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【第6話】休日と銀の髪飾り

黒の騎士団の寮母として働き始めて、あっという間に一ヶ月が経った。


騎士団の寮は基本的に毎日稼働しているが、日曜日の食事だけは団員たちがそれぞれ外食や買い出しで済ませてくれることになっている。そのため、私やお手伝いのドリスさんたちスタッフにとっては、日曜日はほぼ丸々休むことができるありがたい休日となっているのだ。


私は自室のベッドに座り、昨日の夜に団長のレイモンド様から手渡されたばかりの茶色い封筒を見つめていた。それが私の初めてのお給料だった。封筒の封を開け、中に入っていた硬貨の額を確認した私は、思わず目を丸くして変な声を上げてしまった。


「ええっ!こんなにいただけるの?!」


そこに入っていたのは、ダイニング・オリエッタでウェイトレスとして働いていた頃のお給料よりもずっと多い金額だった。元々お給料が良いとは聞いていたけれど、実家の大衆食堂のひと月の売り上げと変わらないほどの額だ。


おまけに、寮に住み込みで働いているため、王都で一番の負担になる家賃や光熱費が一切かからない。食事もまかないとして食べさせてもらえている。


このペースで貯金をしていけば、音楽院のプロのレッスンを受けるための高額な費用が、予想以上に早く貯まりそうだった。


「これも、あの日あの酒場まで私を探しに来てくれたレイモンド様のおかげだわ」


私は封筒を胸に抱きしめ、ふふっと自然にこぼれる笑みを噛み締めた。夢への大きな一歩を、ようやくしっかりと踏み出せたような気がしたのだ。


この感謝の気持ちを込めて、今日は実家の家族に何かプレゼントを送ろう。


実家の小さな食堂を切り盛りしている両親には、王都で人気の少し良いお茶の葉を。そして、十歳も年の離れた可愛い双子の弟テオと妹リリーには、何か二人が喜ぶようなものを買ってあげたい。


そう決めた私は、一人で街へ出かける準備をした。いつもの仕事着ではなく、少しだけ余所行きのお気に入りのワンピースに着替え、亜麻色の髪をいつものように高い位置でポニーテールに結ぶ。意気揚々と部屋を出て、一階の廊下を歩いて玄関へと向かった。


「おや、お出かけかい?」


重い木製の玄関扉を開けようとしたところで、聞き慣れた落ち着いた声に呼び止められた。振り返ると、そこには私服姿のレイモンド様が立っていた。


普段の黒を基調とした凛々しい騎士の制服姿とは違い、少しラフでありながらも仕立ての良さを感じさせる出で立ちだ。鍛え上げられた身体にシンプルな白いシャツと濃紺のジャケットがよく似合っていて、その端正な顔立ちと相まって、私は思わずドキッとしてしまった。


「はい。昨日初任給をいただいたので、実家の家族にプレゼントを買いに行こうかと思いまして」


私が笑顔でそう答えると、レイモンド様は少し真面目な顔つきになって腕を組んだ。


「休日の王都は大混雑している。若い女性が一人で歩くのは危ないし、実家の家族全員分となれば荷物持ちも必要だろう。……俺が同行しよう」


「えっ、そんな!お休みの日にレイモンド様の手を煩わせるわけにはいきません!」


「気にするな。ちょうど俺も、少し街の空気を吸いたかったところなんだ」


レイモンド様は少し照れくさそうに視線を逸らしながら、私の隣に並んだ。その不器用な優しさが嬉しくて、私はこれ以上断るのをやめ、ありがたく彼に同行をお願いすることにした。


王都の中心部にある大通りは、レイモンド様の言葉通り、想像を絶する人混みだった。休日の買い物を楽しむ家族連れや、連れ立って歩く若い男女、立ち並ぶ露店を冷やかす人々で、広い道が隙間なく埋め尽くされている。活気にあふれた声と様々な匂いが入り混じり、田舎育ちの私には少し目が回りそうな光景だった。


「すごい人ですね……」


私は周囲を見渡しながら、前を歩くレイモンド様の広い背中を見失わないよう、必死に後をついて歩いていた。しかし、大きな交差点に差し掛かったところで、横道から一気に押し寄せてきた人の波に巻き込まれてしまった。


「あっ……」


ドンッと誰かの肩がぶつかり、私の体が大きくバランスを崩して人波に流されそうになる。


その瞬間、ぐっと力強く腕を引かれた。


「ふぅ、危ないな」


顔を上げると、すぐ目の前にレイモンド様の顔があった。彼がとっさに私の手を強く引き寄せて、自分の胸元に庇うように抱き留めてくれたのだ。彼の体から微かに香る清潔な匂いと、すぐ近くにある美しい碧い瞳に、私の心臓がドクンと大きく跳ねた。


「す、すみません、助かりました」


私が慌ててお礼を言って離れようとすると、レイモンド様はその手を離さず、逆にしっかりと私の指に自分の長い指を絡めてきた。


「はぐれると危ない。……こうしていよう」


真剣な表情のまま、少しだけ声のトーンを落として彼が言う。


「え……で、でも……ご迷惑じゃ」


「そんなことはない。俺がこうしていたいんだ」


レイモンド様は前を向いたまま、私と手を繋いだ状態で歩き出した。彼の大きくて温かい手が、私の手をしっかりと包み込んでいる。


毎日厳しい訓練で剣を握っているためだろう、手のひらや指先にできた硬いマメの感触が直に伝わってきて、その男らしい頼もしさに私の顔は一気に熱くなった。


思い込みだろうが、周囲を行き交う人たちの目が、少しだけ私たちに向いているような気がして恥ずかしい。でも、繋がれた手から伝わる彼の体温が心地よくて、私はその手を振り解くことがどうしてもできなかった。


