【第17話】レイモンドとジュリアン
ある日の黒の騎士団寮、応接室。
団長および四人の部隊長の面々が、真剣な面持ちでソファーに腰を下ろしていた。
「……トビー、調査結果を報告してくれ」
レイモンドが重々しい声で促すと、トビーは手元のメモ帳を開き、神妙な顔つきで口を開いた。
「はい。姫様は毎週日曜日に、どうやら歌のレッスンに行っているようです」
「歌のレッスン……つまりデートじゃなかったんだな」
レイモンドがほっと息を吐き出すと、ソファーの端でセドリックが退屈そうに首を回した。
「俺、もう帰っていいか?」
「よかったですね、団長。で、どうするんですか?」
エスターが少し呆れ気味に問いかけると、レイモンドは少し胸を張って答えた。
「どうって。アリアがあんなに楽しそうにレッスンに通っているんだ。応援してやる以外に何がある?」
「そう楽観視してもいられませんよ、団長。相手はジュリアン・ローって超イケメン歌手らしいんですよ」
トビーがメモを見ながら真剣な声で報告すると、レイモンドの顔からスッと血の気が引いた。
「ジュリアン・ローだと!」
「知ってる?バーナード」
エスターが隣に座る大男に尋ねると、バーナードは腕を組んだまま鼻を鳴らした。
「知らん。俺にそんなお上品な趣味があるわけないだろう」
「私は名前だけね」
「なぁ、帰っていいか?」
「兄さんの親友で、超人気歌手だ。以前アリアと一緒にコンサートにいったことがある。アリアの憧れの人物だ」
レイモンドが頭を抱えて俯くと、エスターが目を見開いて声をあげた。
「えっ?それってマズくない?憧れの人と数時間二人きりってことでしょ?」
「こら、団長の不安を煽るな。ほら……」
バーナードがあごで指し示した先では、レイモンドがあからさまに肩を落とし、この世の終わりのような顔で落ち込んでいた。
「アリアが疲れていなければ、夕食にでも誘えばいいだろう。いつも夕方には帰って来るんだから」
「さすがセドリックさん。妻子持ちはちがうぜ!」
セドリックが大人な助言をすると、トビーが感心したように頷いた。
コンコンコン。
その時、応接室のドアからノックの音が響き、カチャリとドアが開いた。
「みなさま、お茶を持ってきました。会議おつかれさまです」
「あ、ああ、ありがとうアリア」
アリアがティーカップを並べていく中、周りの面々がレイモンドに向かって『さ・そ・え』と声を殺して口をパクパクさせている。
レイモンドは意を決したように咳払いをした。
「んんっ、あー……アリア。今度の日曜なんだが、夕食をどこかに食べにいかないか?」
「はい!とても素敵ですね。じゃあ、楽しみにしていますね、みなさま!では失礼いたします」
アリアは満面の笑みでそう言うと、カチャリ、パタンとドアを閉めて出て行ってしまった。残された応接室には、気まずい沈黙が流れた。
「え、……あ、……みなさま?」
レイモンドが虚空を見つめてつぶやくと、エスターがチクリと刺すように言った。
「そーゆーとこですよ、団長」
――
そして、日曜日。
王都の西区にあるジュリアン様のアトリエで、私はピアノの伴奏に合わせて歌い終えた。
「オッケーだ。じゃあ、今日はここまでにしようか」
「ありがとうございました、ジュリアン先生」
「アリアは本当に優秀だよ。一度言ったらすぐに修正できるし、音域もかなり広い。それに見た目もとても可愛いらしい」
ジュリアン先生は楽譜をまとめながら、優雅な笑みを浮かべて私を褒めてくださる。
「ありがとうございます、先生。でも見た目は歌に関係ないと思うのですが?」
「本来ならそうだけどね。劇場などのお抱えになる場合は、容姿も大事なんだ。たまに役者のヘルプに入らないといけないこともあるからね。どうだい、今夜夕食を一緒に食べないか?いろんなプロの現場の話を聞かせてあげられるよ。遅くなっても、ちゃんと寮に送っていくし」
