↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】あなたは知らなくていいのです  作者: 楽歩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/32

4.父&友人①

「と、まあ――そんなことがありましたの」


 私はそう言って、手にしたティーカップをわずかに傾けた。琥珀色の紅茶が、光を受けて静かに揺れる。その水面に映る自分の顔は、驚くほど穏やかに見えた。




 向かいのソファでは、お父様が腕を組み、じっとこちらを見ていた。鋭い視線、けれど次の瞬間、その口元がぴくりと歪む。




「それはそれは……」


 そして、堪えきれないように喉が鳴った。




「くくっ……『ざまぁ』されるのは、我がホフマン家ではないのか? 清廉潔白だという証拠……あるといいな。はは!」


 ついには声を上げて笑い出した。


 重厚な執務室の壁に、その笑い声は何度も跳ね返る。



 ――…お父様、笑いすぎです。



 心の中でだけ小さくため息をつきながら、私は再びカップへ指を添える。




 ホフマン家。その名を聞いて、純真無垢を思い浮かべる者など、この国には一人としていないだろう。


 「策略」「陰謀」「計略」「企み」――


 そのどれもが、まるで家紋のように我が家に付き纏ってきた。




 無論、それらが公の場で語られることはない。社交界では皆、上品な微笑みの奥に本音を押し隠すもの。けれど、扇の陰やワイングラスの向こうで囁かれる声までは、消し去ることなどできない。


 ホフマン家には気をつけろ。


 あの家は裏で糸を引く。


 関われば最後、骨の髄まで利用される。




 そんな言葉を、私は幼い頃から何度も耳にしてきた。


 けれど、だからといって、それを恥じたことなど、一度もない。むしろ逆。この血こそが、私の誇りだ。




 人は「清廉潔白」を美徳と謳うけれど、それだけでこの世界を渡っていけるほど、貴族社会は甘くない。善良であるだけの者は、いずれ誰かの踏み台となる。




 私はゆっくりと顔を上げた。まだ笑いの余韻を残すお父様と視線が交わる。




「そこは、抜かりありませんわ。婚約者様が集めた証拠とやらで何をしてくださるのか、楽しみです」


 ふふ、と小さく笑うと、お父様の眉がわずかに動いた。


 

「嬉しそうだな」


 お父様の声音は、からかうようでもあり、探るようでもあった。




「そのように見えます? 実はね、お父様。ヴィクター様が、『僕のセレナ』っておっしゃったのよ。ふふ」


 言葉にするだけで、自然と頬が緩む。


 

「何? あのヴィクター君がか?」


 さすがに意外だったのだろう。お父様は珍しく目を丸くした。その反応に、私はこくりと頷く。


 

 いつもどこか他人事のようで、感情の温度を感じさせなかったあの人が、はっきりと、“私のものだ”と示した。


 婚約とはいえ、結婚すればせいぜい家名の利益を互いに利用するだけ、そう割り切っていたはずなのに。



『僕のセレナ』


 その一言が、思いのほか心地よくて。悪い気はしないわ。




「そうなのですよ。ただ、今のヴィクター様、純粋すぎて……貴族としては少し危ういですわね」


 言葉を選びつつ告げると、お父様は顎に手を当て渋い声を漏らした。



「……それは困ったな。手を打つか?」


「いいえ、まだいいのです。私、何を考えているかわからないヴィクター様に、興味はないですが、今の純粋で邪心がなく、私を信じている分かりやすいヴィクター様には興味があります。魅力的ですわね。貴族としてのマナーや礼儀正しさは、前より良くなっていますし」


 

 ヴィクター様は、卒業学年となる来年は、私と同じクラスになりたいから、必死で勉学に励むと誓ってくれた。



「ほう、気に入ったようだな……計画変更か?」


「なにをおっしゃるの? 計画通りに決まっておりますわ」


 

