第五十八話 従者さんの心労
足が重い。
山暮らしで少しは鍛えられていると自負している俺にとって、竜の村との往復など生活の一部。
なのに、体力とはまた別の疲労感が体を蝕んでいる。三日三晩も御者をしていた所為であろうか。
そんな俺にはなんとも魅力的に感じる、鼻腔を擽る茶の匂い。
「オヤ。やっとお帰りデスか。待ちわびたのデス」
巣に戻ると、お茶を楽しんでいる手品師がいた。
「寂しい絵面だ。一人で茶会か」
「ミーアもいるのデスよ」
対面の背もたれから、にゃーと声がした。
他には距離を置いて睨んでいるフェイラン一人。これは毎度のことだが。
「ゴシュジン……は五日酔いだったな。狐娘はどうした?」
「ラティーシャ様の看病デスよ。ささ。お掛けになって下さいデス。ミーアと二人ではどうしても仕事の話になってしまうのデス」
仕事の話してたのか。猫と。やっぱり寂しい女じゃないか。
「折角のお誘いだが、まだ用事があるんだ。ゆっくり茶を飲んでいる暇は無い」
早急にオークの説得に赴けと、山の主からのお達しだ。
「そう仰らず。私としても伝えなければいけない事があるのデス」
俺の言葉を気に掛けず、動き始めた手はポットの中の液体をカップへと落としていく。
なんとも強引な悪魔である。そうされれば無視をする訳にもいかん。こういうのが、交渉術と言うものなのであろうか。
「で、伝えることってのは?」
「マァマァ。先ずは一杯。今日は疲労回復のハーブティーデスよ」
それは今の俺にとってありがたい気遣いだ。
膝の上へと跳んで来るミーアを受け入れながら、カップを口に運んでいると、次に一枚の封筒が卓上に差し出された。
「落ち着いた所でこれを。我が社からラティーシャ様に宛てたものデスが、ラティーシャ様はあの御様子デスので」
促されるままに封筒を開くと、そこには二枚の紙。
何故だろう。とても嫌な予感がする。
綺麗に折り畳まれたその一枚目を開き――
「借金の明細かよ。こんなモン見たくも無い……」
って、あれ、増えてる?
俺のつけている家計簿より、四十万近くも。
「……どういうことだ?」
「私が預かっていた返済金をまとめて社に支払ってきたのデス。年利五パーセントに沿って月利を合算させて頂いた金額がそちらになっておりますデス」
あったなそういえば。利子とかいうクソみたいねシステムが。それが、なるほど。月の頭の残額にそれが掛かってきたのか。
流石一億。月を跨ぐだけで四十万も増えるとは。今月の返済額の半分に近いではないか畜生。
何が疲れを取るハーブティーか。どっと疲れたぞ。
「アァ。とても良い顔デス。私はその顔を見るために商人になったのデス」
書面から目を逸らすと、恋する乙女の微笑みと言うにはあまりに悪意に満ちた、恍惚とした手品師の顔がこちらを見下ろしていた。
「……悪魔め」
「悪魔も大変なのデスよ?」
「大変なのはこっちだ変態悪魔」
「ヤレヤレ。矛先はいつも現場の者に向くものデス。私も社ではラティーシャ様の擁護に必死なのデス」
「なら、商社に利子をまけるように言ってくれ。これじゃあ完済前に俺の寿命が尽きちまう」
「ご心配なら新しい肉体に魂を移されてはどうデス? 食事要らず、睡眠要らず。半永久的に使える肉体が今ならたったの……」
「囁くな。俺は人間を辞める気は無い」
鬱憤が溜まるままぶつけてやると、手品師は肩を竦めた。
もう一枚の紙は手紙のようで、チラリと見たところに吸血姫と名乗る人物から、ゴシュジンのご健勝とご発展をお祈りしますとの文言であった。
これは、完全にゴシュジン宛である。俺が見ていいものでも無かろう。
「では、読み終えた所で。取れ立てホヤホヤの新情報をば」
そう前置きして、ニヤニヤ顔を崩さずに。
「騎士団の進発が七日後に決まったのデス」
