保育園に通う②
次の日、昨日と同じように登園したが、この日から子供は完全に保育園に預けられ、母親たちは自分の仕事先に向かい離れていった。母親の顔が見えなくなると、あちらこちらで、寂しさからだろう、子供達の泣き声がしてきた。うさぎ組でも、大泣きしている女の子がいた。女の子は、あゆみ先生に抱かれて、あやされている。おお、その手があったか。俺も泣けば、きっと抱っこしてもらえる。
『えーん、えーん、ママー、ママー、えーん。』
大粒の涙を流しながら、泣いてみた。我ながら名演技だ。すると、期待通り、あゆみ先生が近づいてきて、俺を抱いてくれた。
『ちひろちゃん、大丈夫よ。ママはすぐに迎えにくるからね。それまで先生と遊ぼうね。』
そう言いながら、ハンカチで俺の涙を拭いてくれた。俺は、あゆみ先生の胸に顔を埋めた。ふわふわで暖かくて気持ちいい。胸の中で、ゆらゆらと、揺られて、いつの間にか俺は眠ってしまった。
気がつくと、俺だけ布団に寝かされていた。横には、あゆみ先生とレイちゃんが座っていた。
『ちひろちゃん、おっきしたのね。パンダ組のお姉ちゃんが心配で見にきたのよ。良かったわね。近くに、優しいお姉ちゃんがいて。』
あゆみ先生は、俺の頭を撫でた。やばい。レイちゃんに泣いたことがバレてしまった。絶対にかすみに報告される。とりあえず、適当な言い訳を考えておこう。
今日の保育は、午前中で終わった。慣らし保育らしい。徐々に、預けられる時間が長くなっていくシステムのようだ。
俺の予想に反して、レイちゃんは、俺が泣いたことをかすみに知らせなかった。自宅に帰る途中、おれの耳元で囁いた。
『ちひろちゃん、泣いたことは秘密にしようね。だから、明日は泣かないように、頑張ろうね。』
なんて優しい子なんだろ。なんて心が綺麗なんだろう。本当に、お姉ちゃんみたいだ。
だが、レイちゃんが秘密にしてくれたのに、かすみにも彩先生にも、泣いたことがバレてしまった。保育園では、その日の出来事や報告事項が書かれた「連絡帳」というものがある。あゆみ先生は、俺が寂しくて泣いてしまったこと。泣き疲れて、眠ってしまったことなどが、書かれていたのだ。かすみが心配そうに話しかけてきた。
『ちひろちゃん、泣いたんですって。どうしたの?何かあったの?』
『うさぎ組のお友達が、泣き始めたら、私もママに会いたくなって、つい泣いてしまったの。』
心が綺麗なレイちゃんと比べ、なんて俺は卑怯なんだろう。
『ちひろちゃん、こっちにおいで。』
かすみが俺を抱きしめてくれた。嬉しかったが、罪悪感がある。やはり、嘘はダメだ。明日からは正直になろう。そう決意したのだが、明日もズルをすることになったのだ。
次の日から、午後も預けられるようになった。午前中は、うさぎ組全員で、お遊戯を練習した。猛烈に恥ずかしい。5月の連休明けに保育園の大イベント『運動会』があり、その中の出し物で、うさぎ組は、お遊戯を披露するらしい。3歳クラスなので、まだまだ赤ちゃんから、やっと幼児になったという感じの子供ばっかりである。一ヶ月間、ゆっくりと練習するのだ。周りの子供たちは、みなかわいい。ぴょこぴょこ動いて、ダンスの真似事をしている。男の子と、女の子では振り付けが違う。中でも、俺は特別のようだ。お姫様の役に選ばれたのだ。理由は、なんたって、「VIPな待遇」の一つだと思われる。あるいは、俺がひときわ可愛いのかなあ〜、なんて思ったりもしている。いずれにせよ、お姫様なのだ。スカートの裾を持って挨拶とかしないといけないのだ。これが、本当に恥ずかしい。
