第14話 サワガニ
「オザンナが来ているみたい」
結婚式の控室は、朝からずっと慌ただしかった。髪の手入れに化粧、ウエディングドレスへの着替えと、時間に追われながらサブリーナ・ローレは姿見の前の椅子に座っていた。そこへ姉が近づいてきて、耳元でそっと囁いた。
「オザンナには招待状出してないわ。なんで来たのかしら?」
「あなたに会いたいから取り次いでほしいと言ったみたい」
「しかたないわね」
サブリーナは椅子から立ち上がった。姿見に映るウエディングドレス姿は、我ながら完璧だった。
「オザンナを呼んで」
姉が控室を出ていく。扉が閉まると、サブリーナは遠くに目をやった。
――オザンナか……久しぶりだな。あれから会ってなかったな。
記憶が浮かび上がってくる。幼いオザンナと手を繋いで、邸宅の庭を駆け回った日々。転んで泣き出したとき、オザンナが差し伸べてくれた小さな手。やさしい女の子だった。まるで姉妹みたいだと侍女たちがよく言っていた。姉はオザンナをことのほか可愛がり、三姉妹のようだと周囲から言われることも珍しくなかった。
けれど貴族学校に入ってから、その仲は崩れた。
ある日、サブリーナは同級生にこっそり囁いた。
「オザンナって、最近調子乗ってると思わない? あの子よく私に二人の悪口いうのよ」
真っ赤な嘘だった。聞けば激怒するような話をこと細かく並べ立てると、二人の顔は紅潮し、怒りで手が震えた。
オザンナを貶めたのは、自分の好きな男子生徒がオザンナに気があると知ったからだ。胸の底からどす黒い嫉妬の炎が燃え上がった。
オザンナが教室にいない隙を見計らって鞄を持ち出し、中庭の雨水が溜まった場所に投げ捨てた。三人でその鞄を踏みつけて、笑った。オザンナの父がポーカー狂いであることも吹聴した。直接オザンナに罵詈雑言を浴びせて、泣かせた。
それほどひどい目にあわせたのだ。だから結婚式には呼ばなかった。
「おめでとうサブリーナ! なんて綺麗なウエディングドレスなの。あなたにぴったりね」
オザンナの言葉を聞いた瞬間、サブリーナの胸に何かが揺れた。あれほどいじめたのに、この子は祝いの言葉を持ってきた。
「あなたの結婚を聞いてほんとに嬉しかったの。よかった。サブリーナのウエディングドレス姿は目に焼き付けるわ。一生忘れない」
「ありがとう、オザンナ」
サブリーナの顔がほころんだ。
――なんだ私に対する恨みつらみを晴らすためにここに来たわけじゃないんだ。この子ってほんとにお人好しなんだから……。
気づけばオザンナの手を取っていた。目の奥が熱くなる。
「ごめんなさい、オザンナ」
声が出ていた。
「貴族学校にいたとき、あなたを守ってあげなくて、ごめんなさい」
するとオザンナは、それまでの態度を一変させた。
「なにいってるの。私をいじめた張本人は、サブリーナじゃない!」
その言葉で私の足元がグラッと歪んだ。
目の前にいるオザンナや部屋自体が形を崩して渦巻きのようになっていく。
ハッとした。
瞼を開けると、ベッドを覆う天幕が目に入った。窓から朝日が差し込んでいる。ここはサブリーナの自室だった。
今の、夢? 結婚式は? 結婚相手の名前が浮かばない。
体を起こしてベッドの縁に腰をかけると、目の前に車椅子があった。サブリーナはベッドサイドの呼び鈴を鳴らした。
侍女に朝の支度を手伝ってもらい、邸宅の庭を回る朝の散歩に出た。朝もやの中から人影が現れる。
オザンナだった。
「おはよう、サブリーナ」
「夢でオザンナのこと見たばっかりなの。まさか、本当に会えると思わなかった……」
目頭が熱くなった。
庭の東屋のテーブルで向かい合うと、侍女が呼び鈴をテーブルに置いて離れていった。しばらく昔話に花が咲いた。