プロの現場の話。それは歌手を目指す私にとって、とても魅力的なお話だった。
けれど、私は首を横に振った。
「お誘いいただき、ありがとうございます。ただ、今日は先約があるんです」
「そうか、残念。じゃあ来週だね」
「はい。楽しみにしてます」
私はジュリアン先生にお礼を言い、アトリエを後にした。
――
寮に帰った私は、玄関のドアを開けた。
「ただいま帰りました。……まぁ、レイモンド様。ずっと待っててくださったんですか?」
玄関ホールには、きっちりと仕立ての良いスーツを着込んだレイモンド様が立っていた。いつもは凛々しい騎士の制服やラフな私服が多いけれど、スーツ姿の彼は息を呑むほどかっこよくて、私の胸がドキンと跳ねた。
「今日は少しいいところに行こうか?」
「素敵ですね……あれ?他のみなさまは?」
私が不思議に思って辺りを見回すと、レイモンド様は少し目を泳がせながら答えた。
「あ、ああ……みんな急用らしく、二人だけなんだが……いやかい?」
「いいえ!ではドレスに着替えてきますね」
レイモンド様と二人きりのディナー。そう思うと私の胸はトクトクと高鳴っていた。
「今日はこれにしようかな」
先日レイモンド様にいただいた、ネイビーのドレスに着替え、銀の髪飾りで髪を留め直す。
準備を終えた私たちは、馬車に乗って王都の中心街へと繰り出した。
やがて馬車が止まったのは、見覚えのある立派なレストランの前だった。
レイモンド様が馬車から降りる私の手を優しくエスコートしてくださる。目の前にあるそのお店は、ダイニング・オリエッタだった。
私が以前ウェイトレスとして働き、そして理不尽にクビになった思い出の場所だ。
そしてレイモンド様と出会った場所でもある。
レイモンド様はスッと右腕に隙間を空けて私を見た。私は少し緊張しながら、そこに自分の腕をからめた。
「あの日のディナーを一緒にやり直してくれないか?」
レイモンド様が優しく微笑みかける。
「はい……」
私たちは、店内に一緒に入った。あの日私を怒鳴りつけた主任はもういない。店員は私たちを、一番景色の良い窓際の席へと案内してくれた。
向かい合って座り、運ばれてくる美しくて美味しい料理を味わう。かつては忙しく料理を運んでいたこの場所で、彼と一緒に食事をしているのがなんだか不思議で、とても幸せな気分だった。
「レッスンはどうだい?」
「とても楽しいです。自分でもすごく上達しているのを実感してます」
「それはよかった」
レイモンド様は私の話をとても嬉しそうに聞いてくださった。二人でいろんな話をしながら、楽しい食事がすすむ。デザートが運ばれてくる頃、レイモンド様が少し改まった様子で口を開いた。
「どうだろう。来週も一緒にディナーに付き合ってくれないか?」
「あ、来週は、ジュリアン先生に誘われているんです。すみません」
「え……彼に誘われたのかい?」
レイモンド様の動きがピタリと止まった。
「はい。え?何か問題がありましたか?」
「いや、……何も問題はないよ。誰と食事をするかはアリアの自由だ」
レイモンド様は静かにそう言ったけれど、その話以降、彼は少し落ち着かない様子で、何度もグラスの水を飲んでいた。
――
「ここか……」
俺は今、王都の中心街にある、ジュリアン・ローの邸宅前に立っている。
「すまない。ジュリアンさんにお会いしたいのだが」
俺は門番の男に声をかけた。
「お約束はございますか?あとお名前は?」
「約束はしていない。俺はレイモンド・ランカスターだ。兄が友人なんだが」
「お待ちください」
そういって門番は屋敷の中に入っていった。しばらくして門番の男が帰ってくると、「お会いになるそうです。こちらへ」と屋敷の中に案内された。
応接室でしばらく待っていると、長い金髪を束ねた美しい青年が現れた。
「やあ、君がローレンスの弟君だね。一度お会いしたいと思っていたんだ」
「レイモンドです。突然すみません。今日は伺いたいことがあって来ました」
