【第7話】癒しの歌姫
この日は朝から、寮の中がただならぬ緊張感に包まれていた。
朝食が終わった後の広い食堂は、あっという間に黒の騎士団の作戦会議室へと様変わりする。
「今日の討伐対象はドレイクが二体だ。こいつは瘴気を口から吐いてくる。十分に注意しろ」
レイモンド様の低くよく響く声に、団員たちが真剣な面持ちで頷く。食堂の空気がいつもよりも張り詰めていた。それほど今回の討伐は難易度が高く、危険な任務なのだろう。
王都の西の外れにある深い森は、通称『穢れの森』と呼ばれている。瘴気に汚染されたこの恐ろしい森には、異形へと変貌した多くの魔獣が巣食っているのだ。
そもそも大地が穢れる原因は、人々の負の感情が土地の魔力と結合し、瘴気が発生することによって起きると言われている。そのため、人が多く集まり人口密度が高い土地ほど、穢れの地が発生しやすい。
王都を守るため、国で最も偉大と言われる、聖者や聖女と呼ばれる高位の魔導師たちが、穢れの森の周囲を囲むように強固な結界を張っている。しかし、その結界も決して万能で恒久的なものではない。日々少しずつ結界にほころびができてしまうのだ。
その結界のほころびが修繕される前に、王都側へとすり抜けてしまった魔獣を命懸けで狩るのが、この黒の騎士団の重要な役割だ。ちなみに、穢れの地以外からも突発的にはぐれ魔獣が発生することがあり、それらの対処は主に冒険者たちが行っているという。
「ドレイクは羽のない小型のドラゴンだ。非常に素早く、爪や牙も鋭い。今回は二つの班に分かれて討伐を行う。トビー、どう分かれるべきだと思う?」
レイモンド様から名指しされたのは、第四部隊長のトビー様だった。オレンジ色のくせ毛を持つトビー様は、平民の出でありながら入団してたった一年で部隊長に抜擢されたという、すごい方だ。
剣の腕もさることながら、魔獣の生態に対しての知識が非常に深く、知略に長けた戦略で作戦立案の要となっている。
「今回は厄介なドレイクが二体いるのが難点ですね。残念ながら騎士団を半分に分けても、どちらかに戦力が偏ってしまいます。セドリックさんの第一部隊と団長、そして第二から第四までの残りという形で分けるのがいいと思います」
トビー様が冷静に状況を分析して提案すると、レイモンド様は深く頷いた。
「わかった、その案でいこう」
作戦が決まると、食堂はさらに慌ただしくなり、すぐに出立の準備が始まった。総勢約四十名いる黒の騎士団は、四人の部隊長がそれぞれ十人ずつの騎士を率いる構成になっている。
第一部隊長は副団長でもある飄々とした大人のセドリック様。
第二部隊長は、私がここへ来た初日に部屋まで物申しに来た、赤髪の美しい女性騎士エスター様。
第三部隊長は、とても大柄でちょっと……いや、かなり強面なバーナード様だ。背に背負った巨大な斧が凄まじい威圧感を放っている。
そして、第四部隊長が先ほど的確な作戦を立てたトビー様だ。
支度を終え、重い防具と武器を身につけた騎士団の一行が討伐へと向かうのを、私は寮の玄関に立って見送ることにした。
「いってらっしゃいませ、どうかお気を付けて」
私は通り過ぎる団員たち一人ひとりに声をかけるが、みな緊張しているのか、あるいはまだ私を認めていないのか、誰もこちらを見てはくれない。
「いってらっしゃいませ……」
私が第三部隊長のバーナード様に声をかけた、その時だった。
「ちょっと、気安く声をかけないで」
横からスッと現れたエスター様に、鋭い声でたしなめられてしまった。彼女はバーナード様を庇うような位置に立ち、私をキッと睨んでいる。
(あれ……エスター様って、ひょっとして……)
私は彼女の態度を見て、ふとある考えが頭をよぎったが、今は口を噤んでおくことにした。
「じゃあ後はたのんだよ、アリア。……その髪飾り、よく似合ってるよ」
最後に玄関を出ようとしたレイモンド様が、立ち止まって私に優しく声をかけてくれた。厳しい討伐に向かう前だというのに、彼の碧い瞳はとても穏やかで温かい。
「あ、ありがとうございます。お気をつけて、いってらっしゃいませ」
私は彼らが無事に帰ってくることを心から祈りながら、とびきりの笑顔でレイモンド様たちを送り出した。
――
夕刻。
バタンッ!
