【第9話】エスターの呪い
「ねぇ、あんた、寮の居心地悪いだろ?」
唐突なエスター様の言葉に、私は少し戸惑いながら答えた。
「い、いえ。そんなことはないです。みなさま親切にしてくださってます」
「取り繕わなくていいよ。みんなあんたを追い出そうとしてるのは事実だ。最近はちょっとあんたを認めるやつらも出てきたみたいだけどね。特にトビーだ。あんたトビーに姫様って呼ばれてるだろう?うまく取り入ったね」
「そう呼ぶのはやめてほしいです、とお願いしてるのですが……」
「でもどうやらあんた、思ってた感じじゃなさそうだね。実はあんたの前に十人以上寮母やお手伝いとして、若い女がきたんだよ。そいつら全員、団長に色目を使って尻を追っかけるか、高い給料に釣られた連中で、仕事もろくすっぽしなかった。それで若い寮母ってだけでみんな警戒してるんだよ」
「そうだったんですね……」
まさかそんな背景があったとは。私に対する冷たい態度の理由が少しだけわかった気がした。
「それに今回は団長がスカウトしてきたって話だ。みんな団長が、あんたの可愛らしい顔と、その胸に騙されたと思ってて、裏では悪女認定されてるぞ」
エスター様が、両手で胸をゆさゆさ揺らす仕草をする。
「あ、悪女ですかっ?!」
思わず声を上げてしまった。私が寮母の仕事を受けた理由の一つに、レイモンド様のそばにいられるかもと思ったことは、絶対に秘密にしておこう。
少しの沈黙の後、私は先ほどから気になっていたことを尋ねてみた。
「先程の貴族の男性は、お知り合いですか?」
「まあね。あいつはワイアットっていう子爵家の令息で、私の元婚約者候補さ。青の騎士団で部隊長をやってる男だよ。私は男爵家の三女でね。学園を出た後に婚約させられそうになったんだけど、あいつが嫌で騎士団に入ったんだ。私が白に入れるわけがないし、青に入ればあいつがいるかもしれない。結局消去法で黒の騎士団に逃げてきたってわけさ」
「そうだったんですか」
「で、あんたはなんで寮母に?」
今度はエスター様が私に問いかけてきた。
「あ、……私は歌手になりたくて、歌のレッスン代のためにお金を貯めているんです。ここのお仕事はとてもお給料がよかったので……。結局私も今までのお金目当ての女性たちと一緒ですね」
少し自嘲気味に笑うと、エスター様は首を横に振った。
「そんなことないよ。あんたはちゃんと仕事をしてるじゃないか。それも嫌がらせにも負けずに。仕事に対する対価を受け取ることは何も間違っていないし、私は結構根性あるなって思ってたんだよ」
「そう言っていただけると少し気が楽になります」
私の言葉に、エスター様はふっと少しだけ寂しそうな表情を見せた。
「逃げて入った黒の騎士団だったけど、ここは横の結束が強くてね。今ではかけがえのない場所になっちまったよ。……でも、それももう終わりかもしれない」
「辞めるつもりなんですか?」
「辞めたくはないさ。でも辞めざるをえない状況になっちまった。……あんた、『呪い』って知ってるか?」
「たしか、魔獣が使う魔法みたいなやつですよね」
「まあそんなとこだな。『呪い』は『穢れ』とは少し違う。穢れは瘴気によって、肉体や精神に不調をもたらすものだ。呪いは肉体の一部が常に『状態異常』にかかってしまうことだ」
「状態異常……ですか」
「以前戦った魔獣から石化の状態異常をくらってしまった。見た目が石になるわけじゃないが、右手親指は硬直して動かない。利き手の親指が動かないなんて、アーチャー(弓使い)としては致命的だ。呪いは穢れ以上に祓うのが難しい。今年中に元に戻らなければ、団を去るさ。迷惑かけたくないからね」
「そうなんですね……」
エスター様にとって、それはどれほど辛いことなのだろうか。かける言葉が見つからない私に、エスター様は少し照れくさそうに付け加えた。
「まあ、正直に言うと、そばにいたい人が騎士団にいるから辞めたくないってのが本音だけどね」
「それはバーナード様のことですか?」
ガタンッ!