ドクドクとうるさく鳴る自分の心臓の音を彼に悟られないように、私は少しだけうつむきながら、彼に引かれるまま王都の街を歩き続けた。


王都の喧騒を抜け、レイモンド様のエスコートのおかげで、私は無事に家族へのプレゼントを買い終えることができた。テオには丈夫な木彫りの剣を、リリーには可愛らしいレースの髪飾りを選んだ。私が迷っていると、レイモンド様が真剣な顔でアドバイスをくれたのが、なんだか少し可笑しくて、でもとても心強かった。


買い物が一段落し実家への荷物の発送手続きが終わると、私たちは大通りから一本路地に入った場所にある、落ち着いた雰囲気のカフェで遅めのランチをとることになった。


「今日は本当にありがとうございました。一人だったら、きっと人混みに酔って買い物ができなかったと思います」


「気にしないでくれ。俺も久しぶりに街を歩けて良い気分転換になったよ」


向かいの席でコーヒーのカップを傾けるレイモンド様の表情は、いつも騎士団の寮で見せる厳しい団長の顔ではなく、年相応の青年のように穏やかだった。


食事をしながら、私たちは自然とお互いの家族の話になった。私は、実家の大衆食堂のことや、十歳離れた双子の弟テオと妹リリーの可愛らしさについて夢中で語ってしまった。


「二人が幼い頃、よく熱を出して寝込んでいたんです。その時に看病しながら子守唄を歌うと、すぐに元気になってくれて。それがきっかけで、歌で誰かを癒せるような歌手になりたいって思うようになったんです」


「そうだったのか。君の歌声が心に響くのは、家族への深い愛情が根底にあるからかもしれないな」


レイモンド様は静かに微笑みながら、私の話にじっと耳を傾けてくれた。彼自身は、ご家族や兄であるローレンス様に対して何か複雑な思いを抱えていると聞いたことがある。けれど、今私を見つめるその碧い瞳には、とても温かく優しい光が宿っていた。


「君の笑顔を見ていると、不思議と心が軽くなる」


ぽつりとこぼれ落ちた彼の言葉に、私は照れくさくなってしまい、少しだけ熱くなった頬を誤魔化すように残りの紅茶を飲み干した。


カフェを出て、私たちは夕暮れ時の街を歩き、無事に黒の騎士団の寮の前まで戻ってきた。


「レイモンド様、今日は一日お付き合いいただき、本当にありがとうございました」


私が改めて深く頭を下げると、レイモンド様は少し改まった様子で私の前に立ち、懐から小さな小箱を取り出した。


「いつもありがとう。君に似合うと思って用意していたんだ」


手渡された小箱を開けると、そこには黒の騎士団の紋章と小さな緑色の宝石があしらわれた、美しい銀の髪飾りが入っていた。夕日に照らされて上品な光を放つそれは、平民の私が見ても一目で高級品だとわかるものだった。


「こ、こんな高価なものいただけません」


私が慌てて箱を突き返そうとすると、レイモンド様は困ったように少しだけ眉を下げた。


「困ったな……。なら、これは寮母の制服の一部だと思ってくれ」


彼なりの不器用な気遣いが込められた言葉だった。私は箱の中で光る銀の髪飾りを見つめ、心を決めて顔を上げた。


「でしたら、寮で働かせていただいている間だけ、お借りいたします」


私がそう告げると、レイモンド様はホッとしたように表情を和らげた。


「ああ、そうしてもらえると嬉しいよ」


彼は私から髪飾りを受け取ると、少し背を屈めて私の後ろに回った。


「俺が着けてもいいだろうか」


「えっ、はい……」


まさかレイモンド様に髪を触られるとは思わず、私は緊張で肩をびくっとすくませた。私がポニーテールをほどくと、彼の大きくて少し無骨な手が、私の髪にそっと触れた。


しかし、普段は剣を振るうことしか知らないレイモンド様にとって、女性の髪を扱うのは想像以上に難しかったらしい。


「っと、すまない。この毛束はどこに……いや、こうか?」


「レイモンド様、少し引っ張られて……痛っ」


「あ、す、すまない!……よし、これでどうだ」


自信ありげな彼の声に、私は恐る恐る寮の玄関のガラス扉を覗き込んだ。


そこに映っていたのは、ポニーテールの結び目が中心から完全にずれ、変な位置の髪の毛を無理やり挟み込んでいる無残な姿だった。せっかくの美しい銀の髪飾りが、なんとも滑稽な角度で斜めに傾いている。


「……ふふっ」


あまりにも不恰好なその姿に、私は堪えきれず吹き出してしまった。


「あははは……レイモンド様、これ、位置がおかしいですよ!」


「え?……あっ」


ガラスに映る私の頭を見たレイモンド様も、自分の失敗に気づき、顔を真っ赤にして固まってしまった。


「す、すまない!すぐに直す!」


「ふふふっ、大丈夫です。ありがとうございます、レイモンド様」


私が涙目になりながら笑い続けると、レイモンド様も最初は気まずそうにしていたものの、やがてつられたように声を上げて笑い出した。


夕暮れの空の下、騎士団の寮の前に二人の明るい笑い声が響き渡る。


今日一日で、彼との距離がほんの少し近づいたような気がした。


私は、いつか夢を叶えてここを出ていくその日まで、一人前の寮母としてこの髪飾りを大切に守っていこうと、心の中で静かに誓った。

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