消えた記憶②
読んでいただければ、幸いです。
いつもの様に薔薇の手入れをしながら、ふとした時に昨日のアナベルを思い出す。
整った容姿に暗い影を落とす藍色の瞳と希薄な感情。されるがままで自分の意思が無い人形のようだ。
今日も薔薇は綺麗に咲いてくれている。そこで何故か心を過ったのは。
――アナベルが笑ったところを見てみたい。
何故かそう思った瞬間、一気に顔を真っ赤にするジルベルト。誰も見ていない事を確認すると赤い顔のまま小さく息を吐き出した。
「マリーさん、今日のお菓子は何?」
「おや、坊っちゃん。今日は、マドレーヌを焼きましたよ」
「本当!僕はマリーさんのマドレーヌが大好きなんだ!」
「ははは。ありがとうございます」
「…ところで、マリーさん。…甘くないお菓子って作れるかな?」
「甘くない?何でまた?」
「え…あの…そ…その、甘いものが、あまり得意ではない人に食べて貰いたいんだ」
ほんのりと頬を染めてモジモジとしているジルベルト。
ジルベルトが小さな頃から公爵家で下働きとして働いているマリー。彼女は、ジルベルトが甘いものが大好きなのをよく知っていた。だからこそ、反対のものを作って欲しいと言い尚且つ頬を染めた意味を瞬時に察した。
マリーの第六感が、告げている。
「ははん、好きな人だね」
「え!違っ!」
「顔に書いてますよ」
マリーの第六感が、ジルベルトの顔が真っ赤になった事で外れていなかった事を如実に現していた。
「どうせだったら一緒に作りますか?」
「え?僕が?」
本来なら厨房にだって貴族は入ってこないのに此処の家族は平気でやって来る。
そして、マリーの提案は普通だったら貴族の子息には提示されないものだ。彼等は雇い主である。けっして親しく接していいものではない。
「作りたい!」
両手を握り拳にして興奮気味にマリーを期待した眼差しで見詰める。
それでも、この家族は下働きだろうと庭師だろうと友人のように接してくれる。
働き手としては、こんなに良い雇い主はなかなか居ない。
淡い恋心を抱いたジルベルトの助けに少しでもなりたいとマリーは思う。願わくば、思われている彼女にもジルベルトの事を好きになって貰いたいとも思う。
◇◇◇◇◇
今日は、朝から雨だ。日課の庭園の花の手入れをしようとしたら庭師に止められた。
なので、今日は自室でのんびりと読書をしている。詩集は読んでいると眠くなるので読まない。もっぱら読んでいるのは図鑑。それも花の。
花を好きなジルベルトは自分の将来は花屋か庭師になろうと漠然と思い描いていた。
一日の中で暇を見つけては、庭園で土を弄ったり、雑草を抜いたりとしていた。それが、楽しい。
「ジルベルト様」
ノックの音で我に帰ったジルベルトが、返事をするとアナベル様と言うお客様がいらっしゃってますと言うではないか。
普通は先触れをだして、お伺いをたてるものだがジルベルトは気にしなかった。
「通してくれて大丈夫だよ」
「かしこまりました」
直ぐにまたノックの音がして、扉が開きアナベルが入ってきた。
「お久し振り」
「はい」
侍女にお茶を用意を頼むと応接間のソファへと座らせた。
今日も平常運転の彼女に雨だけど大丈夫だったかと聞いてみた。
「大丈夫です」
と必要最低限しか喋ってくれないアナベル。挫けそうになるのを堪え、また話し掛けようとした時、お茶が用意ができたと侍女が声を掛けてきた。
扉を開けて、部屋へ侍女がワゴンを押して入ってきた。
侍女は手早くお茶の用意をしたかと思ったら、直ぐに退室していった。
侍女は、去り際にサムズアップしてジルベルトの健闘を祈った。
耳まで真っ赤にさせたジルベルトは、緊張したようにお茶を淹れて、アナベルの隣に座った。
「今日も茶葉はアッサムなんだけど…」
「飲めます」
「うん」