吐き出された言葉は、やはり耳に入れたく無い情報だった。
「確かか?」
「予定であり決定デスね。近々王国から発表もあると思われますデス」
どこから仕入れた情報かは知らんが、手品師の口振りは間違いないと言いたげである。
遥か遠い完済の悩みよりはこちらの方が現実的。
運命という輩はどうあっても俺を疲れさせてやりたいようだ。自然と大きな溜め息が溢れてしまう。
「数は騎士が変わらず五百。後は追従する冒険者の数によりけりデス」
五百。
戦える者がおよそ百のこちらとしては、一人が五倍働けば良いという話でも無かろう。
敵には先日の騎士少女レベルの者もいる上に、冒険者の相手までせねばならん。
それに、いつもはこちらが数で押す戦術だが、今回ばかりはそうもいくまい。
「対策は万全デスか? 良ければ我が社の侵入者撃退グッズなど購入されてみては?」
一言目には厄介事。二言目には買えと。
どうあっても商売に繋げようとするコイツの姿勢は見習うべきなのかもしれない……いや、待てよ。
「……ふむん」
「マシロ様?」
現在進行形で瓦礫の撤去を進めている為、毎日微妙に巣の迷宮部は広がっている。
それは、幾度も襲撃してきた冒険者達も気付いているだろう。
内部は地図が出回るほど知れ渡ってしまっているが、それを逆に利用すれば……。
「手品師。一つ商品の説明を受けたいのだが」
これは妙手になり得るかもしれん。
手品師の説明を聞いてみても、それは実現可能であった。
「なら、設置場所は何処が良い? 出来るだけ安価に済むようにだ」
その後試行錯誤を繰り返す内、気付けば夕飯の香りが漂っていた。
結局オークの元へと赴くことは無く、策を煮詰めることとなってしまったのである。
◇◇◇◇◇
この山には二つの洞穴がある。
一つは百年前に魔王が造った土の四天王の巣穴であり、現在俺達の棲み家。
もう一つは人が掘った坑道である。
当時希少であった摩擦扮なる物質が採れるということで炭坑夫がごった返し、あっという間に採り尽くしては穴だけ残して誰も訪れなくなった場所だそうな。
それがうん百年前の話。そして今の話をすると、その廃坑はオークの巣となっている。
「どうだ。巣の住み心地は?」
そこへと向かう道すがら。
一人で行くのは心細かったために着いてきてもらったノールの長に問い掛けると、彼は周囲の部下に鼻を鳴らしながら返した。
「悪くは無いが、狩りをせずとも飯を与えられては皆の体が鈍ってしまう。また、その飯が美味いから困りものだ」
最初はカルラに頼んでみたのだが「あの者らは雌と見ると厄介事しか起こしません。私が同行することは、お話しの邪魔になってしまうかと」とのことである。
「なるほど。体が鈍るか」
俺とゴシュジンのいない間巣を取り仕切ってくれていたのは狐娘とフェイランだが、特に仕事は与えていなかったらしい。
動かなければ、鈍るのは当然だろう。何か考えておかねばならんか。
「あとはそうだな。山の他部族……特にリザードマンと巣を同じくするとは、不思議な感覚ではある」
コイツらとリザード達は仲があまり宜しくない。
持っている気性は似ていると思うのだが、同族嫌悪というヤツだろうか。
「ところで、竜の姿をまだ拝んでいないのだが、いつになったら姿を見せるのだ?」
「今は体調不良だ。暫く待てば拝めるさ」
「体調不良? ドラゴンがか?」
とりとめの無い話をしながら進むと、長方形にくり貫いてぽっかりと空いた穴があった。
「……着いたぞ」
重々しく言う長。
中を伺わせない暗闇は俺達の巣と同じであるが、こちらは入り口に人の手を感じる。
「勝手に入って良いのか?」
「構わんだろう。咎める番がおらんのだ」
面白い考え方だ。魔物の礼儀では入られたくなければ番人を置けということか。