「なんだい?僕に答えられることなら、何でも聞いてくれ」
「あなたはアリアのことを、どう思っているのでしょうか?」
俺の言葉を聞いたジュリアンは、少し鋭い目つきでしばらく俺を見据えたあと、静かに答えはじめた。
「可愛い教え子だと思っているよ。そう、とても可愛いね」
「アリアをディナーに誘ったそうですね……彼女のことが好きなのですか?」
「……好きだよ。君も彼女が好きだろう?いや、彼女は誰からも好かれる素敵な娘だ」
ジュリアンが余裕の笑みで返すのに、俺は苛立ちを隠せなかった。
「そういう意味ではありません!」
「……つまり、恋愛感情があるのか、ということかい?」
「……まぁ、そういう意味です」
「……僕には本命の女性が二人いる。これでいいかい?」
ジュリアンの信じられない言葉に、俺は耳を疑った。
「本命が二人だと?つまりアリアは遊びだということか!」
「遊びなんかじゃない。大切な教え子だと言っただろ?それに君はアリアの恋人なのか?」
「……いや、……そういう間柄ではない」
「じゃあ、君に何かを言われる筋合いはないと思うんだが?」
涼しい顔で言い放つジュリアンに、俺の中で何かがプツリと切れた。
「俺は彼女が幸せになるのであれば、誰と付き合おうとかまわない。だが……」
「はっきり言ったらどうなんだ?」
ガタンッ!
俺は勢いよくソファーから立ち上がって叫んだ。
「俺はあんたにはアリアを渡さない!誰よりも、俺が一番アリアを愛している!」
静寂が落ちた応接室で、俺は肩で息をしながらジュリアンを睨みつけた。
その言葉を聞いたジュリアンは、急に下を向いて肩を震わせはじめた。
「くっ……はっはっはっはっ……」
「何がおかしい!」
コンコンコン、カチャ。
「ぱぱー、ぴあのひいてほちいのー」
突然ドアが開き、幼い女の子が部屋に飛び込んできた。
「お、ソフィー。こっちへおいで」
そう言ってジュリアンは目を細め、可愛らしいその子をひょいと抱きかかえた。
「紹介するよ。こちらが僕の本命女性の一人、ソフィーだ。ソフィー、お兄さんにご挨拶は?」
「おにいしゃん、こんにちはー」
「こ、こんにちは。……え?……つまり、それって……」
状況が飲み込めず呆然とする俺に、ジュリアンはいたずらっぽく笑った。
「僕には愛する妻子がいるんだ。他の女性と二人きりでディナーなんてするわけがないだろう?アリアは我が家のディナーに誘ったんだ。妻と娘も一緒だよ」
「は……はは」
俺は一気に全身の力が抜け、ソファーにへたり込んでしまった。
「……トビー、調査が雑だぞ……」
とんでもない早とちりで、一人で空回りして噛み付いてしまったのだ。顔から火が出るほど恥ずかしい。
「……申し訳ない……勝手な思い込みで、押しかけた上に失礼な事を……」
「いやいや、ごめんよ。君があまりにも一生懸命だったんで、ちょっとからかってしまったんだ。」
ジュリアンは娘のソフィーを膝に乗せたまま、肩をすくめてみせた。
「ローレンスが言う通り、君は不器用なくらい真っ直ぐだね。さっきの言葉は僕にじゃなく、アリアに直接伝えてやってくれ。あの娘もその言葉をきっと待ってる。次の日曜は、二人でうちのディナーに来なさい。にぎやかなのは妻も喜ぶよ」
相手のことを一瞬で見抜き、その場の空気さえも自分の手のひらの上で転がしてしまう。
この人がローレンス兄さんの親友である理由を、嫌というほど思い知らされた。
――
ガチャリ。
寮の玄関の扉が開く音がして、私は急いで出迎えた。
「あ、おかえりなさい。レイモンド様」
「やぁ、アリア。今日もそのエプロン、すごく似合っているよ」
「は、はい。ありがとうございます。……どうしたのかしら、すごくご機嫌みたい」
最近何か心配事でもあるような雰囲気だったレイモンド様が、すっかり別人のようにとても楽しそうで、私までつられて心が明るくなっていた。