まだ、淹れたての紅茶の表面がゆらゆらと揺れる。ジルベルトはミルクを入れて、掻き混ぜた。
「どうぞ」
アナベルに優しく話し掛けると彼女は、ミルクティーになったアッサムを一口飲んだ。
「美味しい」
思わずと言ったようにポロッと零れた言葉が嬉しくてジルベルトは満面の笑みになった。
「こっちもどうぞ」
「……」
クッキーだ。困惑気味に一つ取り、口へと運ぶ。小さな桃色の唇が開き、小さな一口を齧る。
「………」
サクサクと残りを食べていくアナベルをちょっとハムスターみたいだなと思いながら、ジルベルトは彼女の反応を逃すまいと食い入る様に見詰める。
「美味しい」
その一言で安堵の溜め息を漏らすとアナベルはいつも下げていた目線をこの時初めてジルベルトと合わせた。
「!」
目の合ったアナベルの藍色の瞳は、興味という色を読み取ったジルベルト。それは、クッキーへの興味なのか、もしくは自分への興味か判断できずにいると
「名前は…」
「名前?ん~紅茶クッキーかな?クッキーの生地に紅茶の茶葉を練り込んだんだよ。どうかな?これなら食べられる?」
少し不服そうな雰囲気だったが、なんで、そう感じたのかは分からない。ただの直感だったような気がする。
「なんで、甘いのが得意ではないと分かったんですか?」
今までで一番長く喋っている気がする。ジルベルトは感動した。
これ迄は、必要最低限しか喋ってくれなかったのに今日は、どうした事だろう。
心境の変化か、気を遣ってかは分からないが、それでも嬉しかった。
「前に来てくれた時の紅茶とチョコチップクッキーの反応かな」
「よく分かりましたね。お父様もお母様も気付かなかったんですよ」
家族はアナベルの表情が読めないのだろうか。初対面の自分でも、よく観察すれば、なんとなく分かったのに。
不思議そうに首をこてりと傾げるとアナベルも同じ様にこてりと首を傾げた。
「!」
『可愛い!!』そう思った瞬間にジルベルトの胸の奥が締め付けられた。
初めての感触に胸を押さえて耐えているとアナベルは反対の方に首を傾げた。
また胸を締め付けられ、顔を赤くするジルベルト。見られたくなくて、両手で顔を隠して、暫く悶絶しているとアナベルから先程の質問が投げ掛けられた。
「名前…」
「…もしかして、僕の?」
「はい」
無表情だが、こくんと頷いて肯定するアナベル。
どうやら先程の質問も自分の名前を聞いていたらしいと分かるとまた嬉しくなってしまった。
アナベルが、自分に興味を持ってくれた事がこんなにも嬉しいなんて思わなかった。
嬉しくてフワフワする。目の前がキラキラと輝いて見える。世界がこんなにも色鮮やかだったなんて知らなかった。
「僕はジルベルト。ジルって呼んで」
「私はアナベルです。ジル」
「アナベル……アナ、アナって呼んで良い?」
「はい」
ニコニコと笑っているとアナベルの口角が少し上がったような気がした。
「アナが笑った」
「笑ってません」
「笑ったよ!絶対!」
嬉しさのあまりジルベルトは、アナベルを抱き締めていた。抱き締めたアナベルは小さくて、柔らかくて、直ぐに折れてしまいそうな程細かった。それと、とても良い匂いがした。
思わず抱き締めてしまったが、アナベルは抵抗しなかった。
「アナ、嫌じゃない?僕に抱きつかれて」
「いいえ」
アナベルは、ジルベルトの腕の中で少し身動きすると、下からジルベルトの顔を見上げた。
「可愛いね」
「そうですか?」
「うん。アナは可愛い」
「そうですか」
アナベルは、ジルベルトの腕の中で力を抜くと彼の胸に頬を擦り付けた。
「!」
あまりにも可愛らしい仕種にジルベルトの意識は遥か彼方へと飛んでいった。
アナベルの頬がほんのりと色付いていたのをジルベルトは見逃してしまった。
読んでいただき、ありがとうございます。




