消えた記憶①
読んでいただければ、幸いです。
どこかで誰かが泣いているような気がする。
でも、誰が?それにしても怠い。それに眠い―――
暖かな日差しの中、見事な薔薇の庭園に小さな柔らかそうな亜麻色の髪がひょこひょこと薔薇の生け垣から見えたり、見えなかったりと世話しなく動く。
その微笑ましくも動き回る小さな亜麻色の髪の少年は、熱心に薔薇の手入れをしている所だった。
「今日も綺麗だね」
そう、薔薇に語り掛ける鳶色の瞳は優しく細められ、軍手をした手で薔薇の花弁をガラス細工を扱うように繊細な手つきで撫でている。
「何をしているんですか?」
鈴を転がすような可愛らしい声が掛けられた。少年は、驚いて顔を上げると声の主を探してキョロキョロを辺りを見回す。お目当ての相手は自分の直ぐ傍でじっと此方を見ていた。そこ声の主は驚く程に整った容姿の少女だった。
ハーフアップにされた腰まで伸びた金色の髪が留められている黒いリボンと一緒に風に揺れている。
半分伏せられた金の睫毛から覗く藍色の瞳は暗く光がなかった。
太陽の下にいるにも関わらず、少女の青白い肌に一瞬、ビスクドール人形かな?と思った程に生気が薄い。
「何をしているんですか?」
また、同じ質問が目の前の少女の形のいい桃色の唇から紡がれて、生きた人間なのだと少年は理解した。
「僕の日課で、薔薇の手入れをしているんだよ」
自分よりも大分小さな体躯に年下だろうと判断した少年は、なるべく穏やかに返した。
それでもじっと少年を見返す少女は無表情で困ったように少年の眉が下がる。
「ジル…ジルベルト、此処だったか」
「父上」
穏やかな声で少年を呼んだのは、彼の父親であるナルサスだった。息子と同じ亜麻色の髪が、彼の動きでふわふわと揺れる。
近付いてきたナルサスは自分の息子の近くにいる少女に気付くと驚いたように瞠目する。
「アナベル様、どうして当家へ?」
少女――アナベルの近くまで来たナルサスは彼女の前に片膝を着いて目線を同じにする。
「お父様が此方の薔薇が素晴らしいのだと言っていました」
「それで薔薇を見にいらしたんですね」
「はい」
表情を動かす事もなくナルサスの質問に答え、彼女の言葉で納得したナルサス。
ジルベルトは不思議そうに自分の父親を見ている。
宰相である父親が、丁寧に対応している事を考えた。基本的に父は敬語で喋るが、嫌味な相手や慇懃無礼な相手にも敬語は崩さないが、言葉の端々に棘や嫌味を織り混ぜる。
そんな父が目の前の少女に気遣いか或いは、謙ったような感情を向けていると感じる。
父は公爵家の当主だから他の家格では無いと思う。家格の下の人間は大抵が父に胡麻を擂り、擦り寄って宰相の地位や公爵家の当主の力に槌ろうとする者が大半だった。
勿論、そんな者ばかりでは無いと知ってはいる。
そんな者達の娘では無い事は分かる。では、彼女は何者なのか。公爵家と同等の他の公爵家か或いは、王族。
他の公爵家の子供ならば、一通り把握している。残されたのは、王族と言う事になる。
しかし…
ジルベルトが思い出したのは王族の子として会った事があるのは、あの嫌味な王子唯一人だった。
「父上、この方子は?」
「ああ、彼女はアナベル…だよ。ジルベルトと同い年だ。仲良くして…しなさい」
先程から言葉を飲み込むナルサスにやはり王族なのかも?と思ったジルベルト。
おそらく口外できないような素性か事情があるのだろうと察し、敢えて追究するのは止めた。
「はい。父上」
ナルサスに笑い掛けていると、侍女が四阿の方にお茶の準備ができたとやって来た。
軍手を脱ぐとそのままズボンの後ろのポケットへと突っ込み、アナベルの手を握る。
「アナベル、行こ」
彼女の手を引いて四阿へと案内する為に移動し出した。
ナルサスは、息子が小さな少女を強引に引っ張って行くのを苦笑混じりに見送った。