中に入ってみると……とても臭い。
ノール達などは地獄に迷い込んだかのように、入った瞬間から嘔吐き始めている。
「オ、オークの長よッ! 竜の従者と我らノールが会いに来たぞ! 姿を見せよ」
奥の方へとそう叫ぶと、長はさっと出ていってしまった。
はぁはぁと息を荒くするその姿は満身創痍である。
「鼻の奥が腐ったようだ。臭う奴らだとは思っていたが、ここまでとは……」
人の俺でさえ鼻が曲がりそうなのだ。
人よりよほど鼻の良いノール族にはよほどキツかったと見える。
「ここで待っておれば、いずれ出てくるだろう。暫し時を潰すとしよう」
暗に「もう入りたくない」と告げられた。
オークの生活臭は完全にノール族の心を折ってしまったようである。
それにしても、オークが巣に来てくれなくて助かった。
こんな匂いが自分の生活スペースで立ち込め始めたら、ノールでなくとも心が折れてしまいかねん。
言葉通りに暫く待てば、のそのそと、ぞろぞろと。重たげに入り口から現れる緑色の肉塊達。
どれもが飛び出た腹に禿げた頭。
そこに在るだけで周囲を威圧する巨体を持ち、逆さに生えた牙は人の持つ恐れを助長させる。
「何用だノールの。それに……」
中でも巨体を重たげに運ぶオークが前に出ると、豚鼻をブゴォと鳴らして、こちらを一瞥。
鼻をこちらにひくつかせながら。
「不味そうな匂いだが……態々喰われにでも来たのか」
匂いに関してお前らに言われる筋合いは無い。たまには巣の掃除をしろ。
「あんたが長か? 俺が竜の従者なんだが、ちょいと話を聞いてもらいたい」
「知っているとも。竜が選んだだけの人間が、俺達に何の話をしに来た」
オークの長が人間を強調して言った。
やはり、人間を恨んでいるというポチ神の話は本当らしい。
俺には手品師のような交渉術も、ゴシュジンのような従えさせるカリスマも無い。
ともなれば、率直に述べるまでである。
「オークが人里を襲うと聞いてな。止めに来た」
「竜の従者と名乗りながら、それが話か」
嘲けるように。
「やはり人間は人間が心配か。人間の話ならば、聞く耳など要らんな。殺される前にさっさと帰れ」
「お前らが人を襲えば、俺達にまで迷惑が掛かるんだよ。お前達だって少なくない被害を浴びるはずだ」
「被害? 俺達が人間ごときに?」
周囲のオーク達が腹を抱え、笑い声らしきものを挙げる。言っては何だがそれは醜悪な様で、不快感をもたらすものだった。
「ふん。貴様らは人間の力を知らんからそう言えるのだ」
その声はピタリとオークの笑いを止めた。
止めたのは、お前が言うかと言いたくなるノールの長である。彼は続けて。
「マシロが誰の心配をしているのかもわからんのか。人間が貴様らより弱いとは勘違いも甚だしいぞ」
「人間の力だと? 俺達には上位種の助勢もいるのだ。人間ごときに遅れを取る筈がない」
「助っ人だと?」
「おうとも」
オークの長が顎で手下に合図をすると、取り巻きの一匹が前に出る。
その両手に抱えている者。
大きな鼻提灯をつくる赤い女の人型。
「オーガ族のイッカク様だ。おい、お起こししろ」
オークがその体を揺さぶると、イッカクと呼ばれた女の魔物が煩わしそうに足を一振り。
それが抱えていたオークの顎を撃ち抜き、落下音が二つ。オークと赤い女の魔物が同時に地に落ちた。
オーク達があんぐりと口を開いている。これは予定調和では無いらしい。
しかし、漸く目が覚めたらしい赤い魔物は地面の上で体を起こし、不機嫌そうに口を開いた。
「誰じゃあ。ウチを起こしたんはぁ?」
ギラリ光る鋭い眼光に、オーク達が揃ってぶるぶると首を振り、否定を表現する。
赤い魔物。
露出の多い獣の毛皮らしきものを身に纏い、頭の一本角が空を指す。俺の国では馴染みの深いその姿。
赤鬼がそこにいた。