「小川で遊んでいたとき、オザンナにサワガニ見せたら鼻をハサミで挟まれて大泣きしたわね。あのときびっくりしてこっちも泣いちゃった」
「そうそう、そんなこともあったわねハハハ」
話題が途切れると、二人とも口をつぐんだ。さっきとは打って変わって、重い空気がテーブルの上に漂った。
先に口を開いたのはオザンナだった。
「──あなたを階段から突き落とした犯人は、私なの。ごめんなさい」
深々と頭を下げるオザンナを見て、サブリーナは車椅子の右手のグリップをギュッと握りしめた。
一瞬、険しい表情が顔をよぎったが、すぐに元に戻った。
「……知ってたわ。たぶんあなただろうと思ってた。あなた以外、心当たりがなかった。いじめた因果応報よ」
「なぜ私をいじめたの? あれほど仲良かったのに」
「私の好きな男子がオザンナのことを好きだったからよ」
「それで嫉妬したの?」
サブリーナは首を振った。
「違う。私はオザンナが好きなの。誰よりも好きで、好きすぎて気が狂いそうだったの。だから誰かに取られるくらいならって、いじめて孤立させたのよ。オザンナは私のもの。誰にも渡さない」
オザンナの顔から血の気が引いた。
「心配しなくていいわ。足が不自由になってそんな妄執もどこかに行ってしまった」
「そうだったんだ。その気持を素直に伝えたらこんなことになってなかったのね」
「そのとおりです。聖女様のおっしゃるとおりです」
慇懃無礼な口調に変わっていた。
「……どうして分かったの」
「さっき話したサワガニのエピソード、あれは私の創作なの、真っ赤な嘘。オザンナがその嘘につきあうわけはない。最初から違和感あったけどその理由が分からなかった。昔の話で相槌を打つだけなんて、そんなことオザンナはしないわ」
オザンナは立ち上がり、黒いウィッグを外した。金髪が朝風に流れてキラキラと輝く。朝日を背にしたその姿は、まさしく聖女様そのものだった。その神々しさにサブリーナは胸が震えた。
「おおー、聖女様が私の元にいらっしゃった。感謝致します」
深々と頭を下げた。
◇
夕暮れ前の孤児院の庭先で、リーナがレイに木剣を手渡した。
「これはおもちゃと違うから気をつけること。大怪我するからね」
「わかってる」
「そうね握り方は、雑巾を絞るように……そうそう、それでいいわ」
レイが嬉しそうに木剣を振ると、空気を切る音がした。
ヴゥーン!
「おっ、いきなり鳴るか。……素質あるかもね」
「本当?」
「ああ本当だ。後は修行しだいだな。かなりのレベルまで行けるかも」
「やった! あっ、お姉ちゃん」
リーナが振り返ると、休日に出かけると言っていたオザンナが戻ってきていた。
「おかえり。で、どうだった」
オザンナの顔は晴れなかった。そのまま孤児院の中へ入っていく。部屋ではルーナがシーナと人形遊びをしていて、シーナがキャッキャッとはしゃぐ声が響いていた。
長テーブルを囲んでオザンナとルーナ、リーナの三人が向かい合った。
「例の三人とあったんだけど、拍子抜けだよ。真実を告白したら当然罵倒されるものと思ったけど、むしろ貴族学校でいじめたことを謝られた」
「よかったじゃない」
リーナが言った。
「でもびっくりしたのは、車椅子のサブリーナは完治して歩いてることに驚いたよ。後の二人も何もかもうまくいってにこやかだったよ。スザンナの失語症は治っていて話せたし、アルビーナは不倫した殿方が離婚して結婚間近だって喜んでた。悩んでいたのが馬鹿みたいだったな」
オザンナの表情は、ずいぶんとすっきりしていた。胸の奥に長いこと沈んでいたものが、ようやく光に当たって溶けていったように見えた。
「へー、そんなことになってたんだ」
ルーナが無邪気に言った。




