第三十三話 お母様の一声
待機部屋の扉を開くと、夜という世界は終わり朝が始まっていた。希望の朝では無く、絶望の朝なのだが。
しぼむ瞼を開き、休もうとする眼に朝日を取り込む。
鈍った感覚が光に刺激され、溶けてしまいそうな錯覚を覚える。
「全く……残業代を頂かないと割りに合わないデス」
さんさんと注ぐ光に鬱陶しそうに目を細めた手品師が、横でむにゃむにゃと愚痴った。
「悪かったな。付き合わせて」
「本当デスよ。この埋め合わせに、色々と商品を買ってもらうデス」
「……それは、また金がある時な」
手品師が肩をすくめると、その視界の奥で何やら抱えたままこちらをじっと眺めているフェイランを見付ける。
いつもなら姿を見かけた途端に飼い犬の如く駆け寄ってくるのだが、今日に限ってこちらへ近付く足取りはゆっくりと確かめるようである。
横に手品師がいるから……という訳でも無さそうだ。
どうしたのかと疑問を浮かべていると、フェイランは窺うように俺の顔を見上げ、訝しげに口を開いた。
「えっと……もしかして、マシロさんですか?」
何だその質問は?
「もしかしなくても俺だ」
「あの……髭が……それに、髪の毛も」
髭? と顎を撫でて思い出した。
いつものチクチクとした感触が無い。
「あぁ。手品師に剃ってもらったんだ。髪も切ってもらった」
昨日お母様に言われたからな。
助言を蔑ろにしたと氷漬けにされてはかなわない。
「メフィストに!?」
キッと手品師を睨むフェイラン。
手品師はその視線に気付くと、腫れぼったい眼を歪ませていやらしい笑みをつくる。何か企んでいる顔である。ロクでも無い事を。
「マシロさん! こんな奴に身嗜みを任せるなんでダメです! 次からはボクに言ってください!」
「断る。お前に任せたら毛じゃ無い所まで切られそうだ」
「うっ……」
痛いところを疲れたように身を引かせるフェイラン。
否定出来ないのか。
「それに、この巣には鏡も剃刀も整髪料も無いだろうが」
「でも、鋏ならあります!」
「それ調理用な。狐娘が魚とか切るのに使ってるヤツ」
あれは切れ味より、力で切る物だ。そんな物で髪の毛を切られてはたまったものでは無い。
手品師はその点、理容に関する道具を一頻り持っていた。
なんでも「一流の商人たるものこの程度は当然デス」とか。コイツを見ていると、商人って何なのかわからなくなる。
「鏡が無いから自分ではまだ見ていないんだが、見苦しくは無いか?」
「……前の方が男らしくて素敵です。ボサボサ頭の不精髭のマシロさんの方が……」
唇を尖らせてぶつぶつと拗ねるフェイラン。
よほど手品師に任せたのが気に食わないらしい。
「参号。野暮な言葉は控えるのデス。折角、マシロ様が私に体を任せてくれた一夜だったのデスから」
なんだその妙な言い回しは。そう呟こうとして、腰に掛かった体重に気を取られる。
脇の下に大きなシルクハット。手品師が抱き着いていた。
身長差のせいで、回している手は腰にしがみつくようになっているが。
「なっ!? よっ!? どっ!?」
反射的にそれを引き剥がしている間に、何を言っているかわからないが混乱しているのはわかるフェイランの三音発声。
こちらを指差して餌を待つ鯉みたいに口を開閉させているフェイランの反応に、手品師は満足そうに目を細めていた。
なるほど、さっきの悪企み顔はこういう事かと息を落とす。
「アホ。手品師の言葉を真に受けるな。コイツには、一夜漬けで接客対応のマナーを教えて貰ってただけだ」
お母様に殺されない為に徹夜でな。
「そ、そうですよね。よりによってメフィストと……」
「オヤオヤ。男が女と共に夜を越し、身嗜みも任せたというのに何も無かったと信じるなど……参号は初々しい事デス」
「……え?」
フェイランが声を漏らしたと同時に、ガチャンと陶器の割れる音が響いた。
それに気付いていないのか今度はフェイランが真っ正面から俺の腹へと飛び込み、手を回す。
手品師より更に小さいせいで、その手も一段下。子供に良く抱きつかれる朝である。
「……嘘だ! 嘘ですよねっ?」
俺の顔を見上げて悲壮な声で問い掛けてくるフェイラン。顔は札に隠れているにも関わらず、目に見える程の狼狽ぶり。
そのテンションに再び息を落とす。俺は徹夜明けなのだ。勘弁して頂きたい。
「真に受けるなと言っとるだろうに。髪を触らせる事にそんな意味があるのなら散髪屋は閑古鳥だ。手品師も煽るな」
辟易しながらそう告げるも、手品師はニヤニヤと笑うだけだった。絶対懲りてないな。コイツ。
「それより良いのか? 何か知らんが、壊れたぞ?」
「え?」
そう言って顎で指してやる。そこには、フェイランの抱えていた植木鉢の割れた跡。
地面に広がる黒の濃い土と、球根から生えた一本の芽。何の芽だろうか?
