閑話 ドラゴン様のアフターケア
ゴシュジンの朝は遅い。
別に怠け者だとかそういう訳では無くて、ドラゴン様は長時間の休眠を要するのだ。
なのに。恐らくは深夜だというのに。
十数分前から俺のでは無いモヤモヤとした気持ちが去来しているのはどういうことか。
ドラゴン様も悪夢にうなされてるのかとも思ったが、どうも違う。ハッキリと、モヤモヤとした感情が俺の胸に去来している。
何を悩んでいるんだ。と、このモヤモヤの製造元であるゴシュジンに言葉の一つでも掛けに行きたいところであるが、ゴシュジンは女性用の寝室と化している第二待機部屋にいることだろう。
デリカシーに欠けると言われる俺でも解る。女性の寝室に入り込むのは不味い。巣の風紀を乱す行為である。
つまり、夜が明けるまでこのモヤモヤと付き合うしか術は無いのだが、元来眠りの浅い俺がそんなものを抱いたまま眠れる筈もなく。
ちょいと散歩でもしてやろうかとミーアを起こさないように部屋の扉を開けてみれば、隣の扉が開いたのも同時であったようだ。
「……マシロ?」
月も星も無い夜に、その金色は良く目立つ。
一瞬遅れてこちらに気付いたゴシュジンはいつもの外套とドレスの姿では無く、ワンピース型の寝巻き姿。
「よぅ。奇遇だ……」
ガチャン。と。
俺を見つけるなり、防火扉のように重厚なそれが瞬く間に閉じられてしまった。
吐いた言葉は冷気に白く染められて、風の中に溶けてしまう。などと、ちょっとセンチメンタルなことを考えてしまうほどにはショックな反応だ。
しかし、胸に去来するモヤモヤは俺との遭遇に少々色を強めたようである。
どうやら、一因は俺にあるらしい。心配が止まらない。
閉じてしまった扉の前に腰掛けてみれば、暫くの間を置いて扉が動いた。
そろりそろりと開く扉から、おじおじと顔を出した我が主と目が合う。
その顔はやはり俺を見付けるなりしゅんと項垂れ、動きを止めた。
脇には何故かクッションサイズのエリザベスを抱えているが、動かないところを見るとどうやらそちらは眠っているようである。
「よぅ。酒は抜けたか?」
と、出来るだけ軽く声を掛け直してみると、ゴシュジンは口を「あ」と「う」の形に彷徨わせた後、エリザベスを顔に押し当てた。
「……何してんだ? それ?」
「マシロに……合わせる顔がありません……」
いや、エリザベスの体は透明だから、面白い感じに歪んで見えてはいるのだが。
はて、何のことであろうか。
「酒精に呑まれ醜態を曝し。竜の身として……主の身として……恥を覚えずにはいられません」
「酔ってた時のことを覚えてるのか?」
「断片的にではありますが……」
なるほど。それで悩んでいたのか。
確かにいきなり説教されたり、自作のポエムを聞かされたり、危険極まりない山で下ろされたりしたが……なんだ。そんなことか。
「俺は気にしてなんか無いぞ。酒のことなんざ責めても仕方ないだろう。ほら、嘘じゃ無い。その目でちゃんと見ろ」
「……マシロが許してくれているのは解っています。私が許せないのは、自分自身なのです」
真面目な声で謝るゴシュジン。首から上がスライム。
ちょっと笑ってしまいそうなのだが、しかし、笑ってはいけない空気である。何だこの苦行は。
「許すも許さんも。普段見られないご機嫌なゴシュジンを堪能させてもらったが」
「……ご機嫌? それはどのような?」
確かめるように返すゴシュジン。
顔の上半分を出すことに成功。
「どのようなって……抱きついてきたり、酒瓶をラッパ飲みしたり。取り上げたら意地悪だと騒いだり」
「ラッパっ……抱き付く!?」
「あと、空を飛んでる時に自作の詩を聞かせてもらったか、空の上だったし喋り方がふにゃふにゃしてたからよく聞こえなかった……って大丈夫か」
「は、はい。何も問題はありません。聞こえなかったのですね?」
「俺はアレが良かった。心を月の満ち欠けに例えて、愛がどうとか」
「聞こえているではありませんかっ!」
ゴシュジンがエリザベスを振りかぶり、直後に俺の顔にぼよんとした感触が広がった。同時に俺の首からは変な音。