そんな中、ハプニングが起きた。隣の部屋から、叫び声が聞こえてきた。レイちゃんの声だ。俺は慌てて、うさぎ組の部屋を飛び出し、隣の部屋を見に行った。レイちゃんが教室の隅で、先生と一緒に立っている。そして、着替えを始めた。よく見ると、スカートが濡れている。あちゃー、お漏らししてしまったようだ。すると、俺の視線を感じたようで、目が合ってしまった。レイちゃんの気持ちを考えた。お漏らししたところを、妹に見られてしまったのだ。レイちゃんは、負けず嫌いで、プライドが高い。そのプライドを傷つけるわけにはいかない。俺が一緒に保育園に来ている理由は、レイちゃんを守ることだ。きっと、連絡帳に、お漏らしのことが書かれ、かすみに報告されるだろう。何とかしなければいけない。俺は策を考えた。
ランチの後は、お昼寝の時間がある。俺は、意図的におねしょをすることにした。妹の俺もお漏らしすれば、レイちゃんのプライドの傷も和らぐのではと考えたからだ。お昼寝の時間が終わり、俺は隣のパンダ組まで伝わるように、大声で泣いた、
『えーん、えーん、あゆみ先生、えーん、えーん。』
すぐに、あゆみ先生がやって来た。
『あらあら、ちひろちゃん、オシッコ出ちゃったのね。泣かないで、大丈夫よ。あっちで、お着替えしようか。』
あゆみ先生は優しかった。でも、お着替えさせてもらうのは、凄く恥ずかしい。濡れたパジャマを脱いで、パンツを脱いで、裸にされた。そこに、レイちゃんがやって来た。
『ちひろちゃん、お漏らししちゃったの。先生、ごめんなさい。妹は、まだ小さいから、許して下さい。』
優しくて、そして、しっかりもののお姉ちゃんだ。
『先生、これ、ちひろちゃんのオムツ。念のために、ママが持って行きなさいって、言われたの。』
『あら、レイちゃんは、優しいお姉ちゃんですね。ちひろちゃん、いいお姉ちゃんで、良かったわね。』
よし。レイちゃんが褒められた。プライドも保たれただろう。でも、何か腑に落ちない。
帰宅したら、彩先生が鬼のような顔で怒り出した。
『ちひろ、よくも私に恥をかかせましたね。おねしょで濡れたシーツと服を持帰らせるとは、許せないわ。』
俺は、わざとおねしょをしたことを伝えた。レイちゃんを守るために必要なことだったと力説した。
『言い訳は要らないわ。百歩譲って、言い訳するなら、もう少し、まともな言い訳を考えた方がいいわよ。』
俺は、彩先生が言っている意味が分からなかった。
『何、開き直ってるの。そもそも、レイちゃんは、お漏らしなんてしてません。お友達がコップの水をこぼし、それが服にかかっただけよ。』
やってしまった。俺の勘違い。そして、早とちり。これで、腑に落ちなかった理由が分かった。ただ俺はおねしょをしたという実績を残してしまっただけになった。
『毎日、おねしょされたら、たまらないわ。当分、オムツね。』
『もう、おねしょしないから、パンツにして。』
俺は、彩先生に直訴した。が、やはり無駄であった。
『ダメよ。わたくしは完璧を求めるの。』
彩先生は、連絡帳に、お昼寝時はオムツをするように記載した。ああ、参ったなあ。涙が出そうになってしまった。
『ちひろちゃん、泣かなくていいよ。レイが守るからね。』
いつの間にか、レイがそばにいた。守る立場の俺が、守られる立場になっている。もっと、しっかりしないとダメだ。
翌日から、お昼寝の前に、あゆみ先生に呼ばれるようになった。
『ちひろちゃん、おいで。お着替えしよましょうね。』
俺は、あゆみ先生に服を脱がされ、パンツも脱いで、オムツを付けてもらった。そして、パジャマに着替えさせてくれた。恥ずかしくて、恥ずかしくて、たまらなかった。そして、このことが事件を呼ぶことになった。