「……あ……あぁっ!?」
言われて初めてそれに気付いたのか、フェイランはバッと体を離して植木鉢の破片の前で四つん這いになると、その土を手で集め出した。
「おい、破片が刺さるぞ」
「ゴメン! ゴメン! ランラン!」
ランラン? 何処かで聞いた覚えがあるが、何だったろうか。
「……まー」
その声で思い出す。ランラン。その楽しげな名を。
昨晩フェイランと熱戦を繰り広げていたプラントゾンビ。
接客を学ばなければいけないので放ったらかしていたが、あの巨人がこの芽になった?
何がどうなったらこうなるのだろうか。
「ランラン! 大丈夫?」
「まぅー」
芽は意思があるかのようにウネウネと芽を伸ばし、フェイランの頬を撫でている。
本当に知性を持ったのか? 今の所、ボキャブラリーに「ぅ」が増えている事しかわからないが。にしても、コイツどうやっと発声しているのか謎である。
……まぁ、いいや。後日確かめよう。今はこの疲れる奴等に関わる気力が無い。
力は出来るだけ温存しておきたい。なんせ、今日の母竜参観ツアーには俺の命がかかっているのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お母様のご案内。と、言っても、この巣で見るものなど限られている。
巣の内部に作られた大部屋で暮らすリザードマン。
世にも珍しいビッグスライム。エリザベス。
「防衛力としてはこのくらいでしょうか」
決闘の間に戻りそう締め括ると、終始何かを堪えるような顔でクッション兼乗り物と化したエリザベスにお嬢様座りをしていたお母様は、よよよとしなをつくって目元を押さえた。
「部屋を見た時から予想はしていたけど……あぁ、レティ。貴方はとても苦労しているのね」
本気の涙である。
部屋とは昨晩泊まった岩を削っただけの第二待機部屋の事か。
確かに、ゴシュジンの前の巣が立派なお城だった事を鑑みると、所々瓦礫に通路を塞がれている月額一万Gのこの洞窟はみすぼらしいものだろう。
思いの外俺への当たりは強く無いものの、こう落胆されてはいたたまれない。
しかし、まだである。肝心な面子を紹介していない。
俺は主要人二名をこちらに呼び寄せる。
「悲観するのは待ってください。この娘こそ我が巣の料理人。きつね……クゥです。その腕前は超一流。宮廷料理人も唸るほど」
言ってみてから、言い回しがちょっと手品師っぽいなと思った。
昨晩一緒にいたせいか。
「マシロ様……今……名前を……」
狐娘が胸の前で手を合わせてなにやら熱っぽく呟いたが、今は構ってやる余裕は無い。
「あら。今朝のは貴方の料理だったのね。とても美味しかったわ」
お母様が目元を拭いながら、狐娘に笑みをつくる。
良し。一先ず好感触。狐娘の料理はゴシュジンが涙を流すほど。お母様も我が巣の料理には良い印象を持っていたのだろう。
俺が最後にこの二人を紹介したのは、先に不備を見せてハードルを下げる為。
短所を先に出す事で、長所をより良く見せる心理トリック。映画版ジャイアンの法則である。
この巣は防衛力も設備もまだまだだが、飯は最高。情けないが、それが一番の売りだ。
そして、次。巣の目玉。フェイランだ。
「その横に控えますは、かつての魔王の右腕。土の四天王。生と死を併せ持つ原一個体。不死王フェイランです」
今や巣のマスコットであるのだが。
フェイランは肩書きだけは立派だ。それを聞いて、何か凄そうだという先入観を与える心理トリック。ただの虎仮威である。
「フェイランは巣の中に五十の使い魔を放ち侵入者を監視し、先日お見せした魔物の品種改良をもこなしながら、決闘の間の番人までこなしています」
「まぁまぁ。フェイランさんは優秀なのね」
お母様が胸の前で手を合わせて綻んだ。
嘘では無い。先日使い魔もフェイランもお父上にのされたばかりで、件の魔物は偶然生まれた言う事を聞かない困り物であったが。
「えへへ」
フェイランが頬を緩ませて、照れ照れと頭を掻く。
威厳のある風に振る舞えと言っておいたのに……後でお仕置きだな。
「そう……レティは恵まれていないばかりでは無いのね。こんな優れた部下の方もいるんですもの」
反応は上々のようで、お母様はうんうんと頷きながら現状を呑み込んでいるようであった。
昨晩必死に考えた口上のお陰で、どうやら好感触な様子。俺は心の中でほっと胸を撫でた。
「それで、貴方は何をなさっているのかしら?」
しかし、それは束の間。その穏やかな瞳は俺を見据えていた。
俺……だと? しまった。自分の紹介を考えていなかった。
「俺は……」
そこまで口にして、止まってしまう。
俺は、この巣で何をしている?
主に金稼ぎ。出稼ぎをこなして。弁当を売って。保険料を徴収している。
それは、俺である必要があるのか?
出稼ぎなど、不馴れな俺より腕に覚えのある冒険者の方が稼げるだろう。弁当は狐娘が作っている物だ。保険料も狐娘に任せられん事も無いし、商才に長けた者ならもっと上手くやるだろう。
言われて初めて気付く。俺は、この巣に必要な人材なのか?




