働いてもらいますから楽しみにしているわよ」
ーーえええ——なによそれ。ダンテがモルテード侯爵の客人? 私も一緒に働くってどういうこと。
オザンナは座ったまま言葉を失った。
「二人の働く場所は、高級娼館『赤い薔薇の天国』よ。私はそこの共同オーナーなの」
ーー『赤い薔薇の天国』——どこかで聞いたことがある。記憶の糸を手繰ると、すぐに答えが浮かんだ。ダフネの実家じゃない。私、そこで働くの。
動揺の滲んだオザンナの顔を、レベッカがまっすぐ見た。
「色事に詳しくない悪役令嬢はいないわよ、オザンナさん」
レベッカはクククッと笑った。




