第12話 悪女
「麗しの君よ、あなたに再び会えて嬉しい」
エドモンド第一王子が言った。
「えっ」
オザンナは思わず左右を見渡した。念のため背後にまで目をやる。誰もいない。ということは、『麗しの君』なる言葉は自分に向けられたものだ。
一回しか会っていないのに。しかもほとんど喋らなかったのに。オザンナは目をぱちくりさせた。
「あっ、ごめん。今のはオザンナさんの緊張を解くための言葉です。気にしないでください」
気にするなという方が無理だった。
「今回のパーティーに出席してくださってありがとうございます」
威厳のある低い声がオザンナに近づいてきた。ロマンスグレーの紳士だった。
「お初にお目にかかります。レミージョ・ルッフィーニです」
「公爵、オザンナ・ロメーオです。ご招待ありがとうございます」
ルッフィーニ公爵は、オザンナの左手の甲にそっとキスをした。頬がじわりと熱くなる。大人として扱われたのは初めてだった。
「今回のパーティーは私の60歳の誕生日祝いですが、そこにあなたを呼んで欲しいと頼まれました。なるほど、エドモンドが拘る理由が分かりました」
パーティーの招待状がエドモンド第一王子の差し金だったとは。オザンナは頭の中でその事実を整理しようとしたが、うまくまとまらなかった。
「叔父上、口をつぐんでください。彼女は緊張してるじゃないですか」
「あのー、本当にエドモンド第一王子様が私にパーティーの招待状を……」
「はい。ぜひもう一度会いたかったです」
本当だった。もしかして自分のことが気になるのだろうか。前回会ったとき、そんな雰囲気は微塵もなかったのに。
そのとき、周囲の空気がどこかよどんでいることにオザンナは気づいた。そっと視線を淑女たちの集まりに向ける。冷たい、氷のような眼差しがいくつも突き刺さってくる。
嫉妬と情念がメラメラと揺れているのが、まるで見えるようだった。見知らぬ自分のことを噂しているのだ、きっと。
背筋がすうっと寒くなる。そうだ、エドモンド第一王子は国民的な人気を誇る。幼い頃から美少年と評判で、その佇まいとやさしい人柄から、完璧な王子だと噂されてきた。
「どうです、バルコニーに出て夜風に当たりませんか?」
その言葉を聞いて、ルッフィーニ公爵がさりげなくその場を離れた。
「私みたいな小娘を相手になさるのは退屈でしょう。妙齢の貴婦人の方がよろしいのではないでしょうか」
口から出た言葉に、オザンナは内心で驚いた。退屈で死にそうだと思いながら受けてきた貴族学校の作法の授業が、よりによってこんな場面で顔を出すとは。
「私が生涯退屈しない淑女は一人だけいます」
「……ルーナのことですね」
「はい。私たちは幼き頃から一緒に育ちました。あんなに天然で楽しい子はいません。今思えば、毎日が天国のようでした。ルーナがいない今は、退屈でしかたありません」
確かに、とオザンナは思う。ルーナといると毎日ハプニングだらけで、退屈している暇がない。
「でも、もしかしたらもう一人見つけたかもしれません」
エドモンド第一王子が真顔で言った。視線がまっすぐオザンナへ向けられ、穴が開くほど凝視される。頬に熱が集まってくる。二人の間に、静かな沈黙が落ちた。
その沈黙が、破られた。
パァ────ン!
風船が割れたような音。
しかし違った。平手打ちの音だ。
「はあーん、なんだって。わたしがいつお前の男を取ったんだよ!」
どら声が大広間に響き渡り、ざわめきがぴたりとやんだ。視線が一斉に、中央テーブルにいる赤い薔薇のドレスの女へ集まる。
「取ったじゃない。オルランドは私から離れてあなたの元にいったのよ」
張られた左頬を手のひらで押さえながら、憎々しげに睨みつけて女が言った。
「わたしのせいじゃないわ。あんたが魅力のない糞女だから、こっちに目がいったのよ。雑草よりも美しい薔薇に目がいくのは自然なことじゃない」
「キィー、なんだって! この売女め!」
頬を張られた女がテーブルのワイングラスを掴むと、相手めがけてぶちまけた。赤い薔薇のドレスがワインでさらに深く赤く染まる。
「レベッカ、もうそのへんで──」
誰かの声が響いたが、赤い薔薇のドレスの女はハイヒールを脱いで右手で掴み、ヒールの踵を相手の額へ叩きつけた。
ガツン!
額に直撃した。女が崩れるように昏倒する。パックリと割れた額から血が流れ出した。
キャアアア──!
血の赤に錯乱した女が四つん這いになって逃げようとする。ヒールを手に仁王立ちするレベッカが、その背中を見下ろした。
「とっとと消えな! ゲス女はこの場にふさわしくない」
それが、後に稀代の悪女と知ることになるレベッカ・モルテードとの、初対面だった。
しばらくして、レベッカも会場を退場した。オザンナはその後を追いかけ、廊下でその背中に声をかけた。
「待って、レベッカさん!」
レベッカが振り返る。お前は誰だと言わんばかりに目を細めた。
「私を弟子にしてください!」
気づけばオザンナは叫んでいた。
ーー今のままじゃ駄目だ。ルーナを悪役令嬢にするには、この本物の力を手に入れたい。
「弟子? なんの」
「悪役令嬢の……」
レベッカがオザンナを睨んだ。そのままつかつかと歩み寄ってくる。
「わたしは悪役令嬢じゃない。悪女だよ」
そう言って、オザンナの顔を覗き込んだ。
「お前……聖女様に似てるな」
ルーナを知っているのだ。これで接点ができるかもしれない。オザンナの胸の奥で、かすかな手応えが灯った。
「はい。よく言われます」
「わたしは聖女様が大嫌いなんだ。とっとと消えな!」
ハー、ハークション!
その頃、アウグストニ伯爵邸の自室にいたルーナはくしゃみをした。
「あれ、風邪引いたかな?」




