第五十六話 老騎士の憂い
ヴェルキア王都。
嘗ての繁栄期に建てられた、今となっては狭小な国土に不釣り合いな巨大都市。
その中でも一際荘厳な白煉瓦の建物――ヴェルキア大聖堂の治療室を訪ねたオルドは、そこで思いがけない背中に出会った。
「珍しい客が来とるのぅ」
寝台に横たわるアリアを見下ろしていたフランツは、その声にゆっくりと振り向くと、微笑みと共に口を開く。
「やぁ。オルド隊長。貴方も来られたのですね」
その柔らかな口調に、オルドは僅かに眉を吊り上げる。
挙動不審な何かに追い詰められているかのような男。
それが、オルドの抱くフランツへの印象だった。
だが、目の前の男はどうだろう。
「何故お前さんがこの部屋にいる?」
「討伐隊副隊長を任される者が部隊長の彼女の体を心配することが、それほど不思議ですか?」
オルドに視線を合わせ、自信に溢れてものを言う。
この男はこのような男だったろうか? オルドはその様に当惑を覚えた。
「人の心配をする前に、己の身を案じるのが先じゃあ無いかい? お前さんがどう喚こうと、ヴェルキアは今月の内にドラゴン討伐に乗り出すぞ」
「あ。それですが。進発の日が決まりましたよ。アリアさんの回復を考えて一週間後です」
「……なんじゃと?」
「女王陛下から直々に急かされましてね。勝手とは思いますが、既に返事をしてしまいました。追って沙汰が下るとは思いますが、オルド隊長もそのつもりで準備をお願いします」
隊長である自分を差し置いて……とは、オルドは考えなかった。
これまで何だかんだと理由を付けては日程を先延ばしにしていたフランツが、どういうことか。今や率先して討伐に乗り出しているのだ。
オルドは何よりもその事実に、心に引っ掛かるものを感じた。
「その為にも彼女には傷を治してもらい、この戦いに参じてもらわねば」
心中にて舌打ち一つ。
その言葉は、負傷を理由にしてアリアを置いては行けないかと考えていたオルドの考えを真っ正面から否定するものだったのだ。
「ほぅ。竜撃退の英雄殿も他人の力を頼りにしていたとはのぅ」
「英雄と言うのならアリアさんもそうでしょう。彼女を見付けた場所には、竜の鱗と血の跡があったと聞きました。竜と戦い生きて帰った。英雄の条件ならば、彼女も十分に満たしていると思いますよ」
「……英雄はお前さん一人で足りんか?」
オルドの放つ眼力を涼やかに受け流すフランツは、アリアへと視線を落とす。
その瞳は熱も冷気も無く。温度を感じさせない無機質なものだった。
「多いに越したことは無いでしょう。物事には役割というものがあります。彼女はヴェルキアを勝利に導く女神です」
言い終えるとフランツは一礼と共にオルドの横を抜けながら、再び口を開いた。
「そして、私は勝利へと導かれる者。私と彼女がいれば、必ずやヴェルキアは勝利を手にできます」
その声に威風こそ無いものの、堂々と。
妖魔にでも憑かれたか? そう思わせるほどに纏う空気を変えたフランツに、オルドは視線を向けず、言葉だけで問い掛ける。
「その自信は何処から来とるんじゃ? 相手はドラゴンじゃぞ?」
扉の開く音と共にフランツが返した。
「黄金竜は身中の毒に殺されます」
「……何?」
振り返った時、既にフランツの姿は無かった。
オルドは消えた姿を舌打ちに追わせ、無機質な扉へと視線を注ぐ。
フランツの言葉通りなら竜を討つのは毒だと。
だが、毒など竜に効く筈も無い。
「キナ臭い男じゃと思っとったが、あの男。ますます臭くなっとるわ」
「……うん。前の方が……マシだっ……た」
不意に聞こえた姿の見えない者の声。
しかし、オルドは戸惑った様子も無く口を開く。
「また忍びこんどるのか」
コツンと天井が鳴った。
なるほど。今日は天井裏かと納得しながら、オルドは置かれている椅子を足で寄せるとそこに腰掛ける。
「そんなに心配せんでも、アリアはただの魔力欠乏症じゃと医者が言っとるじゃろ」
「でも……三日も目を覚まさない……。それに……隊長も毎日……来て……る」
「お前さんと違って、わしを止める者はおらんでな。お前さんは職業柄不味いじゃろ。またあの娘っ子が……」
不意に、ダンッと叩くように扉が開いた。
オルドが言葉半ばに目を向けると、青のベールを被った清貧な僧服に身を包んだ女が立っていた。
「失礼致しますの」
柔和な微笑みを従えてそう言う彼女の足は、既に部屋の境を跨いでいる。
その様に、オルドが辟易とした顔を浮かべた。
彼女の態度にでは無い。
その両手に抱えた戦棍にである。
「う~んと。……そこですッ!」
鉛色の柄頭が天井を撃ち破ると、人影がドサリと落ちてきた。
獣の俊敏さで体勢を直すその人影――クロエを悠々と見下ろす女は、溜め息を従えて頬に手の平を添える。