 するとお父様は、呆れたように息をつきながらも、どこか楽しげに肩を揺らした。「それでこそだ」とでも言いたげに。




 ヴィクター様がおっしゃっていた“悪意”。あれを放置していたのには、もちろん理由がある。


 急いで潰すほどのものではなかったし、むしろ泳がせておいた方が、より大きなものを引きずり出せる。小さな毒は、時に良い餌になるのだから。



 ――けれど。まあ、いいわ。



 ヴィクター様が、あれほど一生懸命になってくださるのだもの。


 

 時期は早いが、それで計画に支障が出るはずもない。むしろ、ほんの少しだけ彩りが増すくらいだ。




「ははは、そうか。お前の好きにしなさい」


 軽やかに告げられたその言葉は、放任ではない。信頼だと分かっている。


 

「ええ、もちろん」


 

 ――楽しくなってきたわ。


 そう思った瞬間、視界に映るすべてが、ほんの少しだけ鮮やかに色づいた気がした。



     ◇




「何やら面白いことになっているそうね」


 レティシアがそう言って、音もなく椅子へ腰を下ろした。その所作は相変わらず無駄がなく、一連の動きすべてが洗練されている。


 今日は久しぶりに彼女とお茶を楽しむ日。


 

 細やかな模様のティーカップ。小ぶりで愛らしい瓶に詰められたジャム。まだほんのりと温かさを残したスコーン。


 整えられたそれら一つ一つが、この空間を“特別な午後”へと仕立て上げている。


 


「まあ、耳が早いですわね、レティシア。昨日まで隣国にいた人とは思えないわ」


 私が軽く肩を竦めると、レティシアはくすりと上品に笑った。



「あの彫刻のように表情を変えないあなたの婚約者様がね。人生ってわからないものだわ」


 レティシアは淡々とそう言った。



「ふふ、今のヴィクター様、純真無垢という言葉がぴったり。私の周りにいなかったタイプで興味深いわ。表情も豊かで、決してそれは貴族らしいとは言えないけれど、見ていて楽しいし、癒されるわ」




 言いながら、自然と頬が緩む。今頃きっと証拠を集めているはずだ。私のために。そう考えると、気分が高揚する。




「あら、セレナ、気付いていて? その言い方、あの王太子がミレーナを褒める時とよく似ているわ」




 …………。


 


「ふふ、嫌だわ。そんな怖い顔をしないで、冗談よ」


「……全く違いますわ。ヴィクター様は、常識がありますもの」


 

 ――レティシア、あなた。少し失礼ですわ。




「まあまあ、とにかく『ざまぁ』だったかしら? あなたの婚約者様は、誰からやるつもりなのかしらね」


 話題を変えるように、レティシアがカップを揺らしながら言う。




「――ああ、きっと、ミレーナの周りでさえずっている小鳥たちじゃないかしら?」


 私はカップを静かに置きながら答えた。レティシアの目が、わずかに細められる。



 次期王太子妃のミレーナの権力を後ろ盾にして威張り散らす男爵令嬢たち。


 ミレーナに同調し、その言動を真似て私を見下す。自分たちの立場を正しく理解していない者たち。



 けれど、同じく婚約者候補だったレティシアには近づかない。


 理由は簡単。ミレーナ自身が距離を取っているから。ミレーナは、侯爵令嬢であるレティシアには手を出さず、同じ伯爵令嬢である私にだけ、ああいう態度を取る。


 

 そして、その取り巻きたちも同じように振る舞う。誰かの鳴き声に合わせてさえずる小鳥たちのように。



 誰かが声を上げれば、それに重ねるように同じ声を出す。



 自分で判断することはない。誰に強く出るのか、誰に従うのかも、すべて周囲に合わせて決めている。


 判断基準は、自分ではなく他人。



 馬鹿馬鹿しいわ。でも、あえて無礼な態度を咎めず、泳がせてきた。小さな無礼を積み重ねさせることで、いずれ言い逃れのできない“罪”にするために。


 


「セレナの前に立ちはだかるなんて。本当に覚悟をもってやっていたのかしら。……愚かだわ」


「覚悟があったとは思えませんわね。ただ、流されていただけでしょう。けれど、それでも選んだのは自分ですもの。責任は取っていただかないと」


 静かに言い切ると、レティシアが満足そうに頷いた。


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。