「急いでお湯を沸かしてくれ!」
慌ただしく玄関の重いドアが開いたかと思うと、泥と傷にまみれた騎士団のみなさまが雪崩れ込んできた。
「どうされました!?」
私が慌てて駆け寄ると、血相を変えたセドリック様が叫んだ。
「トビーが重症だ!すぐに医務室へ運ぶ!手の空いている者は、白と青の騎士団に『癒しの魔導師』の派遣を頼んでくれ。あとは教会にも掛け合ってくれ!」
癒しの魔導師というのは、回復魔法を使える特別な魔導師のことだ。回復魔法の適性を持つ者は非常に珍しく、この黒の騎士団には一人も在籍していなかった。
医務室のベッドに運び込まれたトビー様は、顔色が恐ろしいほどの紫色に変色し、呼吸も浅く、悶えるように苦しんでいた。
「わ、私になにかできることは!」
居ても立っても居られず声を上げた私に、大柄なバーナード様がギリッと歯を食いしばって答えた。
「瘴気を大量に浴びたんだ。あんたに出来ることなど何もない……。くそっ!なんで俺なんかを庇ったんだ!この馬鹿野郎が!」
瘴気汚染。
その恐ろしさは、誰だって知っている。少量の汚染を受けた元冒険者のオルドさんでさえ、長年精神の不調に苦しみ続けていたのだ。瘴気汚染を祓えるのは『癒しの魔導師』か、より高位の『聖者』もしくは『聖女』の祈りのみ。
私に出来ることなど何もなかった。
「トビーの看病は私たちが交代でやる。あんたは出てってくれ!」
エスター様に鋭く言い放たれ、私は唇を噛み締めながら医務室を後にするしかなかった。
数時間後、他の騎士団と教会に癒しの魔導師の派遣を打診に行っていた団員が戻ってきた。
「どこも今は手一杯だそうです」
悔しそうにうなだれる団員の報告に、寮の空気が絶望に沈む。
「今夜が山だな……」
レイモンド様の絞り出すようなその言葉が、私の胸に重くのしかかった。
団員たちは代わるがわるトビー様の看病を続けた。必死に汗を拭い、水を飲ませ、励ましの声をかけ続けていた。
しかし、夜中の三時を過ぎた頃、医務室への出入りがなくなった気配がした。気になってこっそり覗きに行くと、団員のみなさまは食堂の机に突っ伏して眠ってしまっていた。
無理もない。日中はドレイクの討伐で死に物狂いで戦い続けていたのだ。
私は静かに医務室に向かい、トビー様のベッドに歩み寄った。紫色の顔をしたトビー様は、眠ってはいるもののひどく苦しそうにうなされていた。
私はトビー様の額の汗を拭い、その手をそっと握った。トビー様は十九歳。私とたった一歳しか違わない青年だ。そんな彼が、今夜死んでしまうかもしれない。でも、私に出来ることなんて……そう思い詰めた時、ふと、あの酒場でのオルドさんの言葉を思い出した。
『どうやら俺の中に巣食っていた穢れが消えたようだ……。ありがとう、きっと君の歌のおかげだ』
本当に、私に穢れを祓う力があるのなら……。
私はトビー様の手を強く握りしめ、彼の無事を強く祈りながら、実家の弟や妹によく聞かせた子守唄『星屑を編む舟』を口ずさんだ。
歌いはじめた矢先だった。私の体から淡い光が漏れ出した。
(オルドさんの時と同じだ!お願い!トビー様の穢れを祓って!)
私の願いと呼応するように、淡い光はみるみると一層強くなっていく。やがて子守唄を歌い終わると共に、私たちを包んでいた光は虚空に溶けるように消えていった。
その時、医務室のドアがガチャリと開き、バーナード様が飛び込んで来た。
「トビー、すまない!うっかり眠ってしまっていた……。って、顔色が……良くなっている」
そう言われ、トビー様の顔を見ると、先ほどまでの恐ろしい紫色はすっかり消え去り、元の肌色に戻ってすうすうと静かに寝息を立てるトビー様がいた。
「あんたがトビーを見ていてくれたのか……ありがとう。だがここからは俺が見守る。出ていってくれ」
静かにそう言われた私は、深く一礼して医務室を後にした。
――
翌朝。
朝食で賑わう食堂では、トビー様がすっかり良くなったことの話題で持ちきりだった。
「あれほどひどい瘴気汚染だったのに……」
「どうやって回復したんだ?」
不思議そうに首をひねる団員たちの中、朝食のトレーを取りに来たバーナード様に私は挨拶をした。
「おはようございます!」
「……おはよう」
「!」
今まで返事を返してくれたことがなかったバーナード様がはじめて挨拶をしてくれたのだ。どうやら今日はいい日になりそうだわ。
「おはようございます!」
私は次に朝食のトレーを取りに来た男性にも挨拶をした。
「……その声」
トレーを手にしたまま、トビー様が私の顔をじっと見つめている。
「そうか……僕を助けてくれたのは君だったんだね」
「え、……なんのことでしょうか?」
私がとぼけると、トビー様は真剣な眼差しで私の両手をしっかりと握りしめてきた。
「僕は苦しみの中で、君の声と同じ歌声を聞いたんだ。そうしたら、僕の中から苦しみが溶けるように消えていった。きっと君は『癒しの歌姫』なんだよ」
そう言って笑うトビー様。
私の歌が彼の穢れを祓ったのかはまだ確信が持てない。
でも、トビー様と打ち解けられたのは私にとって大きな前進だった。
「後ろが詰まってるんだ、早くどいてくれないか?」
背後から急に冷ややかな声が降ってきた。振り返ると、レイモンド様がひどく不機嫌そうな顔をして立っていた。
「す、すみません団長。じゃあまたね、姫様」
トビー様がレイモンド様に追い立てられるように慌てて去っていった。
「……アリア」
「はい?おはようございます、レイモンド様」
「……とりあえず、俺と握手をしよう」
そう言ってレイモンド様は、先ほどトビー様が握っていた私の両手をギュッと握りしめ、そのまま朝食をトレーに乗せてテーブルへと去っていった。
「なんだったのかしら、さっきの握手……」
レイモンド様の謎の握手の意味はわからなかったけど、テーブルに向かう彼の機嫌は、どうやら直ったようだった。




