【第4話】寮母は先行き不安
あの酒場での一件から三日後、私は王都の西区にある黒の騎士団の寮の前に立っていた。
引っ越しといっても、私の荷物は大きめのスーツケースが二つだけだ。目の前にある寮は、王都の治安を守る騎士団の施設にしては、こぢんまりとした四階建ての石造りの建物だった。
「ここか……勝手に入っちゃだめだよね?それにしても暑いわね……」
季節はすっかり移り変わり、夏の強い日差しがギラギラと照りつけていた。
私は、スーツケースを左右に置きながら、敷地の鉄格子の門の前で立ち尽くしていた。その時、一人の若い騎士が歩いてきて、敷地内に入っていこうとした。
「あの!すみません」
「はい、何か御用ですか?」
「私、今日からここの寮母として……」
そこまで私が言った途端、若手の騎士はふいっと顔を背け、私を置いて足早に寮の中へと消えていった。
「え?……なに、あれ?」
あまりの態度の冷たさに、私は呆気にとられてしまった。
「アリア!来てくれたんだね」
その時、私のうしろから聞き覚えのある声がした。振り返ると、黒い騎士の制服に身を包んだレイモンド様が立っていた。艶やかな黒髪と澄んだ碧眼が、日の光の下で見るとより一層美しく際立っている。
「おはようございます。今日からよろしくお願いいたします!」
私が元気よく挨拶をすると、レイモンド様は少し眩しそうに目を細めてから、私のスーツケースをひょいと両手に持ってくれた。
「まず荷物を置いたら、施設を案内するよ」
彼に続いて寮の中へと足を踏み入れる。一階の一番奥にある、日当たりの良い部屋が私の個室だった。そこに荷物を置いた後、私はすぐに食堂へと案内された。
「そろそろお昼時だから、みんな食堂にいると思うよ」
レイモンド様と一緒に広い食堂に入ると、多くの団員たちがテーブルにつき、食事を始めているところだった。
「みんな、今日から寮母として来てくれたアリアだ」
レイモンド様がよく響く声で紹介してくれた。
「あ、アリアです。みなさまよろしくお願いいたします」
私は深く頭を下げた。しかし、顔を上げても団員たちはカチャカチャと食器の音を立てて食事を続けるだけで、誰一人として私と目を合わせようとしない。
どうやら、手放しで歓迎されているわけではないようだ。気まずい空気に私が身を縮ませていると、レイモンド様が申し訳なそうに小声でフォローしてくれた。
「ごめんね、みんな人見知りなんだ。根はいいやつらだから、すぐに打ち解けると思うよ」
その時、私たちの後ろから野太い声がかけられた。
「おう、この娘が新しい寮母さんか」
振り返ると、少し長めの無精髭を生やした長身の男性が立っていた。グレーの短髪にグレーの瞳を持ち、飄々とした大人の余裕を感じさせる男性だ。
「ああ、セドリックさん」
レイモンド様がホッとしたように笑いかけた。
「あ、アリアです。よろしくお願いします」
「おう、よろしくな」
そう言って、セドリック様は私に向かって手を差し出してくれた。私は少し緊張しながらその手をとった。握りかえされた手は、ひどくゴツゴツとしていて、無数の傷跡があった。
みんな、こんな傷だらけの手で剣を握り、最前線で命懸けで私たちを守ってくれているのだ。そう思うと胸が熱くなり、この人たちのことをもっと理解したいと素直に感じた。
「セドリック様が団長様なのですか?」
大人の風格と貫禄からそう尋ねると、セドリック様はちょっと驚いた顔をしてから、おかしそうに笑い出した。
「はははっ、言ってなかったんですか?団長」
セドリック様は楽しそうにレイモンド様へと顔を向けた。
「あ、そう言えばきちんと言ってなかったかも。あらためまして、黒の騎士団の団長、レイモンド・ランカスターです」
レイモンド様が少し照れくさそうに名乗った。
「こいつは弱冠二十歳で団長になった頼れるやつだ。困ったことがあれば気軽に聞けばいい。俺は副団長のセドリックだ」
「俺に団長の座を押し付けたのはセドリックさんでしょ」
「ここは実力主義だ。一番強いやつが団長になればいいんだよ」
セドリック様は元団長だったらしい。一度にいろんな情報が入ってきて、私は思わずポカンとしてしまった。
「次はお手伝いさんを紹介するよ」
気を取り直して、厨房へと案内された。そこには、小柄で優しそうな雰囲気のおばさんが立っていた。
「ドリスよ。よろしくね」
ドリスさんは通いで寮のお手伝いをしてくれている方で、近くに家族と一緒に住んでいるらしい。ふんわりとした笑顔を見ているだけで、こちらの心まで和んでくるようなおっとりとした女性だ。
「前の寮母さんは、おばあちゃんでね。私と一緒に長く寮を切り盛りしてたんだけど、腰をやっちゃって引退したのよ。だから、若い子が来てくれて本当に助かるわ。さっきのあの子達、アリアちゃんが可愛いから照れてるのよ。すぐに打ち解けると思うわよ」
ドリスさんの優しい言葉に救われた気がした。セドリック様やドリスさんと言葉をかわし、全員から歓迎されていないわけではなさそうだと分かって、私は少し気が楽になった。
挨拶回りを終え、自室に戻って荷解きをしていると、コンコンコンとドアがノックされた。
カチャ、とドアを開けると、そこには一人の女性騎士が立っていた。私よりもずっと背が高く、鮮やかな赤髪のショートボブに、意志の強そうな赤い瞳を持った、ハッとするほどの美人だ。さっき食堂では見かけなかった顔だった。
「私はエスター。第二部隊長をしているわ。あなた、歳はいくつ?」
「あ、アリアです。十八歳です……」
いきなり年齢を聞かれて戸惑ってしまったが、わざわざ部屋まで挨拶をしにきてくれたのかと思うと、私は少し嬉しくなった。
「そう」
エスター様は私を頭からつま先まで、冷ややかな目で値踏みするように見下ろした。
「誰もあなたに何も期待してないから、さっさと辞めて出てってちょうだい。言いたいことはそれだけよ」
それだけ言い捨てると、エスター様はブーツを鳴らしてさっさと去っていってしまった。
「な……なんなのかしら……」
あからさまに敵意をみせる団員もいて、これからの生活に不安がないわけではない。でも、レイモンド様やセドリック様、ドリスさんのように、優しく接してくれる人たちもいる。
「私がここを去る時は、歌手になる夢を叶える時よ」
誰にどう思われたとしても関係ない。私はこの場所で寮母としての仕事をしっかりとやり遂げてみせると、ギュッと両手を握りしめて心に誓った。