少し歩き、強引に引っ張ってしまい、痛かったかな?と思い、彼女を見るとやはり作り物めいた綺麗な顔は無表情だった。
庭園の奥に佇む四阿に着いたジルベルトはアナベルを隣に座らせる。
侍女にお茶を淹れて貰い、アナベルへと差し出した。
「どうぞ、今日はアッサムなんだけど大丈夫かな?」
「飲めます」
そう言って一口口に含んで、無表情に紅茶を流し込んだ。
ジルベルトはアナベルが何も言わなかったので、ストレートで出した。
「アッサムは濃い味わいで甘みがあって、ミルクティー向きなんだよ」
アナベルのカップに砂糖とミルクを少し入れてティースプーンで掻き混ぜた。
「美味しい?」
「…」
無言。そして、何故か飲まない。
感情の見えない藍色の瞳は相変わらず光がない。
気まずくなったのでクッキーを頬張った。サクサクと音をたてながら次々食べていく。
と、食べる手を止めて、何処を見ているのか分からない彼女は、紅茶も一口しか口にせず、クッキーすらも食べない。
ジルベルトには妹がいる。いつも妹の世話をしている彼の目には、アナベルが妹のように写っていた。
いつもの妹の世話のように彼女の口許へクッキーを差し出す。
だが、彼女は一瞥も視線を寄越さず無表情で微動だにしない。
なんか端から見たらお人形遊びをしているみたいだな、と思った。
それでも諦めず、アナベルの口に強引に捩じ込むようにすると億劫そうに小さな桃色の唇が開き、赤い小さな舌が見えた。
白くて小さな歯でクッキーを齧り、桃色の唇が閉じられ控え目に咀嚼する。
そんなアナベルの唇を食い入るように見つめていたジルベルトだったが、視線を感じ、目を向けるとアナベルと目が合った。
見詰めているのに集中しすぎて自分が彼女の方へかなり前のめりになっていたらしい。かなり近かった。
途端に首まで真っ赤にして仰け反って彼女から離れた。
藍色の瞳はやはり変わらないが、ジルベルトは薄い困惑と言う感情を読み取ったような気がした。
「どうかな?今、王都で一番人気のチョコチップクッキーなんだけど」
「……」
無言。
先程の醜態で未だに顔が赤い。アナベルが此方と視線を合わせ無いのを少し安堵してしまう。
顔の赤みが引いた頃にまた話し掛けてみた。『はい』『いいえ』としか、答えは返ってこなかった。ジルベルトの心が折れてしまいそうになる頃、アナベルに迎えが来たので、両親と一緒に見送った。
夕食を終えて、一人自室でベッドの上で寝転がって今日、知り合った。人形の様に整った容姿のアナベルの事を考えた。
太陽の下で輝く金の髪、感情の点っていない藍色の瞳、形のいい柳眉、桃色の唇それら全てが、左右対称に配置された顔のパーツは神が作った精巧な人形みたいだと思った。
何故か彼女の感情は終始希薄だった。環境によるものなのか、元からなのかは分からない。でも、彼女の両親である王と王妃の性格から愛情は溢れる程に注がれている筈だ。
だとしたから、あの王子に何かしらの原因があるのだろうか。
結論の出ない思考に耽っていると、ふと昼間の彼女の様子を思い出す。
紅茶とチョコチップクッキー。まず、紅茶はストレートで出した時は、一口飲んだ。無表情且つ無言で。
それが変わったのは、砂糖とミルクを入れてからは、いっさい手をつけなかった。
牛乳にアレルギーでもあるのだろうか?
チョコチップクッキーはどうだろう。これも強引に捩じ込んだ一口しかやはり食べなかった。
こちらは小麦粉、バター、卵、砂糖、牛乳、チョコチップ。
牛乳にアレルギーがあるのならば、食べなかった筈。
となると、砂糖?砂糖にアレルギーがあるのか?もしくは、苦手なのかな?
と考えていたら、いつの間にかそのまま寝てしまい、気付いたら朝だった。
読んでいただき、ありがとうございます。