エスター様が勢いよく立ち上がり、椅子が音を立てた。
「あ、あんた!誰からそれを!」
「ふふっ、見ていればわかりますよ。……好きな人のそばにいたい……素敵ですね」
その時、私の頭にある考えがよぎった。
私は本当にトビー様の穢れを祓ったのだろうか?
もし私の歌に穢れだけでなく、呪いも祓う力があるとしたら……。
「あの……今から私に少しお時間をいただけますか?」
私の真剣な顔に、エスター様は真っ直ぐ向き直った。
「なんか大事な話のようだね。さっきのお礼だ、付き合うよ」
私たちは、私がいつも歌の練習をしている河原へと移動した。
――
「まだまだ暑いけど、水辺は涼しくていいね。で、ここで何しようってんだい?」
河原を吹き抜ける風に赤い髪を揺らしながら、エスター様が尋ねてきた。
「私、歌手を目指しているって言いましたよね。エスター様に歌を送らせてください」
「かまわないけど……ここじゃなくてもよかったんじゃない?」
軽く首をかしげるエスター様に一歩、歩み寄り、私は片思いが実るストーリーの曲『花摘み娘のうた』を歌いはじめた。
エスター様の呪いが解けますように。
バーナード様への思いが実りますように。
私は強く願いをこめて歌った。
その時、私の体から淡い光が溢れ出した。
「こ、これは?!」
驚くエスター様の声も気にせず、私は祈るように歌い続けた。私とエスター様の体が、温かく優しい光にすっぽりと包まれる。
「……なんて温かな光」
やがて歌い終わると、光はスッと宙に溶けて消えていった。
私の顔をポカンと眺めるエスター様に、私は静かに問いかけた。
「あんた、今のはいったい……?」
「エスター様、親指は動きますか?」
「え?」
エスター様は自分の右手に視線を落とし、何度も閉じたり開いたりを繰り返した。
「動く……動くよ!あんた一体何をしたのさ!」
驚愕と歓喜の入り混じった声が響く。
「よかった……呪いも祓えたんだ。……先日トビー様が穢れを受けた時に、私の歌で祓えた気がしたんです。だからエスター様の呪いも、もしかしたらって思って……」
「あんた、……聖女だったのか」
「聖女……?」
思いがけない言葉に、私は首を傾げた。
「自覚がないのかい?聖女ってのは癒しの魔導師の中でもさらに特別な力を持つ者のことだ。男なら聖者、女なら聖女と呼ばれている。西の『穢れの森』に結界を張っているのも聖者だ。……そうか、団長は自分の呪いを解くために、あんたを連れてきたのか」
「え!?レイモンド様も呪いを受けているんですか?」
私が驚いて尋ねると、エスター様はハッとしたように口をつぐんだ。
「知らなかったのか?……そうか……すまない。団長が自分で話していないことを私が伝えることはできない。いつか団長の口から話してくれるだろう」
「そう……ですか」
レイモンド様が呪われている。
なぜ今まで話してくれなかったのだろうか。
そういえば初めて会ったあの日、ダイニング・オリエッタの裏路地で鼻歌を聞かれた時、レイモンド様は「もう一度歌ってもらえないだろうか?」と私に聞いた。
ひょっとしたらレイモンド様は私のこの力に気づいて、自分の呪いを解くために私を連れてきたのだろうか?
でもそれなら、なぜそうと言ってくださらないのだろう?
ただ寮母として私を雇い、今まで何も言わずに……。
私の心の奥に、もやもやとした思いが立ち込めていた。
「はぁ、それにしても人生で一番びっくりしたよ。まさかうちの騎士団に聖女がいたとはな。トビーがあんたを姫様って呼ぶ意味がわかったよ。……あぁ、ほんとにありがとう。これからよろしくな、姫」
エスター様が晴れやかな笑顔で右手を差し出してきた。
私はその手を取り、しっかりと握り返した。
「はい、よろしく……って、その呼び方はやめてください!」
「はははっ、そうはいかないよ。これからは何でも私を頼ってくれ。まぁでも、姫ならすぐにみんなの気持ちをつかめるはずさ。トビーや私のようにね」
夕日がオレンジに染める河原に、親友のように楽しそうに笑い合う二人の声が、いつまでも響いていた。




