3.謂われなき非難
王家のお金で教育を受けたのだから、王子の婚約者にならずとも、それなりの地位を持つ方の婚約者になるだろう――そんな未来は、ずっと前からわかっていた。
王太子の婚約者候補から外れ、代わりに提示された候補たちに驚きもなければ、落胆もなかった。
ただの既定路線。用意された選択肢の中で、最も合理的な場所へ収まるだけのこと。
そして決めた相手は、ヴィクター・アルマンド公爵令息。
公爵家の次男で、やがては我が伯爵家に婿入りする予定の人だ。家格としては申し分ない。立場も、役割も、将来性も。条件だけを見れば、非の打ちどころはない。
けれど、この方は……私というよりも、誰に対しても関心を持たない。
話しかければ返答はある。必要な場面で、必要な言葉を選ぶだけの理性もある。
けれど、それだけ。そこに感情の温度はなく、興味の揺らぎもない。冷たくはないが、距離が常に一歩先にあるような、そんな男性で、こちらが一歩踏み込めば、同じだけ静かに後ろへ下がる。
会話が五秒以上続いたことすら珍しい。
質問には答える。けれど、会話にはならない。広がらないし、続かない。
……正直、退屈だったわ。
まあ、私の目的の邪魔にならなければそれでよろしいですわ――その程度にしか思っていなかったのに……。
階段から落ち、血を流し、目を覚ましたあと彼は、別人のように言葉を発した。あの何もなかったはずの内側から、突然、何かが溢れ出したように。
◇
「でね、記憶を取り戻したら、そこに美しい令嬢がいて、僕の婚約者なんだって気付いたら……うれしさで気を失っちゃったんだよ。 なーんて、あはは」
……ん? この方は、誰?
思わず、瞬きを一つ。
部屋に差し込む午前の陽光が、白いシーツの上にやわらかく落ちていた。淡く反射する光が、室内の輪郭をぼかし、どこか現実感を薄めている。
その中で彼の笑顔だけが、妙にくっきりとしていた。
眩しいわ……。
光を受けて、彼の表情は一層明るく、陽だまりの中心にいるかのように柔らかく輝いて見える。目を見張るほどにきらきらとした空気をまとった、妙に軽やかな青年。私の知っている婚約者様と違う。いったいどこから現れたのかしら、この陽気なお方は。
あの、薄い影をまとっていたミステリアスな公爵令息は、いったいどこへ消えたのかしら。
同一人物とは、信じ難いわね。
太陽みたい。ええ、本当にそう。でも太陽の光って、当たりすぎると疲れるのよね。
……お見舞いに来たばかりだけれど、もう帰ろうかしら。
「転生すると大体そこは物語の世界って決まっていてね、でも……ごめん、僕そういう物語に興味がなくて。ここの世界がどんな話なのか分からないのだよ」
……あら?
先ほどまでの明るさが、わずかに陰る。分からないことを素直に分からないと言っているだけなのに、その仕草はどこか子どものようで。
……妙に、無防備。あの無表情の男からは、決して見られなかった類のもの。
けれど、しゅんとしたその様子は、どこか愛嬌があって胸の奥を、くすぐるような違和感が残る。ちょっと、可愛いと思ってしまうくらいに。
――もう少しだけ、観察してみましょうか。
「明日のことなど誰も知りませんわ。人生は作っていくものですよ」
軽く、結論だけを置くように告げる。慰めでも励ましでもない。ただの事実。それ以上でも、それ以下でもない言葉、なのに……。
「セレナ! 君はとっても素敵なことを言うね。 ああ、きっと君は、この世界のヒロインなんだ」
あまりにも躊躇のない称賛と熱量に一瞬、思考が止まる。冗談でも社交辞令でもなく、ただ思ったことをそのまま口にしている。
それにしても、『セレナ』私をまた、そう呼んだ。この人、私の名前を知っていたのね。意外だわ。これまで、私に関心を示したことなど一度もなく、視線すらまともに合わなかったのに、こうして当たり前のように名を呼ぶ。
そして、呼び捨て。距離の詰め方が、急よね?
普通なら、不快に感じてもおかしくないはずなのに不思議と、そこまで嫌ではない。むしろ少しだけ、くすぐったいような。
「セレナはショックを受けるかもしれないけど、大事なことだから聞いて。 実はね……君は謂れなき非難をうけているんだ……」
「謂れなき非難ですか?」
――知っていましてよ。全くショックではありませんが。
あれほど露骨にやられていれば、気づかないほうがどうかしている。
それをわざわざ“告げる”必要があると思っているあたり――この方、どこか、ずれているのかしら? 状況の深刻さは理解しているのに、伝え方が妙に素直すぎる。けれど、じっとこちらを見つめるその瞳は、妙に真剣で本気で心配していることだけは、はっきりと伝わってくる。
計算も打算もなく向けられる好意というものは、扱いづらい。
「そう……アレクやミレーナ嬢は、君に悪意があるし、アレクやミレーナ嬢の友達だって……君への態度はひどすぎる。断罪……そうだ、濡れ衣を着せられて断罪があるかもしれない!! 大変だ!!」
……あら。そこまで把握していらっしゃるの。
少しだけ、感心する。表面だけをなぞるのではなく、きちんと“構図”として理解しているらしい。
ただ、あの人たちが、私に断罪? それは興味がある。どんな幼稚な舞台を用意するつもりなのか、衆目の前で涙でも流してみせるのか、証拠も筋書きも甘いまま、勢いだけで押し切るつもりか。それとも、少しは頭を使って整えてくるのか。
ふふ、粗雑な細工ほど、見破るのは容易いもの。そうなっても返り討ちよ。
「でも、安心して! 僕がざまぁをするから」
……ざまぁ??? また知らない言葉が出てきたわ。“転生”といい、この方の語彙はどこか別の体系で構成されているらしい。
彼を見ると、表情は真剣そのもの。冗談を言っている様子は、微塵もない。それどころか、妙に誇らしげに胸を張っている。
こちらの温度と、まるで噛み合っていない。
「ざまぁとは何でしょう?」
「ああ、物語の中で、悪意をもって振る舞ったり、陰謀を企んだりしている人は、最終的にはその行動が裏目に出る。不幸な結末に至ったり、報いを受けたり……それが『ざまぁ』だよ」
………………。
説明を聞いても、なお理解が追いつかない。
ざまぁ……ざまぁ……? 何かの呪文かしら。それとも異国の言葉?
語感が軽すぎるのよね。内容は“報い”や“破滅”の話のはずなのに、妙に間が抜けている。
頭の中で、一度内容を分解して、組み立て直す。
つまり、悪意ある者が、自らの行いによって破綻する、結果として、相応の報いを受ける、ということね。
「そうと決まったら、うん。 僕のセレナが清廉潔白だという証拠を集めなくては! ああ、明日から忙しくなる」
勢いよく立ち上がった拍子に、プラチナ色の髪がさらりと宙を舞い、光を弾いた。思わず、目を細めた。
……眩しい。以前の彼にはなかった、存在感。そして彼は、満面の笑みを浮かべて胸を張る。
まるで、別人。
けれどその“別人”は、私の婚約者様。予測不能で、騒がしくて、少々、いえ、かなり厄介そうだけれど退屈しないことだけは、確かね。
これからが、少し楽しみだわ。