「何すんだ」
「マ、マ、マシロがっ!」
やり過ぎたか。
顔を出させることには成功したが、その顔は羞恥心に赤く染まり完全に涙目である。
しかし、それも一時のみしか効果は無く、怨めしい視線はハッと我を取り戻して睫毛を伏せた。
「そんなことではありません。あまつさえ、私は顔を傷付けられて……たったそれほどの事で自分を抑えられなくなり、マシロを危険に曝してしまいました。私自らの手で……」
これはその後の暴走のことを言っているのだろう。
なら、それはちと違う。
「おいおい。その事で落ち込むってんなら、俺も怒らなきゃならんぞ?」
「はい……どうか……私を怒って下さい。でないと、また私は同じことを繰り返してしまう」
その声は俺がこの世界に来た日に聞いた声と同じだった。巣を破壊して、心底落ち込んだ時の声。
しかし、ふむ。この気落ちは少々腹立たしいな。
「そこまで言うなら怒ってやろう」
立ち上がって見せると、ゴシュジンの肩がビクリと震えた。
胸に伝わるモヤモヤが、不安気なものに変わる。
「と。その前に。まずゴシュジンの勘違いを正してやる」
「勘違い……?」
「そうだ。あの時のゴシュジンは酔ってたがな、抑えられなかった心は……ゴシュジンが怒ってたのは、挑発されたからでも、傷付けられたからでもない。覚えてないのか?」
「……はい」
「自分で言うのもこっ恥ずかしいがな、俺が殴られたからだ。俺を守りたいって気持ちだった。俺の為なんだよ」
あの時――竜の姿になる前にゴシュジンから伝わってきた心を、俺はちゃんと覚えてる。
「……ですが結局は私はマシロを傷付けて……」
「傷? 傷なんてどこにある。俺はピンピンしてる」
「しかし、それは結果論です」
「そうだ。結果的に俺は助かった。嬉しかったくらいだ。なのに、俺を守った奴はそれを誇ろうともせず恥だ何だと言いやがる。それは、俺に対する侮辱だと思わんか?」
「マシロ……あなたは……」
ゴシュジンはエリザベスを下げて、隠していた顔の上半分を出すと、白い息を一つ落として言葉を繋いだ。
「あなたは……何に怒っているのですか?」
「俺の感謝を蔑ろにするな。という話だ」
ゴシュジンはくすりとした笑みを溢したが、それが白く溶けていく前にハッと綻んだ目尻を整えた。
「ちゃんと怒って下さい」
「ちゃんと怒ってる」
睨まれても知るか。
言いはせんが、あの時ゴシュジンより先にキレてしまったのは俺の方だ。しかも一瞬で撃退された。
しかし、その俺が許せなかった理由もゴシュジンに言わせりゃ『たったそれほど』だと。
そんなモンなんだよ。
「お互い様だ」
「何の話ですか?」
「内緒だ」
むぅと拗ねた顔を見せるゴシュジンは少しの間俺を睨み続けたが、はぁとため息を一つ落とした。
「私の従者は優しすぎます」
今度こそ、目尻を綻ばせて呟いた。
息は白く染まり、風に消える。
胸のモヤモヤも同じように。
漸くいつものゴシュジンである。
「しかし今後は酒精を控えるとしましょう。まさか、竜である私があれほど弱いとは……」
「あの酒は特別製だったからな」
鬼も一杯で沈める悪酒だ。ある意味兵器である。
「ま。そのお陰で、俺は鬼に勝てた訳なんだが」
「鬼に……? 一体何があったのですか?」
「いや、実はポチ神が……って、長くなるぞ」
構いません。と、そう言うゴシュジンの目は爛々と。
六日間も寝ていたせいか、人との会話に飢えているのかもしれない。
結局、その夜はゴシュジンが倒れてから今までの経緯を語ることになった。
奴隷が増えたこと。レンタル竜が帰りたがらなかったこと。オークの元に鬼がいること。それを騙して潰したが、上着を離さなかったので脱ぎ捨ててきたことを話すとちょっと不機嫌に。
締め括りに巣の食費がとんでもないことになっていることを告げると、最後の最後でゴシュジンの顔はまたもや沈んでしまったが。
そうしている内に、景色は光に。巣は音に満たされていった。
久し振りにやって来た、いつも通りの朝である。
ちょっと瞼は重たいが。