「あらあらぁ。そこにおられますのはクロエ様でなくて? あれほど来てはならないと言いましたのに」
「……シスター。また会った……ね」
手をひらひらとさせるクロエの挨拶に、シスターと呼ばれた女はにこりと笑いながら軽々得物を振り上げた。
「待っ……て。私は……アリアのお見舞いに……」
だが。答えるは頭部を狙う容赦無い戦棍の一撃。
寸でのところでクロエに躱されたその重撃は、床を砕いて室内に石の匂いを広げる。
「申し訳ありません。これが、私のお仕事なのです」
にっこりと。続けざまに戦棍を薙ぎながら。
ここは聖堂。神を祀る場所。
神に背く暗黒騎士たるクロエが入ることは禁じられている。
そして、ここはヴェルキア。祀る神は戦神。授かるは戦乙女。
その戦神に仕える僧は、僧侶であり戦士。
ヴェルキアの修道士は、僧でありながら兵なのである。
「もぅ。クロエ様ったら何度言っても聞いて下さらないのですもの」
穏やかに怒る器用な僧兵が、じりじりとクロエを部屋の隅へ追い詰める。
立ち入りを禁じられたクロエの訪問は侵入。故に、彼女の適当な対応は応対では無く撃退となる。
「セラッ! 外でやらんかぃ! 仮にも病室が塵まみれになるわ!」
「あら?」
茅の外に置かれたオルドが怒鳴り、セラが一瞬だけ意識を外した。
「……隙あり」
その刹那。一瞬の出来事。
セラの脇を抜けたクロエが、勢い良く窓を破って外へと飛び出し姿を消す。
「あらあらまぁまぁ。お待ちになって。今日こそ折檻を受けて頂かないと、私が大司教に怒られてしまいますの」
のんびりとした声にガラス片を踏み割る音を交えさせるシスターセラは、躊躇無くその後を追って飛び出した。
いや、飛び降りたと言った方が正しいのかもしれない。
「……七階じゃぞここは」
散々に荒れた部屋の中でオルドが呟くと、風通しの良くなった室内を寒気が流れる。
そこに、小さな咳が響いた。
オルドが慌てて視線を落とすと、咳の主と視線が合わさる。
「いやに埃っぽいな」
青い瞳を平素に見せるアリアが、視線だけを真っ直ぐにオルドを覗いていた。
「埃っぽいなじゃ……なかろうが」
その言葉の尻には、詰まっていた喉が開いたかのような、深い深い溜め息が続く。
それは密かに抱いていた心労からのものだったが、それがアリアに解る筈も無く、彼女に数度の瞬きを促した。
「お前さんは三日も寝とったんじゃぞ。その所為でクロエとセラが毎日……」
「あぁ。毎日争っていたな」
「……起きとったのか?」
「意識だけで体は動かなかったがな。オルド第二騎士長。あなたにも随分と心配をかけたようだ」
言いながら、三つ積まれた果物篭を見るアリアに、オルドは居心地悪そうにそっぽを向いた。
その反応にアリアは、親しい者にだけ解るだけの小さな表情の綻びを見せると、再び瞳を閉じる。
思い浮かぶは竜との戦い。
全力を尽くし、そして。
「そうだな。私は負けた」
見開いた青い瞳は、やはり真っ直ぐに迷い無く。
そして、今まで眠っていたことが嘘のように軽やかに身を起こすと、己の両掌を確かめるように開閉させ始めた。
「不思議だ。三日で治る傷ではなかったと思うが」
「覚えとらんのか? お前さんは竜の血を飲んどると聞いたぞ」
「私が、竜の血を?」
アリアの顔には驚嘆の色だけが浮かんでいる。
それは、戦闘中。アリアが浴びたドラゴンの血液を無意識的に。若しくは、本能的に口にしたものなのだから、その反応は当然と言える。
「そうか。ならば、一週間後の討伐で私が隊を率いることに、何も憂いは無いという訳だな」
「それも聞いとったんか……。大人しく寝とりゃ良いモンを……」
鬱陶しそうに呟くオルドに目もくれず、アリアはすらりと虚空に手を伸ばす。
「ブリューナク」
名を呼ぶは己の愛槍。
竜を傷付け得る神の槍。
「……ブリューナク?」
しかし、その声は数秒の静寂を招くのみであり、彼女の思い描いていた結果とは違ったようだ。
その手は、虚空を掴むのみである。
「あぁ、やっぱりか。アリアよぅ。憂いってんなら一つあったわ」
「……やっぱりとはどういうことだ? 私の槍は何処へやった?」
オルドが頭をボリボリと掻き毟りながら、バツが悪そうに告げる。
「お前さんの槍じゃがの。何処にも見当たらんらしいわ」
「は?」
「この三日、瓦礫を掘り起こして散々っぱら捜索しとるが……。お前さんにも解らんなら、いよいよ見付かる気がせんのぅ」
そこに告げられたのは、アリアにとって信じがたい事実。
相棒の行方不明を彼女の頭が受け入れるのは今暫く時が掛かり、その時、彼女は久方振りにその眼を曇らしたのであった。
―To be continued―




